今回から話はカリフォルニアに移る。転居したサクラメント市はサンフランシスコから東に向かい内陸に車で約2時間余の小さな町だがカリフォルニアの州都で、現在はシュワルツネッガー知事が、当時はレーガン大統領がかつて州知事をしていたところである。米国ではそういうところは概して黒人を始め少数民族が移住してきて犯罪率の高いところが多いが、サクラメントも例外ではない。郊外に陸軍のデポや刑務所があり、電話帳を見るとベイルボンドといって保釈金貸し業の宣伝のページ数が異常に多いことに驚いたことがある。
引越し後落ち着いたところでイエローページ(電話帳)を開いて新しいマッサージ・セラピストを探し始めた。候補は沢山見つけたが、サチコさんの助言に従っても誰を選べばいいか全く見当もつかない。所々に共通の略語の表示があることに気が付いた。よく記憶していないが確かCMT(Certificated Massage Therapist?かなんかの感じだった)が、それを条件に女性の名前と住所を確認して3人候補を選び電話で予約し順番に試してみることにした。
最初のセラピストは郊外のアパアートからワッツ通りを南にアメリカン川を渡って直ぐの住宅地に住んでいた。その町の通りに入るや否や直ぐに来たことを後悔した。米国にしばらく住むと歩いている人の様子、家や芝生の手入れの具合、止めてある車を見てその地域が安全かそうでないか直ぐに分かるようになる。後から聞くとここは行かないほうが良いと助言を受けた所である。しかし、マッサージに飢えていた私はかまわず目的の家を見つけ玄関のドアベルを鳴らした。外観は比較的小奇麗なランブラー(1階建て一軒家)で看板など一切なかったが番地表示があったので迷うことはなかった。
出てきたのは初老の小太りで穏やかな感じの婦人でほっとした。型どおり質問表を埋め簡単に自己紹介しマッサージが始まった。自宅を診療所にし、スウエーデン式であった。やり方は良く分かっていたので部屋の感じからマッサージの進め方まで予想通りに進みあまり印象に残っていない。彼女は夫に先立たれ子供は独立し年金で暮らしているといっていた。マッサージは普通で特に良くも悪くもなかった。
次の週は日系アメリカ人のような名前の女性だった。電話では訛りの強い英語で道順を教えてくれたが私には聞き易かった。日本人特有の訛りだったからだと思う。今回はダウンタウンの東にある自宅から西南に高速80号、5号を通って小1時間かかるところでかなり手間取ったが、前週よりはずっと安全な感じのする所に診療所を見つけた。玄関を入っていくと先客が身なりのいい中年の女性だったので安心した。
ミミさんは1世の日系アメリカ人で一言二言言葉を交わしてその後直ぐ日本語の会話になった。弱視の為日本の盲学校に入りそこで按摩技術を身につけ、若い頃に日本式マッサージという特殊技術保有というビザをもらってグループでサンフランシスコに渡り、色々な経緯を経てサクラメントに家庭を持ちマッサージを続けているという。
彼女のマッサージはさすがプロというかツボを押さえたもので、その後スエーデン式や足踏みマッサージをやってもらったが何でもそつなくこなした。足踏み式は天井に物干し竿のようなバーがぶら下がっており、彼女はそこに摑まってバランスと強さを按配して私を踏みマッサージしていく。しかし、結局のところ日本式の按摩が一番私には合っており最終的に普通の日本式の按摩をお願いした。
3週目は80号線を北東に1時間走ったローズビル市に近い郊外の住宅地で、私のアパートから最も遠いが雰囲気が良く比較的裕福な住宅地のように見えた。ガレージが二つ、玄関はこじんまりしているがバックヤードが広い2階建ての良く手入れされたうちだった。ベルを押すと品の良い銀髪の中年婦人が出てきて居間に案内してくれた。MJも子供が独立して夫と二人で暮らしているという。
彼女のマッサージも予想通り普通のスウエーデン式で、腕前も普通だった。BGMは他と同じような感じの環境音楽だったが、部屋の窓が広くて明るく、カーテンと花や絵で美しくデコレートしてあり、私はお決まりの薄暗い部屋より気に入った。話している間に休暇で帰っていたというお嬢さんが、会計士として働いているサンフランシスコに戻るといって母親とハグをして出て行った。すごい美人だった。マッサージを受ける前から又来ようと決めたが、その後2度と幸運はこなかった。
