洞雲寺西墓地にある陶晴賢の墓碑で、弘治元年(1555)の厳島合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢は桜尾城で首実検の後洞雲寺に葬られた。桜尾城主であった桂元澄の6男である元盛(入道岌圓)が元和8年(1622)に著した桂岌圓覚書に「廿日市洞雲寺にて葬礼仰せ付けられ、石塔御すへなされ御弔ひ候」とあり、勝者である毛利元就は敗者である陶晴賢を丁重に弔って石塔を建立していることがわかるのである。
洞雲寺西墓地にある陶晴賢の墓碑で、弘治元年(1555)の厳島合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢は桜尾城で首実検の後洞雲寺に葬られた。桜尾城主であった桂元澄の6男である元盛(入道岌圓)が元和8年(1622)に著した桂岌圓覚書に「廿日市洞雲寺にて葬礼仰せ付けられ、石塔御すへなされ御弔ひ候」とあり、勝者である毛利元就は敗者である陶晴賢を丁重に弔って石塔を建立していることがわかるのである。
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