広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、架線を支持するビームと言われる梁が電柱間に架けられていた。多くのレールが敷設されていたが現在も敷設作業が行われていた。2ケ所のレールが伸びた部分が赤坂第2踏切付近の既設レールに接続されるようである。
広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、架線を支持するビームと言われる梁が電柱間に架けられていた。多くのレールが敷設されていたが現在も敷設作業が行われていた。2ケ所のレールが伸びた部分が赤坂第2踏切付近の既設レールに接続されるようである。
ウオーキング途中で見かけた各所の桜はすでに葉桜となっているが道中のハナモモが満開であった。1本の木からピンクや赤、白の花が咲いており何の花であろうかと思っていたが、ネットで調べてみると花を観賞するために改良されたハナモモのようである。
以前にも紹介したが、宮園団地の高い擁壁下の流出口から流出している宮迫川の源流は鉄分を多く含んだ茶色の水が流れており、現在も鯉が泳いでおり生息には影響ないようである。宮園団地は真砂土の山を掘削して造成しているので、湧き水に鉄分を多く含んでいるものとみられるのである。
江戸期絵図/明治33年(1900)地図
可愛川に架かる一本橋(現榎之窪新宮線橋)で江戸期には潮音寺の裏手の小道からこの一本橋を通り串戸方面に行く近道で、西国の大名行列は越垰垰(コイトウダオ)をさけて平らなこの小道を通っていたという。街道の街中では威厳を保つために槍持ち奴を先頭に行列していたのであろうが、街を出ると街道を外れた近道の小道を通るなどと現実的で滑稽でもある。現在はシビックコア地区整備などで小道は無くなっている。
上平良大原地区の田んぼには長野川から引水しているが、水量が少ないために古い時代から川末川から分水バイパスの井手が設けられていた。(井手名不明)中世の大原地区は厳島社領の大原御衣領(御縕繒領)であり、原地区の森宗名は桜尾城主の桂元澄領でどの井手かは不明であるが永禄頃に用水懸りで紛争が起こっている。このような紛争を解消するためだろうか分水井手が設けられていたのである。
時折り紹介している廿日市17代目桜島大根と廿日市7代目切葉松本地大根は花盛りであり、これらの種を採って来季に廿日市18代目桜島大根と廿日市8代目切葉松本地大根を栽培する予定である。
ウォーキング途中の中平良地区にある民家納屋に田植えに使用していた民具が残されていた。田んぼの代掻きの後に不陸を均すエブリが2丁と田植えの筋を付ける引きスジツケがみられた。隠岐の島ではスジツケのことババヒキと云っているようである。
ウォーキング途中にあった民家の門柱上にユーモラスな粘土細工の狛犬が置かれていた。粘土板を折り曲げて口を開けた阿形を表したものと閉じた吽形を表すなど各部にユニークにデザインがなされている斬新な狛犬である。
昨日は宮内方面への所用を兼ねてのウォーキング途中、砂原地区の御手洗川沿いの桜並木は満開を過ぎて散り始めていた。御手洗川の川面には散った桜の花が流れており、花筏がみられたが素養がないので一句は出ない。
下平良地区にある新宮神社の石鳥居の神額と貫石が無くなっており、上部の笠木・島木に補強養生がしてあった。これから補修がされるようである。刻銘によるとこの石鳥居は昭和3年(1928)11月に下関市の中部幾次郎により寄進建立されたようである。下関市の中部幾次郎は大洋漁業の創業者であり、当地方(当神社)とどのような関係があって寄進されたものであろうか。
速谷神社の祓殿前の枝垂れ桜が満開であった。当神社では創建1800年記念事業として参詣者の利便性向上に向けて駐車場の拡張工事が着々と行われており、かつて修養道場があった隣接地(下画像右端)の桜も満開であった。
昨日紹介した宮内天王社境内に建立されている石燈籠・狛犬で、燈籠の左側は享保6年(1721)、右側の燈籠は文政12年(1829)に奉納されたものであり、左側の燈籠は厳島神社棚守寄進のものである。狛犬は嘉永元年(1848)に寄進されたものである。
宮内地区にある宮内天王社の拝殿内に八坂神社とある神額が掲額されている。江戸期の地誌には天王社・天王明神とあり、神武天皇聖蹟誌によると「神社明細帳に八坂神社となり祭神を素戔嗚尊とし剩へ明治41年(1908)鳥居修繕の際貞享2年刻宮内天王の古額面を廃して八坂神社と改額したと・・・」とあるが、なぜ八坂神社と改称されたのか定かでない。昭和44年(1969)に宮内天王社と改称したようである。
さくらのおか公園
平良小学校
可愛川公園
住吉土手
昨日は天候が良かったので市役所での所用を兼ねて桜めぐりの長距離ウォーキングをした。陽光台に隣接するさくらのおか公園の桜、平良小学校の校門の桜、可愛川公園の桜いずれも満開であった。住吉土手の桜並木には多くの人達が桜見物の散策をされていた。
数年に亘り県道294号虫道・廿日市線の速谷橋架橋工事の進捗状況を紹介してきたが本日車が通れるようになっていた。まだ周辺整備は残っているようだけど。