『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

元大原講-講中膳

2020年01月16日 | 「廿日市地区」ぶらり




 

 

昨日は各講中の倉庫を紹介したが、画像はかつて大原講中で使用されていた箱膳と椀である。毎月の御講寄、年末の御法事や葬儀の際に箱膳に並べられた椀の状態は先人からの聞き取りしていたものを紹介する。
オヤワンは御飯、シルワンは味噌汁、オヒラはハッスン(人参、油アゲ、牛蒡、レンコン、椎茸などの煮物)、後にタイコ饅頭、パンに変わっており、オツボはクロメ、後にスズガシに変わっている。中央部分のナカジョコは白アエであるが椀の蓋を使用したものか皿であったのかは不明である。

一人の膳で蓋と合わせて8個の木椀が大人数となると乾燥など手入れが大変であったので、平成元年(1989)の御法事から食事は膳からパック詰の食事となり、平成14年(2002)から弁当購入となった。

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講中倉庫

2020年01月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

大原講倉庫

河野原・二重原・吉野講倉庫

 則貞・森下・谷峰講倉庫


昨日紹介した各講中には御講寄、御法事や葬儀の時に供す食事をつくる炊事、炊飯道具や配膳椀、皿、徳利、盃、配膳棚、机、椅子などと葬儀に使用する葬具等々を収納する倉庫が設けられていた。画像の講中倉庫で大原講中の倉庫は平成24年(2012)に取り壊されており、使用されていない河野原・二重原講中の倉庫が残されているのみで他講中倉庫は取り壊されている。 

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講中組織が ‼

2020年01月14日 | 廿日市関連

 


かつて講中は各家を順次廻って僧侶を招き法話をきいて食事を共にした「お講寄」と葬式の時には世話一切をするなど援助しあう協同の組織であったが、時代の流れで講中組織があまり必要とされないようになって次々と講中が解散されており、当ブログ主が属していた大原講も昨年秋に解散した。大原講には明治期に婦人講もあったようである。
上平良地区には河野原、大原、二重原、吉野、則貞、森上、森下、谷峰、折手講と他に二講(名称が曖昧)あったが現在は吉野、森下講のみとなっている。

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ミニミニとんどを !

2020年01月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


数年前までは町内会の行事としてとんど祭りが行われていたが、事情があって中止されてから町内会の一同が会すことがなくなった。かつて火のそばで餅を焼いたりぜんざいを頂くなど老若男女が集っていたのであるが・・・ 当ブログ主は子孫達とミニミニのとんどを・・・

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宍道町並み-八雲本陣(木幡家住宅)

2020年01月12日 | 旅行

 

 

 

 

 

 


湯の川温泉に行ったので近くの宍道町並みにある八雲本陣を訪れた。相当以前に松江方面を訪れて帰り道に八雲本陣の前を何度か通ったことがある。当時は割烹旅館を営業されていたが、現在は国の重文に指定され一般公開されている。八雲本陣(木幡家住宅)は江戸期に松江藩主の本陣宿を勤め、明治期には皇太子殿下(大正天皇)、昭和期には昭和天皇が立ち寄られたようである。パンフレットによると敷地が約1200坪で部屋数が40を超えるという広大な屋敷で、藩主の間、家老朝日丹波の間、飛雲閣等々数多くある各部屋を見物させて頂いた。

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初温泉-湯の川温泉

2020年01月11日 | 旅行



 


今年初めての温泉めぐりで日本三美人の湯と称されている出雲市斐川町の湯の川温泉で英気を養った。当ブログ主は冷泉を加温している温泉はあまり好みでない。この温泉は源泉温度が50.2度でかけ流しということである。ここの湯は美人の湯とあったのでもしやと連れ添いを伴って行ったが・・・   
(浴槽画像は「斐川町出雲いりすの丘公園/ひかわ美人の湯」HPより)

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速谷神社-木遣り奉納

2020年01月10日 | 「廿日市地区」ぶらり





新春を迎えた昨日、上平良地区で伝承されている氏神祭の俵もみ歌を保存伝承活動している木遣り保存会の人達により、神前に参拝の後木遣り奉納が行なわれた。

 ♪ イヤー 天神七代 神々五代 おさまる民代こそ目出たけれ 神代の昔をたづぬれば いざなぎいざなみの御神 天より天下らせ さかほこおろさせたまへつつ ヨイ ♪        
 ♪
 イヤー さかほこおろさせたまへつつ 其のひとしずくが島となり 島の始めが淡路島 国の始めが大和の国 こうりの始めがうざごおり 寺の始めが立花寺 国もじょうじゅうしたならば 今だ人間広まらず さあらば氏子を広めんと お伊勢皇太神宮 白針装束花やかに ヨイ  ・・・

