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漢 |
検協会の大久保理事長親子が袋叩き状態にある。報道を見る限り、非難されて当然の事をした報いのように私も思う。だが、私はこの集中豪雨的な袋叩きに違和感がある。例によって、見方を変えて天邪鬼アプローチをしてみる。
1.漢検協会の問題はそんなに時間や紙面を費やすべきことか、もっと大事なことが山ほどあると思う。メディアの何が重要か報道の優先順位には疑問がある。ニュースをどう伝えるか、視聴者が興味を持つことを優先して報じるだけで良いとは思えない。芸能ニュースと混同しては困る。
2.大久保理事長の親族が経営する企業4社に協会の利益を移転するやり方は、何か見慣れたスキームだ。官僚が行政法人を作って役人を天下らせそこに税金を流すスキームと同じじゃないか、文科省は心のどこも痛まないでよく指導できるものだと思う。
3.今日の漢字ブームは大久保氏の貢献度大と思う。正当な評価はすべきだ。憶測だが、彼の目の付け所と長い苦労が実り、利益を生み始めた時から、漢字を普及しようとした志がソロバンに替わったのだろう。しかし、彼がくすねた金額をはるかに上回る成果を国民にもたらしたかも知れない。漢字ブームはテレビ局にもかなりの利益をもたらしたはずだ。
4.叩いても安全な負け犬と思ったら、やたら滅多ら袋叩きにしている「みっともなさ」を私は感じる。こういう時は、謝罪とそれをどう具体的な行動に移すか、少し離れて見守ってはどうだろうか。彼がそういう倫理観を持ち合わせてなく、もう手遅れかもしれないという声は理解できるが。
大 |
久保氏が協会を私物化した覚えがないというのは、漢検協会をここまで育てて来たと言う自負からか、単なる言い逃れか私には分からない。しかし、協会を公益法人化した時から、公的責任が生じたことを忘れたと思う。しかるべき処分は必須だ。
大久保氏はまさか官僚のやっていることをお手本にしたと言い訳しないと思うが、我々が胸に手を当てて考えてみるべきだ。明らかにおかしい事が、それが誰かによって摘発されたり、されなかったりする状況が続くと、どういう世の中になるだろうか。この問題を、成功者を妬む気持で大久保叩きをして溜飲を下げて終らせてはならない。■