ひと昔前に農作業や山仕事の運搬に活躍したねこ車で曲がった木を半割りにして加工し、組立てて車は既製のタイヤを使用している。もっと以前のねこ車の車は木製で外周は鉄製の輪をはめていた。更新の活力になります! ポチッとね!
秋祭りで速谷神社の境内には上平良地区各子供会の俵みこしが集まってにぎやかであった。実りの秋を迎え収穫を喜びあって氏神に奉納していた先人の伝統行事を子供会が中心となって伝承をしているのである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島では土産物のロクロ細工や宮島彫りなどが著名であり現在でも多くの方が製作している。裏通りでロクロ細工を作っている作業場に「轆轤」と難しい漢字で表示してあり読める人は・・・更新の活力になります! ポチッとね!
岩倉温泉に向かう小瀬川に架かる岩倉温泉橋の欄干を見るとカラフルな装飾板がはめ込まれた手摺となっている。旧佐伯町の花であったサツキが鋳出され着色されているものである。更新の活力になります! ポチッとね!
飛行機山(河平山)の遭難記念碑から北方面を眺めると渡の瀬ダムの堰堤と貯水池が大きく樹々の間から遠望できる。ダムの水は異常なくらいに緑色であり長く留まっているからだろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
多くの木材を産出している吉和地区にある看板でログハウスを造る人の手作りでつくられたものであろうか。二股の自然木を利用した側柱や木口などの腐食を防ぐ葺き材がてんでバラバラのユニークな看板である。更新の活力になります! ポチッとね!
広電廿日市駅の裏側に現在変電所の工事が進められており、技術の進歩で変電設備もこのような小さな建物に収まるようである。存続が危惧されている大正ロマンを漂わすレンガ建築の廿日市変電所がここに移転するのだ。更新の活力になります! ポチッとね!
飛行機山から大竹市の飛地である松が原地区を遠望する。行政区域の松が原地区は集落部分のみで新しい団地が見えるところや周辺の山々は廿日市市域である。遠くには宮島の鳥居が見られるが写真では判別できない。更新の活力になります! ポチッとね!
飛行機山は大竹市の飛地である松が原地区近くの山で、正式名は河平山で9つの峰がありハイキングコースが整備されている。最初の峰付近に大正12年軍用機が墜落して1名が殉職しこの殉職記念碑が建立された。更新の活力になります! ポチッとね!
針山集落の中道小学校跡付近から中道集落を経て羅漢山に向かう道脇に四国の札所にならった石仏がところどころに見られる。昭和の初め頃に中道の人の寄進で安置されたもののようで石仏には各番所が刻されている。更新の活力になります! ポチッとね!
廿日市市域の瀬戸内沿岸で宮島を除いてはほとんどがコンクリート護岸で囲まれており自然海岸はほとんどみられない。大野地区では岬の跡が大小4~5ケ所の自然のまま残されており、熊ケ浦の元対厳荘地先には絶景の2つの小島が残っている。干潮時には陸伝いになり沖の小島には海食洞があって美しい景観を形成している。更新の活力になります! ポチッとね!
かつて吉和地区で銘酒「速の井」を醸造されていた早田家には移設された酒蔵のほかに米蔵と衣装蔵が残されており、米蔵の蔵飾りには苗字が表してあり裏面は龍の字が表してある。衣装蔵にも苗字の蔵飾りと裏面は家紋が表してある。更新の活力になります! ポチッとね!
広電宮島線の廿日市駅東約150mの線路沿いの北側に大正ロマンを漂わすレンガ建築の廿日市変電所がある。大正11年(1922)8月にこの変電所は完成しており当初は蒸気機関で発電機を運転して電気を供給していたようである。現在廿日市駅裏側に新変電所を建築中であり変電設備が移設された後にはこの変電所は取壊されそうである。廿日市市域では著名な近代化遺産であり是非とも保存をしてもらいたいものだ。更新の活力になります! ポチッとね!
広電宮島線の廿日市駅東約150mの線路沿いの北側に大正ロマンを漂わすレンガ建築の廿日市変電所がある。大正11年(1922)8月にこの変電所は完成しており廿日市市内で唯一のレンガ建築である。現在廿日市駅裏側に新変電所を建築中であり変電設備が移設された後にはこの変電所は取壊されそうである。是非とも保存してもらいたい近代化遺産であるのだが・・・更新の活力になります! ポチッとね!
10月1日は「日本酒の日」として昨日の中国新聞に広島の酒まつりの広告があり、広島の銘酒の酒瓶レッテルが掲載されていた。かつて吉和地区で醸造されていた早田酒造場のまぼろしの銘酒「速の井」の酒瓶レッテルである。(早田氏のご好意で撮影させて頂きました。)更新の活力になります! ポチッとね!
フォロー中フォローするフォローする