hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

沿露目(再訪)~門前仲町グルメ

2015-09-20 05:00:59 | グルメ

沿露目に初めて行ったのは14年2月だから1年半前。実はその日は東京は雪でしかも夜にかけ本降り。滑らずに門前仲町駅までそろそろと歩いた記憶がある。
それから1年半、今回で4回目の訪問。市ヶ谷の『あて』という店にいたマスターが始めた日本酒×バーカウンターという店だが、今はマスターの蝶ネクタイもすっかり板についている。今回は男2人で行くが、女性比率が高いのに驚く。店はやや分かりにくく、電話も迷う人からの電話が相次ぐが、マスターは分かりにくい方がいい、何れは玄関の店の看板も取りたいとの話だった。



まずはビールで乾杯。8月後半から雨ばかりだったため、急に晴れ間が出て、ビールが美味い。お通しはコンニャクのしぐれ煮、空芯菜とジャンボナメコの和え物。特に空芯菜が山菜のようで癖のなさに驚く。

酒はひやおろしの中から春霞(秋田県)をチョイス、つまみは3品+1汁物のおまかせを注文。

最初は沖縄モズク・ただちゃのお浸し・ミョウガとさっぱりスタート。春霞は飲みやすく、すぐに空いてしまう。



2品目はムカゴのトウモロコシ味噌和え・鯖の燻製粒からし添えが登場。3品目はいくらのしょうゆ漬け。酒はたかちよ(新潟県)の活性にごり。しっかりした味のつまみに絡みつくようなネットリ感とその割に後味の良い『たかちよ』がよく合う。さらに海苔のたっぷりかかった豆腐の澄まし汁が落ち着かせてくれる。

新たに『小イカと半熟卵の煮物』『牛スジと根菜の煮物』を頼む。小イカの方は冷たく、半熟卵を崩し、土生姜と一緒に食べると思いの外アッサリ。


酒は王禄(島根県)の渓。いつもはうすにごりを呑むが、濁らない方がすっきりしている。牛スジは暖かく、しっかりした味付け。大根が美味い。

次に金目の昆布締め、煎り酒で食べると本来の魚の味が強く出て、アミノ酸か、グルタミン酸かわからないが梅が効いてあじわい深い。酒は獅子の里(京都府)の秋あがり。爽やかに味を楽しむ。

最後に万願寺とうがらしとじゃことの煎り煮、酒は少し強めに賀茂金秀(広島県)。最後はやや煮物が重なったが、温度や味付けが異なり、何れも楽しめた。

カウンターの中も一人人が増えて余裕ができたのか、ゆったり会話も愉しめるようになった気がした。それにしても酒はよく揃い、しかもリーズナブルなまさに隠れ家にしたい名店である。


沿露目(ぞろめ)
江東区富岡1ー12ー6
0358758382


鉄砲洲稲荷神社

2015-09-19 05:00:06 | 日記

鉄砲洲稲荷神社は八丁堀駅から10分のところにある。現在の住所は中央区湊一丁目、縁起に寄ると841年に凶作に悩む住民が生成太神(いなりのおおかみ)を祀ったことに始まる。今の周辺に江戸時代に移されたもので、江戸水路の入口にあることから船乗りの崇敬を集めた。さらに1790年には富士塚も作られ、人気があった。(ちなみに山開きの7月1日のみしか登れない。)


広重の名所江戸百景にも描かれ、この辺りは京橋川が隅田川と合流する河口から南に伸びる洲を鉄砲洲と呼んでいた。

その名前は格好が鉄砲に似ていたからとも、徳川家が入府の際に大砲の試射場があったからとも言われている。

今も大祭の際には数え切れない若い衆で賑わう神社も平日の夕方には人は殆どおらず、社殿で昼寝をしていた猫くんも殆ど動かない。寝ているのかと思い近づくと、ふんと奥に行ってしまう。まあ、のんびりと時が流れていく。


ここからわずかに南に行くと、今は聖路加国際病院があるが、このあたりに福沢諭吉が江戸時代末期に私塾を開いたのが、慶応義塾であり、日本の近代文化発祥の地の碑も残されている。


