かぶれの世界(新)

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「大洲市将来構想」批判

2005-08-26 16:06:00 | 社会・経済
私の故郷大洲市は今年長浜町、肱川町、河辺村と合併した。合併に備えて作られた「大洲市将来構想」と「大洲市建設計画」は市のウェブサイトから閲覧でき、夏休みに帰省した機会に読ませてもらった。新市制が地理的にどうなり、どういう人がどこに住み、経済活動がどう営まれているのか、それを踏まえて将来どうしたいのかまとめられている。

視点を変えて投資家の目で見てこの将来計画が魅力的か、端的に言うと将来どれだけキャッシュフロウが期待できるかという視点で見ると、残念ながらこの大洲市将来構想には投資したいと思わせる魅力的なものがない。株主である住民に対しては投資不適格、勧められないということである。

ザット見ただけでいうのも気が引けるが、先ず議論のベースになる現状認識に欠ける。現状データはあるけれども単なる数字の羅列で、数字の持つ意味が説明されておらず、これでは現状認識されているとはいえない。数字の裏にある原因を深く追究し明確にしなければ、将来計画は絵に書いた餅になる。例えば直ぐに目に付くのが、何故長浜町の人口が減っているのか、旧大洲市も実は同じではないかという疑問である。又、肝心のバランスシートがない、一体いくら借金があるのか分からない。

経営視点から見た「将来構想」は実現する気概もない単なる作文であると直ぐに指摘されそうである。旧大洲市を一括りで議論するのは乱暴すぎ、問題の本質を失う。旧大洲市を旧長浜町と同じまな板の上で議論するのは無理がある。すっかり廃れた感じになってしまった大洲本町界隈を見ると、大洲市は行政区分に拘らずに特徴を持った地区に分割すれば問題の本質が浮かび上がってくるはずである。将来人口の前提は大洲市の税収を決めその経営に大きな影響を与えるはずである。その人口を5.1万人の現状維持と見るのは単なる希望で、それを可能にする施策も明確でなく根拠など全くないように思える。

新大洲市は何が資産か、何が売りか、何を次の世代に残すのかもう少し突き詰めて見直すべきである。合併の結果、肱川に沿った盆地の城下町から海と山のある町に人口の約30%が65歳以上の老人が住み主要な産業がない高齢化社会が新大洲市のプロフィールである。しかし、必ずしも悲観的なる必要はない。いわば日本の高齢化社会を先取りすると思えば、最先端のモデル町になれるかもしれないし、お手本もあるかもしれない。

我が国はバブル崩壊後700兆円もの財政赤字を積み上げたことを教訓とし、箱物がキャッシュフロウを増やさないことは明確になった。然るに、大洲市は現在既に建設費の比率が全国平均を大きく上まわり非常に高いことは認識されている。依然として都市計画は重要で新大洲市の核を作るうえで必要である。しかし限られた財源の下では、新大洲市のコンセプトに基づいたものを優先しなければならない。又、若宮から新谷にまたがる新興地帯に規律を持ち込み、自然と歴史を大事にする大洲市のコンセプトに基づいた街づくりなければならない。空洞化した旧市街地や長浜町の活性化と連動させることも重要である。

言い換えると箱物以外のソフトウエア投資を増やすことを強く提案する。こういうコンセプトは旧市街と新しい町(ダウンタウン)が並立するサクラメント市など世界に多くの例がある。シドニーは港から見える町の形が楕円形になるような規制がある。大洲市はどこから見える景色をシンボルとして大事にし、それに惹かれて町に降り立ったとき期待を裏切らない町並みにするのか。

箱物の「点」の投資から、互いの連携を強め「線から面」の投資を箱物以上にすべきである。例えば大洲城の復元がどういう文脈の中で行われたのか、回りの町並みを合わせてどう変えていくのか、矛盾しないか、それが現代の大洲市の株主価値をどう高めたのか、今後どう活用すべきか。更にその価値がどう変わったか評価できる数値目標を設定し毎年計測し計画を見直していく継続的改善の仕組みが必要である。

プランを作った方には申し訳ないが全体に発想が「縮み思考」である。市内の発想すら旧来の行政区分でしか考えられてない。隣接する自治体、県、九州などとの関連で考え連携することなど露すら考えたことが無い様である。姉妹都市があってもお飾りかなんかで、海外との連携など夢のまた夢か。外から視点がぜひとも必要である。気が付かなければ童門冬二「中江藤樹」を読めばいい、如何に歴史的に大洲人気質が内向き志向なのか分かる。外部の目、専門家の目、新しい血が必要なのである。かつて大名とそのスタッフは外から来て大洲を設計しトップダウンで作り上げたではないか。

観光の視点からいうと新大洲市を南予観光のハブと位置づけることが出来るかもしれないと個人的には思う。即ち、北に向かい内子・松山方面、西に向かい三崎町から九州方面、南に向かい宇和や宇和島方面から高知に向かうハブになりうる。反対もあろうがこれに経済特区として「カジノ」を併設する組み合わせも考えられる。観光でなくとも新大洲市が単独で繁栄する可能性は限りなく低い、連携する中で解が見えてくることを忘れてはならない。

何をするにしても経済的裏付けが必須である。新大洲市は初めから膨大な借金があると聞いており、サービスレベルをキープしながら歳出をどうやって削減していくか全くプランがないのはどういうことなのだろうか。市内の資産の殆どを所有する高齢者の基本的特徴は、生産貢献は出来ないが「純粋消費者」と「純粋投資者」の性格を持つ。高齢者の消費を喚起すると同時に農協や銀行の口座に眠っている個人の資産の有効活用を考えるべきだ。その過程でNPO、ボランティアと連携を図り、与えられるものではなく市民自身が作り上げるというコンセンサス作りが重要である。高齢者を弱者保護の対象としてのみ考えた行政はジリ貧で若者に魅力のない街づくりの最短距離になると認識すべきである。

深く考えもせず事情を知らない者が勝手なことばかり言っていると叱られそうです。やや批判の為の批判になったかも知れません。苦労して構想を作られた方には大変申し訳ないが、郷里を愛する者が愛するが故の老人の泣き言と許されたい。■


コメント (2)
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