かぶれの世界(新)

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大衆報道の光と影

2008-03-09 11:58:09 | ニュース

ディアのポピュリズム的報道は大衆の感情に訴え大きな影響力を持つが、時に国を誤らせる。最近も気になる報道を見かけた。それは自衛隊のイージス艦と民間タンカーの海難事故報道姿勢の差だ。自衛隊の問題はあったろうが彼等の一方的な過失ではなく、今後裁判等で明らかにされる事実とのギャップが又もや出て来るだろうと私は予測する。

イージス艦の漁船との衝突事故は初めからイージス艦が全面的に悪いという前提で、徹底的に自衛隊側を攻撃する集中豪雨的報道だった。しかし海難事故でどちらかが一方的に悪い等ということがあるのだろうか。報道は最初から自衛隊を悪者に仕立てる意図だったと考えられる。

報道はもっと広い視野から何が起こったか知らせる姿勢をとるべきだ。石破大臣辞任報道と遺族側が留任して徹底的に原因追及を求めた声との間にも違和感があった。その後明石海峡での民間タンカーの衝突事故では、一転して誰が悪者か決め付ける思い入れ偏見の無い、全方位から見た事故状況の報道で誠に対照的だった。

ある特定の事件の報道になるとメディアは何故これほどに視野狭窄になり、事件を全方位から見て国民に知らせることが出来なくなるのだろうか。先ずは100%黒も白も無いという謙虚な姿勢から始めることが何故出来ないのだろうか。日本の報道各社が予断を持った事件は他にもある。

兵少女暴行事件もその一つだった。事件が起こると報道陣が大挙して小さな町に押し寄せ、根掘り葉掘り米軍の不祥事に関る情報を聞きあさり、集中豪雨的かつ扇情的に報道する。何故少女が自発的に米兵のバイクに乗ったのかなどという疑問は、問いかけることさえ圧殺してしまう。しかし、米兵が関って無かったら全国ニュースにはならなかっただろうし、少女の軽率さや学校や家庭での教育が適切だったか問いかける報道が一方でなされただろうと予想される。

最も典型的なポピュリズム報道は、昨年起こった新潟県中越地震後の原子力発電所の中核となる安全性と外れたところでの恐怖を煽るものだった。発電所の耐震強度が不足しており現実的でないことがわかった。しかし、その後の国際機関の調査により、柏崎刈羽原発は実は世界最高水準の安全な原子炉であり、その耐震設計ノウハウを世界に水平展開すべきと報告された。

本件に関する報道をトータルすると割かれた紙面の比率はバランスが取れてなかった。未だに原子力に対する非科学的で異常なアレルギーがメディアに残っている。化石燃料が高騰する中で原子力発電技術は我国の数少ない強みであり、一連の報道は理解に苦しむものだった。

路特定財源についての報道はやや扇情的なきらいはあるものの、執拗な報道によって官僚が隠蔽した不祥事を掘り起こし、単なる減税議論にさせず本質的に政策の優先順位の問題だと国民に認識させた。メディアの執拗な報道が本質的な問題に光を当てたといえる。

人気の東国原知事の連日のパフォーマンスが報道される中、一方で道路特定財源の問題について視野を変えて見た報道は、何処に問題があるか国民の理解を深め重要な政策課題に昇格させ、議論を矮小化させなかった。大衆報道がもたらした「光」の部分であると評価したい。

この後期待するのは道路特定財源の用途をマクロでも把握し、個別にその妥当性・優先順位を議論できるところまでメディアに期待したい。自治体の首長と住民の意思とは必ずしも同じではない構図も見えてくるはずだ。そこで示される民意が議論に反映されるまでメディアに期待したい。■

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