翁庵~上野ランチグルメ

2015-09-18 05:00:42 | グルメ

老舗の蕎麦屋の中で行ったことのない店を最近近くに寄るたびに一つずつ訪問している。今回お邪魔した翁庵は上野駅から徒歩3分くらいのところにあり、周囲は仏具店が並んでいる。しかし、皆店づくりが新しくなる中でこの店はポツリと残された老舗である。

老舗の中にはもりそばを2箸食べたらなくなる程の店も多いが、この店は昔ながらの町の蕎麦屋を貫いている。

引き戸を開けると勘定場におじさんがひとり。気にもせず席に着き、お品書きを見ていると先客がご馳走様とそのおじさんに言って出ていく。あれ?勘定は?と思うと小さく食券売り場と書いてある。お姉さんには別にどちらでもといわれるが、折角だから食券を購入。

この店は丼も豊富で腹も減っていたため、思わず『かつ丼 上』(1150円)を注文する。実はこの店の食べログを見た際にかつ丼の写真が載っていたのもその原因かもしれない。因みに小生以外に5人の人がいたが、4人が冷たいそば、ひとりが暖かいそばでご飯ものは小生のみであった。

5分ほどでかつ丼登場。丼以外に味噌汁と漬物が付いている。蓋をとると中々の厚みのカツをたっぷりの卵でとじてある。最近のかつ丼はやや薄めのカツをパリパリのまま出汁と卵でとじるいわゆるパリパリ系やややしっとりしながらもパリパリ感を残す中間派が席捲する中で本当のしっとり系のかつ丼である。しかし、肉は柔らかく、タレはさすがに老舗蕎麦屋だけあって美味いかえしを使い流石の美味さである。

ともすれば肉の衣が剥げてしまいそうだが、食べるほど美味さを実感、漬物も胡瓜・大根・キャベツのぬか漬けや味噌汁も三つ葉が乗りスッキリ。東京風の懐かしいかつ丼はたまには食べに行きたい味である。ただ、次回はそばをたべたいと思う。


翁庵
台東区東上野3ー39ー8
0338312660

9月の阪神タイガース

2015-09-17 05:00:28 | 日記

小生は9月の阪神タイガースにはあまりいい思い出がない。残念ながら毎年8月までは結構いい線で戦っているのに9月に入ると尻すぼみになることが多い。
ここ数年の状況を見てみたい。和田監督が就任したのが、2012年。初年度は先発投手の駒不足が露呈して首位の巨人と31.5ゲーム差で5位と低迷、初めてクライマックスシリーズにも出場できなかった。

翌2013年は藤川球児が大リーグに移籍したため、抑えに回った久保が十分な試合を作れなかったことが大きく、7月には巨人に6.5ゲームの差を付けられ、さらに9月以降は10勝18敗と尻すぼみのシーズンになった。結果2位には入ったが、これを引きずりクライマックスシリーズも3位の広島に連敗してシリーズは終了。

2014年はスタートダッシュに成功、8月末の時点で62勝55敗の成績で9月に突入した。しかし、9月5日から中日・巨人にまさかの6連敗を喫し、結局、巨人に優勝を許した。しかし、そこから11勝6敗と最後まで頑張り、これをクライマックスシリーズに繋げた。(9月以降の成績は13勝13敗)ファーストステージは広島に1勝1分、ファイナルシリーズは巨人に4勝0敗と抑えに呉昇桓を据えたことが大きくチームを変えることができた。

こうした流れの中で今年を迎えているが、9月に入って阪神の成績は5勝5敗、その状況を分析すると通算防御率3.54に対し9月の防御率は2.27と1点以上改善している。
一方、打撃は通算打率.247に対し9月は.222。他にも打点は通算1試合打点が3.20に対し9月は2.63。ホームランは10試合で2本、鳥谷と新井だけである。前年の打点王と首位打者のゴメス(.167)とマートン(.178)では中々点が取れないのはやむを得ない。やはりこの2人の調子が残り試合の勝利に大きく関わってくるものと思われる。

