このところ米国のメディアはニューヨーク知事のエリオット・スパイツアー氏のセックス・スキャンダルで大騒ぎだ。彼はニューヨーク州検事トップの職にあった時、ウォールストリートの不正摘発に力を発揮し絶大な人気を誇っていた。その大騒ぎ振りで大統領予備選も影が薄くなった。
ニュースを見て驚いたのは、知事が辞任表明した短い記者会見に妻が同行し、全米の好奇の目に曝されたことだ。これがアメリカだといえばその通りだ。過去の著名人のスキャンダルでも必ずといってよいほど妻が夫の横に付き添ってインタビューに臨むのは見慣れたシーンだ。
彼女達はインタビューの間ずっと無表情で立っているだけだ。気の毒で見ていられなかった。米国のあるべき妻像があってその役を演じている、それがこの後の家族の為であり自分の為であるという功利的な側面があるという。
CNNを見ていると知事の相手は数時間で4‐5千ドルを稼ぐ22歳の高級プロスティチュート(日本語では書きにくい)で、信じられないことに顔写真が公表されていた。家族はたまらないだろう。
顔写真の公開は信じられない。しかし、私がどうにも理解できないのは、何で夫の不倫の言い訳に妻が立ち会う必要があるのかだ。これは究極の拷問とさえ思う。米国人はこんなろくでもない習慣をなんとも思わないのだろうか。
そう思っていると違和感を持つ米国人もいることに気が付いた。よく意見を聞くメル友に聞くと、彼女もスパイツアーは一人で記者会見に行くべきだと返事がきた。米国で人気のある時事批評コメディでスパイツアーは妻じゃなくて、不倫女性とポディアム(演台)に立ったらどうかといって受けていた。いい考えだ。■