『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

諏訪大社参詣-下社秋宮

2024年05月16日 | 旅行










信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、下社秋宮は旧中山道と甲州街道が交わる地に祀られている。温泉地であり手水に温泉(御神湯)が使われている。社殿の周囲には7年に一度の大祭である御柱大祭の4本の御柱が立てられている。
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諏訪大社参詣-上社前宮

2024年05月15日 | 旅行









信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、前宮は本宮より少し離れた場所に祀られている。諏訪信仰の発祥の地だったが、室町中期に本宮の地に神殿が移転したようである。本殿は神明造りで伊勢神宮の用材で建てられたようである。
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諏訪大社参詣-上社本宮

2024年05月14日 | 旅行










信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、上社本宮は弊拝殿の左右に片拝殿が並んでいる諏訪造りという社殿配置のようである。四脚門は徳川家康が寄進した門のようである。7年に一度の大祭である御柱大祭の一ノ御柱のみしか撮影できなかった。
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各地の厳島神社㉚-殿居の厳島神社

2024年05月13日 | 厳島神社関連






下関市豊田町殿居に祀られている厳島神社で、江戸期の防長寺社由来によると芸州佐伯郡宮島勧請とあり、文安5年(1448)に願主佐伯盛安によって再造立されたようである。江戸期、長州藩一門家老である吉敷毛利家の5代当主毛利広包が社殿を再建している。
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信州路探訪

2024年05月12日 | 旅行







昨日は某研修旅行で名古屋から木曽路を経て、諏訪地方にきた。諏訪大社など参詣して諏訪湖畔のホテルに宿泊した。慣れないタブレットから送信。
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広島はつかいち大橋の今

2024年05月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側の橋脚工事で海中部分の工事は去年位に終わっていた。現在何かの工事が行われているようであり、上部橋梁工事に向けての準備工事が行われているのであろうか。

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抹茶碗で一服①-母里焼

2024年05月10日 | 旅行

 

 

半世紀前頃に訪れた地にあった窯元で記念に求めたものである。

安来市伯太町母里には江戸期、松江藩の支藩であった母里藩の陣屋があった所で、陣屋跡や街並み、母里焼の窯元など探訪し求めたものである。ノコギリの刃のようにギザギザの町並みがあったのを現在でも覚えている。現在、求めた母里焼窯元は廃窯となっているようである。

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河ノ原溜め池

2024年05月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

以前に紹介した河野原溜め池のほかに、迫の谷下流のジャングル化した中に小さな溜め池がまだ残されていた。宝暦2年(1752)の上平良村の地誌に「河ノ原留池 水持4畝拾弐歩 水懸り3町2反」とある。子供の頃この溜め池で泳ぐようになっていたが、浅く小さいために前述のため池に仲間達とこっそりと行っていたのを思い出した。遥か昔の話。

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井手のバイパス

2024年05月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

長野川取水口

川末川取水口

 

上平良大原地区の大原井手(仮称)は長野川から取水しているが、渇水期には水量が少ないので川末川から取水して井手のバイパス(井手名不明)を経て長野川に流入している。かつて大原井手セキの時には、原地区の井手のバイパス関係者に届け物をしていたということである。江戸期の地誌に各所の井手が記されているがこれらの井手がどれに相当するのか定かでない。
中世には森宗を所有していた桂元澄と下流の厳島社領大原御衣領の用水懸りを巡る紛争が記されており、古くから大原地区は用水不足気味であったようである。

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井手セキ(堰き)

2024年05月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

5月の第一日曜日は当ブログ主の田んぼに関係する水路の井手セキであり、水路を清掃した。現在水路はコンクリート溝となっているので作業をすることは少なくなったが、水田を作らなくなった人達も参加しての久しぶりの顔合わせとなった。かつて井手の修理に掛かった費用は田んぼの面積按分で負担していたとのことである。
江戸期の地誌に各所の井手が記されているがこの井手がどれに相当するのか定かでない。

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カナメモチ ⁇

2024年05月06日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

藤掛交差点脇の七尾陸橋歩道脇の街路樹に数多くの小さな蕾が付いている樹木があったが、当ブログ主は初めてみるようなものであった。Googleレンズで検索するとカナメモチという樹木のようである。

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造成機器が勢揃い

2024年05月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

平良丘陵開発地内で稼働していた掘削ブルトザーや運搬ダンプカーなどが、大型連休のために広場に勢揃いしていた。山が掘削されて左側向うにはアーバンビュー渚の高層マンションが良く見えるようになった。また、五日市港には大きな船が停泊しているのがみられた。

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平良丘陵開発地遠望

2024年05月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

峰高陸橋付近からの平良丘陵開発地の遠望で、昨日紹介した工事ケ所が画像右端に見える部分である。後方高い山が中世の星ケ城跡で右側の低く見える山に極楽寺がある。画像中央を横切っているのが西広島バイパスの廿日市高架橋でその手前には市道の平良佐方線の七尾陸橋がみられる。カメラ位置のすぐ下にはJR山陽本線が走っている。

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平良丘陵開発の今

2024年05月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、西広島バイパスの側道から見た開発地の最下流域の現状である。計画図によると西広島バイパス沿いには調整池が設けられるようである。

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平良っ子わいわい広場

2024年05月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

平良体躯館跡に公園が整備されていることを以前に紹介したが、工事は完成しているようであるが開園はもう少し先になるのであろうか。養生してある看板を見ると「平良っ子わいわい広場」と称されるようである。この地には平良村役場や平良小学校の講堂(後に平良体躯館)があったところである。

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