さらに投手も岩田、岩崎が2敗ずつしている。それほど内容が悪いわけではないが、貧打のため、先制を許すと中々追いつけないのだ。
これから終盤にかけてはお互いに慎重になっていくことは目に見えており、相手チームと先発投手の相性、1点を大切にすることなど当たり前のことを当たり前にやり切れたチームが優勝するものと思われる。3強が広島みで含めた4強となる中、ぜひ今年の球団創立80周年を優勝で飾って貰いたい。


築地市場駅~築地駅

2015-09-16 05:00:46 | 日記

『metroに乗って』その27。今回は都営地下鉄大江戸線築地市場駅で下車して日比谷線築地駅を通り、大江戸線勝どき駅まで歩いてみたい。

大江戸線築地市場駅はまさに築地市場のすぐそばにあり、他にも朝日新聞本社や国立がんセンターにも数分のところ。最近は外国人の観光客が増えて、日中は外国人だらけである。


駅を上がり、築地市場に向けて歩くと右側に市場が出てくる。さらにその先が場外市場で魚や加工品を売る店に加え、寿司屋やラーメン屋、うどん屋など飲食店が軒を並べている。



さらに交差点を越えると右側に築地本願寺が出てくる。この建物を初めて見たときにはとても日本の寺院とは思えなかったが、これは江戸時代浅草にあった築地本願寺が振り袖火事(1617年)に焼失。


区画整理のため代替地として八丁堀沖を指定され、門徒が中心になって海を埋め立て、土地を築き、1679年に再建された。しかし、関東大震災で伽藍を焼失、古代インド様式の今の建物が竣工したのは1934年である。

広大な玄関から本殿にお参りに行くが、中も立派で教会のような作り、それでも真ん中には阿弥陀如来像が置かれ、経が唱えられている。しかし、振り向くとパイプオルガンもあり、中々変わった様式である。ちなみに本堂は国の重要文化財に指定されている。

それにしても築地の元になった土地は重機などない江戸時代に浄土真宗の門徒が信仰心から協力して造ったものとは、その信仰心の厚さには感動ものである。


そこまで来るともう地下鉄日比谷線築地駅はすぐ前にある。(以下次回)

大内宿

2015-09-15 05:00:18 | 旅行

福島県の中で注目度が高くなった観光スポットと言えば大内宿であろう。1985年には年間観光客が2万人であったが、91年に野岩鉄道開通で50万人となり、その後の環境整備などもあり、現在は100万人を超え、ピークには渋滞を招くほどである。

大内宿は会津若松と日光を結ぶ会津西街道の会津若松から3つ目の宿場町で、今も江戸時代の街並みや建造物がタイムスリップしたかのように残されている。また、1981年に重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。宿場町で同様の指定を受けているのは奈良井宿(長野県塩尻市)、海野宿(長野県東御市)、妻籠宿(長野県南木曽町)、関宿(三重県亀山市)、佐々並市(山口県萩市)などがある。


小生は今回初めて訪問したのだが、8月下旬に家を5時半に出て白河ICから甲子高原経由で50km、ゆっくり走って午前9時に到着。まだ、駐車場もガラガラの状態で早速宿場町に入る。するとまだ店がやっていないからか、殆ど人がおらずよい写真が撮ることができた。

茅葺屋根の広重の浮世絵に出ているような街並みがそのまま残されている。江戸時代と違うのは水路がかつては中央を通っていたのを両側に変えたことくらいらしい。もちろん、かつては電信柱も電線も舗装道路もあったが、それらを地中に埋設するなど、昔同様の姿に変えるという努力の賜物がこの風景である。


街を歩くと植えられているえんどう豆の赤い花やひまわり、ススキ、ムクゲなどが風情を盛り上げ、猫も幸せそうにマタタビに酔っていた。

街並みの1番奥まで行き、階段を上ると神社があり、そこからは街並みが一望できる。そしてここから見た風景がいつもガイドブックに載っているものであった。

ゆっくり散策、街並み展示館も見学するが、中では囲炉裏に鉄瓶が掛けられていて煙でむせる始末。それにしても昔ながらの道具をよく集めたなと感心。当時は2階は蚕棚として使われていたようだ。