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大門の肘壷上金物

2020年01月09日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり



 

 

広島城の毛利氏は草津村に大門を設けていたようであり、大門の肘壷上金物を廿日市の鋳物師山田善右衛門(宗次郎)が鋳造しているのである。明治期には県庁に保管されていたが現在小泉酒造が所蔵されている。肘壷上金物は現在公開されていないが草津公民館に写真パネルと複製品が展示してあり、大きな門であったことが伺えるのである。山田宗次郎(善右衛門)は一昨日紹介した海蔵寺の梵鐘を天正12年(1584)に鋳造しているようである。

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浄教寺の梵鐘

2020年01月08日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり




 


昨日紹介した浄教寺の鐘楼門に架けられている梵鐘は廿日市の鋳物師が鋳造したものである。
現在は梵鐘を下からしか拝見できないが、刻銘によると享保元年(1716)に廿日市之住冶工山田治右衛門藤原貞能が鋳造している。(平成5年調査)山田貞能の鋳造作品は市域では極楽寺本堂の宝珠、厳島多宝塔の九輪が現存している。

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草津町三社寺初参り

2020年01月07日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり



 


昨日、草津町の八幡神社、海蔵寺、浄教寺に初参りをした。八幡神社には仕事始めの商工センターの会社の人達であろうか多くのグループの人達が参詣していた。海蔵寺は廿日市駅北にある洞雲寺の末寺であり、洞雲寺18世が海蔵寺開山で、洞雲寺19世が海蔵寺2世、洞雲寺20世が海蔵寺4世、洞雲寺21世が海蔵寺5世、洞雲寺28世が海蔵寺19世と深い関りがあった寺である。浄教寺の本堂廊下上にずらりと並んだ斗栱は圧巻である。

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極楽寺参道ところどころ

2020年01月06日 | 登山




 


上平良参道を登っていると高尾山の斜面にかつての山崩れケ所が4~5ケ所みられる。昭和57年(1982)頃にこの斜面から大量の弥生式土器片を採集し、その後町教委によって分布試掘調査が行われている。遺跡の立地などから高地性集落遺跡とみられており、高尾山遺跡については廿日市町史通史編(上)に詳述されている。廿日市参道の23丁くらいに位置するケ所からも昭和59年(1984)ごろ山崩れケ所から弥生式土器を採集しており同じく町史に記述されている。

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初登山-極楽寺参詣

2020年01月05日 | 登山

 

 27丁碑・三角点・29丁碑

 30丁碑・屏風岩・34丁碑

35丁碑・36丁碑・37丁碑

 

昨日、初登山で極楽寺に初参りをした。度々紹介している河野原大歳神社にお参りしてから上平良参道を登り、廿日市参道の22丁碑手前で合流する。上平良参道は登る人もなく荒れて道の痕跡もないところもあるので、地形を知っている人以外は通行困難である。廿日市参道の里程碑などは26丁碑・手無観音まで先日紹介済みで、以降に27丁、三角点(518.6m)、29丁、30丁、屏風岩、34丁、35丁、36丁、37丁碑がある。37丁碑(左側)の反対側には観音参道の13丁碑が建立されている。天気も良く多くの登山者や車での参詣者がみられた。

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寺院の天水桶

2020年01月04日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


寺院の多くには向拝屋根の雨水を受ける天水桶が設けられており、上平良地区にある西蓮寺では露盤と刻されている。原地区の立善寺の天水桶には読めそうな字であるが画像のような仏教難字が刻されておりなんと読むのであろうか。大野地区の西教寺の天水桶には用水と刻されていた。かつて天水桶は屋根からの雨水を利用した防火用水桶であったが、現在各寺院での天水桶はモニュメントとして設置されているようである。

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初ウォーキング三社寺参り

2020年01月03日 | 「廿日市地区」ぶらり




 

 

昨日午前、速谷神社の延命祭にお参りし、午後初ウォーキングで原地区の伊勢神社、立善寺、上平良地区の河野原大歳神社の三社寺を初参りした。江戸期には原地区に数社の神社があったが明治期に伊勢神社に合祀されており、かつての神社跡が分かる金剛丸王子社跡、森宗八幡宮跡、川末大歳社跡にも足を延ばした。

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三社寺参り

2020年01月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


例年のように元日の早朝には速谷神社の歳旦祭へ初参りを済ませたので、おせち料理で腹ごしらえをして菩提寺である西蓮寺、長い石段のある二重原地区の八幡神社へと三社寺の初参りをした。

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