3週間のトライアルの結果、ミミさんを毎週やってもらうメインのセラピストに決めたが、バックアップとしてMJのところにも時々行くことにした。帰国後出張でサクラメントに長期滞在した時は何故かMJのところに行った。多分お嬢さんの顔を拝みたかったのだろう。■
引越し後落ち着いたところでイエローページ(電話帳)を開いて新しいマッサージ・セラピストを探し始めた。候補は沢山見つけたが、サチコさんの助言に従っても誰を選べばいいか全く見当もつかない。所々に共通の略語の表示があることに気が付いた。よく記憶していないが確かCMT(Certificated Massage Therapist?かなんかの感じだった)が、それを条件に女性の名前と住所を確認して3人候補を選び電話で予約し順番に試してみることにした。
最初のセラピストは郊外のアパアートからワッツ通りを南にアメリカン川を渡って直ぐの住宅地に住んでいた。その町の通りに入るや否や直ぐに来たことを後悔した。米国にしばらく住むと歩いている人の様子、家や芝生の手入れの具合、止めてある車を見てその地域が安全かそうでないか直ぐに分かるようになる。後から聞くとここは行かないほうが良いと助言を受けた所である。しかし、マッサージに飢えていた私はかまわず目的の家を見つけ玄関のドアベルを鳴らした。外観は比較的小奇麗なランブラー(1階建て一軒家)で看板など一切なかったが番地表示があったので迷うことはなかった。
出てきたのは初老の小太りで穏やかな感じの婦人でほっとした。型どおり質問表を埋め簡単に自己紹介しマッサージが始まった。自宅を診療所にし、スウエーデン式であった。やり方は良く分かっていたので部屋の感じからマッサージの進め方まで予想通りに進みあまり印象に残っていない。彼女は夫に先立たれ子供は独立し年金で暮らしているといっていた。マッサージは普通で特に良くも悪くもなかった。
次の週は日系アメリカ人のような名前の女性だった。電話では訛りの強い英語で道順を教えてくれたが私には聞き易かった。日本人特有の訛りだったからだと思う。今回はダウンタウンの東にある自宅から西南に高速80号、5号を通って小1時間かかるところでかなり手間取ったが、前週よりはずっと安全な感じのする所に診療所を見つけた。玄関を入っていくと先客が身なりのいい中年の女性だったので安心した。
ミミさんは1世の日系アメリカ人で一言二言言葉を交わしてその後直ぐ日本語の会話になった。弱視の為日本の盲学校に入りそこで按摩技術を身につけ、若い頃に日本式マッサージという特殊技術保有というビザをもらってグループでサンフランシスコに渡り、色々な経緯を経てサクラメントに家庭を持ちマッサージを続けているという。
彼女のマッサージはさすがプロというかツボを押さえたもので、その後スエーデン式や足踏みマッサージをやってもらったが何でもそつなくこなした。足踏み式は天井に物干し竿のようなバーがぶら下がっており、彼女はそこに摑まってバランスと強さを按配して私を踏みマッサージしていく。しかし、結局のところ日本式の按摩が一番私には合っており最終的に普通の日本式の按摩をお願いした。
3週目は80号線を北東に1時間走ったローズビル市に近い郊外の住宅地で、私のアパートから最も遠いが雰囲気が良く比較的裕福な住宅地のように見えた。ガレージが二つ、玄関はこじんまりしているがバックヤードが広い2階建ての良く手入れされたうちだった。ベルを押すと品の良い銀髪の中年婦人が出てきて居間に案内してくれた。MJも子供が独立して夫と二人で暮らしているという。
彼女のマッサージも予想通り普通のスウエーデン式で、腕前も普通だった。BGMは他と同じような感じの環境音楽だったが、部屋の窓が広くて明るく、カーテンと花や絵で美しくデコレートしてあり、私はお決まりの薄暗い部屋より気に入った。話している間に休暇で帰っていたというお嬢さんが、会計士として働いているサンフランシスコに戻るといって母親とハグをして出て行った。すごい美人だった。マッサージを受ける前から又来ようと決めたが、その後2度と幸運はこなかった。
3週間のトライアルの結果、ミミさんを毎週やってもらうメインのセラピストに決めたが、バックアップとしてMJのところにも時々行くことにした。帰国後出張でサクラメントに長期滞在した時は何故かMJのところに行った。多分お嬢さんの顔を拝みたかったのだろう。■