朝ごはんを十分食べていなかったので開いていた『こめや』という蕎麦屋で蕎麦を頂く。中も昔ながらの造りで冬景色の絵も飾られていた。注文は有名な『ねぎそば』(1100円)にするかを悩んだが、この店の名物の『おろし揚げ餅そば』(950円)とコスパを比較しておろし揚げ餅そばとざるそば(850円)を注文。


その後、隣のカップルが先に注文したねぎそばが出てきたが、かけそばにねぎが一本まるまる入っているだけで、まずは、食べにくい、また、ねぎが辛いと言って半分食べて帰って行ったのでやはりおろし揚げ餅そばの選択は間違っていなかったかなと感じる。

実際に登場したおろし揚げ餅そばは揚げた餅が香ばしく、大根おろしとよくマッチして大変美味かった。ざるそばはコシがあり、もし2人で行くなら両方を頼むとより楽しめる。

そば処 こめや 0241682926

それにしても大内宿はよく江戸時代の宿場町がきっちりと保存出来ている街で、日本の原風景を見ているようで長くいても全く飽きない。ただ、やはり大混雑ではなく、朝早くひと気が少ないほうがより良い街並みが観れると思う。

空いっぱいのうろこ雲

2015-09-14 05:00:50 | 日記

通常は秋になるとうろこ雲を見ることが増える。うろこ雲は気象学的には『巻積雲』と言われ、高度は5000m~15000mというからかなり高い雲である。また、その名前も鰯雲、レンズ雲、鯖雲、ひつじ雲などと呼ぶこともある。今年は盆明けから秋雨前線、台風など天気が悪い日が続き、太陽が顔を出すことも少なかったため、うろこ雲をみるのも久しぶり。

よく台風一過というが、台風17号は日本を横断して日本海に抜けたが、直接の影響より熱帯低気圧になってから線状降水帯という不思議な気象状態を起こし、栃木県や茨城県などに記録的な大雨を降らせた。そして、台風一過の晴天は1日遅れで9月11日にようやくやってきた。

朝起きると青空にはうろこ雲、それも空の半分とかではなく空全体がうろこ雲で少し驚く。あまり詳しくはないが、空全体というのは珍しく感じた。6時ころはそんな空が続いた。

その後、10時頃外出すると徐々に青空の比率が増えてはきていた。その後、昼前には青空に覆われたが、空が高く澄んだ気がしたのは暦と台風のせいかもしれない。

おなじ29℃も少しは過ごしやすく感じる。こういうのを季節を感じるというのかも知れない。ちなみにうろこ雲の後は70パーセント位の確率で天気が悪くなるらしい。つまり、この雲が出ている際にはペナール対流という現象が上空で起きて、低気圧や前線の接近が近いなどの前兆と言われている。

ほかにも巻雲や積雲など色々な雲が空に出て、空をみるのも楽しくなる季節である。

東京→夢の下町 バスの旅

2015-09-13 05:00:41 | 日記

バスシリーズ その8。都バスで唯一の観光路線バス『東京→夢の下町』に乗車。路線は土日は東京駅~日本橋~神田~上野~浅草~押上(スカイツリー)~錦糸町。平日は上野~錦糸町のみで運行。

まず、この路線は1981年に台東区から委託を受けた東京都交通局が上野広小路~浅草雷門で二階建バスの運行を始わめた。(2001年3月に廃止)この路線を伸ばすような形で2008年4月に都内観光名所を結ぶ便利な観光路線として当初は両国から出ていた。通常の路線と異なり、観光名所のバス停に限り日中に20分おきに運行されている。


今回は錦糸町駅北口からスタート。バスは一般車両(2003年式日野レインボーHR)を改造したもので銀色の塗装に丸窓、後部座席も丸みを帯びているなど特色を出している。



定刻に錦糸町駅をスタート、すぐ左折して北上、東京スカイツリーを目指す。左側にはその姿は見えてくるが、大きすぎて写真に入りきらない。押上駅を左折、雷門通りをまっすぐ、途中リバーピア吾妻橋(墨田区役所)に停車。普通に乗客は増えてくる。

吾妻橋を渡り、雷門に停車。さらに浅草1丁目に停車後左折して、その先の浅草通りを右折。菊屋橋(かっぱ橋商店街入り口)に停車。そのまま、上野駅に到着。終点は上野松坂屋前(上野広小路)である。

