45年ぶりに大雪が降った翌日の深夜、お印が来たと長男の嫁からメールが来た。直ぐに病院には行かないとのことだったのでひとまず床に就いた。だが、深夜3時頃に長男から「産気づいて入院した、すぐ来てほしい」と連絡があり家内がタクシーで都心の病院に向かった。始発の電車で行けばいいと思ったが、後から訳を聞いて分かった。息子は出産に立ち会いたかったのだ。
いつもの時間に起きて朝食をとり洗濯物を干していると、「8時過ぎに生まれた、母子ともに健全、赤ちゃんは2950kg」と家内からメールが入った。二人目の孫が誕生した。息子がすぐに来てほしいと言ったのは、子供を連れて病室に入れないので、出産に立ち会いビデオ撮影が出来ない為だったらしい。私の時代では考えつきもしない理由だが、今は普通らしい。子供が生まれた時、私は仕事に行き殆ど何もしなかった。当時の常識でも何もしない夫だった、申し訳なかったと思う。
私は昼食を済ませてから御成門にある大学病院に行き赤ちゃんの顔を見た。調布で都営新宿線、神保町で三田線に乗り換えた。大手町に停まるといまだにサリン事件を思い出す。赤ちゃんはお兄ちゃんとそっくりで顔がやけに小さく感じた。私の指を握らせると意外に強い力だった。珍しく足に蒙古斑点があった。頬を触るとマシュマロより柔らかで気持ちが良かった。
家内に聞くと五体どこにも異常がなかったとのこと。嫁が高齢出産で先天性疾患を心配していたようだったが、無事出産を終えて安堵感が表情に表れて、ほっとしている様子が感じ取られた。多分、3人目はないだろう。家内は念の為赤ちゃんの写真を撮って助産婦の指導をしている彼女の妹に送り、顔の特徴から異常はなさそうだとの意見を聞かせてくれた。私もホッとした。
先日読んだ本によれば都内の35歳世代の子供の数は0.85人という悲惨な状況にある。私たち夫婦には3人の子供がいるが、孫はこれで2人だから統計値以下だ。配偶者の親を含めて合算すると極めて生産性(この言葉しか思いつかない)が低い。少子化は経済的な理由だけではない。孫の誕生は嬉しが親としてはもっと産んで欲しい。だが、強要する訳にはいかない。こうして我が家も少子高齢化に貢献している。■