洞雲寺の東墓地にある桜尾城主であった毛利元清夫妻の墓碑で、左側の毛利元清墓碑には「慶長二〇〇〇 笑山 七月〇〇〇」と刻銘がみられる。桂元澄の後桜尾城を継いだ毛利元清は約28年在城し慶長2年(1597)に没して洞雲寺に葬られた。右側の毛利元清妻の墓碑には「天正十八年 松溪 妙寿 五月初七日〇〇」とあり、元清の妻来島通康の女で天正十八年(1590)桜尾城で没し洞雲寺に葬られた。
中央にある燈籠には「笑山公墓前 献燈 寛政丙辰秋七月六世孫讃岐守 従五位下大江朝臣匡訓」と刻されており、元清の六世の孫である長府藩の支藩清末藩主第4代藩主匡邦(匡訓)が建立したものである。
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