乗客は多いが観光客というより一般客が多い。車内の表示は観光客を意識しており、4ヶ国語でアナウンスされたり、4ヶ国のパンフが常備されていたり。小生はバス車体が格好良く、満足した。



京橋あたりの記念碑

2015-09-12 05:00:35 | 日記

かつて東京市が旧35区(うち都心15区)であった時代には現在の中央区は旧日本橋區と旧京橋區に分かれていた。その名残が旧日本橋區の方は全ての地名に『日本橋』がついている点である。一方、京橋は地名や駅名としては残されているが、地名に京橋○○町というものはない。

今回は鍛治橋通りから中央通りを経て首都高京橋ランプまで歩いて旧跡を巡る。

鍛治橋の角には日東紡ビル、福岡ビルなど比較的古いビルが並んでいるが、反対側の明治や片倉チッカリンのビルは建て直されてかなり趣きが変わっている。

その片倉館に残されていたメダリオンが新しいビルの前に記念として飾られている。




さらに裏側には明治・大正・昭和・平成の写真付きのパネルもあり、時代を感じさせる。
その先が中央通り、右に曲がるとすぐに京橋に到着する。京橋は元は京橋川に架かる橋であったが、高速道路建設に伴い1959年に京橋川が暗渠到着なった際に欄干のみを残し、橋は無くなった。



橋のあった後には欄干と橋の碑が残されている。更に近くにはガス燈の碑、京橋大根河岸青物市場跡の碑、東京歌舞伎の碑などが残されている。

江戸時代は京橋川河岸には大根を中心とした野菜の荷揚げ市場があり、このあたりは『大根河岸』と呼ばれた。関東大震災まで続いたが、その後野菜市場は神田・築地に移り、それを偲び『京橋大根河岸青物市場跡の碑』が建てられた。


『江戸歌舞伎発祥の地』は中村座の始祖である猿若勘三郎が1624年に中橋南地で櫓を上げたため、この地に碑が建てられたものである。

さらに昭和通りを越えて京橋ランプに向かうと左側には『三つ橋の跡』の碑がある。これは明治の頃までは4本の川が交差し、楓川には弾正橋、京橋川には白魚橋、三十間堀には真福寺橋が架かっていた。この3つの橋を三つ橋と称していたため、この碑が建てられた。今も橋はあるが、下には高速道路が通り、水の代わりに車が流れている。


京橋自体が何処に橋があったのかも分からない状態になっているが、かつては京橋川を中心に栄えていた江戸時代の一部を碑を巡るだけでも偲ぶことができる。

シルバーウィーク考

2015-09-11 05:00:25 | 日記

9月の5連休をシルバーウィークと名付けたのは誰なんだろう。そんなことをふと考えた。そもそもシルバーウィークが始めて登場したのは2009年のこと。

シルバーウィークが発生するしくみからまずお話してみる。1985年の祝日法(国民の休日に関する法律)の改正で『その前日及び翌日が国民の休日である日(日曜日にあたる日を除く)である場合は休日とする』と規定された。これが適応されるのは『秋分の日が水曜日』にあたる場合である。というのは2001年の改正(2003年施行)で『海の日、敬老の日を7月、9月の第3月曜日』に変えたため、その年の9月のカレンダーは第3月曜日と第3水曜日(秋分の日は9月21日~23日になるため、必ず第3週になる。)が休日になり、火曜日が国民の休日につまりシルバーウィークとなるからである。

シルバーウィークの起源は2008年に三菱ビルテクノサービスが『2009年のカレンダー調査』をウェブで行い、『2009年9月の連休に名前をつけるなら?』との問いに対しシルバーウィークが1位となった結果が報道され、一気に定着したものである。

ゴールデンウイークと違い毎年出現しないが、これからのカレンダーを見ると今後現れるのは2026年、2032年、2037年、2043年、2049年とあまり多くはない。次回が11年後と考えるならば、今年のシルバーウィークを楽しんでおくべきであろう。

まあ、こと小生のことを述べると次回には68歳つまりもう毎日が休日になっているかもしれず、今回が恩恵も最後かも?と考えると少し寂しいシルバーウィークである。