かぶれの世界(新)

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民主資本主義の危機(中)

2016-12-26 15:12:18 | ニュース
手の平返しのトランプ評価
トランプ氏が次の米国大統領になることが決まった翌日から、米証券市場は巨額の財政投資や金融規制緩和などを期待して連日高値を付け、史上最高値をつける勢いだ。世界市場も同じ流れで、選挙前日までの悲観的な予測から一転して楽観的な見方に変わった。市場の活況をトランプ効果などと言って、専門家から手の平返しのトランプ評価も聞かれる。

かくいう私も恩恵を受けた。私の所有する金融資産は新興国比率が高いが、それでも僅かながら残高が増えた。オバマ時代から正常に戻っただけだと言う者まで出て来た。金融市場だけからいうとその通りだろう。だが、民主主義の洗礼を受けて育ちアメリカかぶれの私としてはこの先世界の見通しは明るくない。

トランプ大統領後の2017年からの世界は「民主主義・資本主義の危機が来る」という、例によって誤解を恐れない私の独断的な予測を紹介したい。

ポピュリズムがトランプ大統領を生んだ
このテーマで記事を投稿した前回(9月3日)は、トランプ氏が共和党大統領候補に選ばれてショックを受けた時だ。民主主義国の旗手である米国民が民主主義・資本主義に対する疑いを持ち始めた、大統領選で示された民意は資本主義に対する決定的な不信であったと説いた。資本主義が機能しなくなっている、国民に富を適性に配分しなくなった、多くの人達から信を失ったと不安な気持ちを吐露した。

その後、ヒラリー候補優勢の大方の予想を覆しトランプ候補が次期米国大統領に選ばれる現実に世界は驚いた。その後色々な側面から米国大統領選結果を分析した欧米メディアの記事を見たが、トランプ大統領誕生の原動力の共通語は「ポピュリズム」だった。それは米国だけの現象ではないとも。

怒りで理性を失った国民
私風に誤解を恐れず翻訳すると「下品で無知な主張を繰り返すトランプ氏」を選んだのは、国民の「怒り」であった。普通ならあり得ない選択をしたのは「怒り」で判断力を失い理性を無くした人達だった。そこからの原因分析になるとグローバル化とか技術革新、金融偏重経済など意見は分かれる。多分、その組み合わせだ。

私はNファーガソン氏の分析(日本経済新聞12/25)を読んで意表を突かれた。氏は「既存の政治は少数派ばかりに配慮し、積極的な差別是正措置を講じてきた。多数派の私たちはもはや重要な存在ではない。そんな疎外感を抱く白人の勤労世帯が多様性を重んじるオバマ政権下で増えた。」と分析した。私風に言うと民主主義の少数派尊重の(過剰な)重視が、多数決で物事を決めるというもう一つの民主主義の建前を壊した。

民主主義が怒りを生んだ
そういわれてみれば、どの民主主義国も政治は少数派の弱者に重点的に予算を使い、汗を流し真面目に仕事をして税金を払っている普通の人達は軽んじられていると考え、既存のエリート(政治やマスコミ等の知識人)のリベラルな価値観に怒り、反発する中間層(大衆)が増えたことに納得がいく。経済成長が停滞した時怒りが生まれた。とは言っても我が国はそれ程極端ではない。

NYタイムズやワシントンポストなど殆どの有力メディアが民主主義の正論を説いても、大衆は強い怒りで聞く耳を持ってなかった。だが、強い怒りは扇動家にいい様に利用されてしまうのは歴史が証明している。米国も例外ではなかった。まさに民主主義が怒りを生んだ。一方で、歴史を振り返ると米国は振れ幅は大きいが、正気に戻った時の復元力も又強いという期待もあるのだが。今回はどうなるか正直見通しが利かない。

トランプ氏公約の現実
選挙運動中のトランプ氏の公約が実行されたら一体誰が利益を得るだろうか。専門家は最初に利益を得るのは皮肉にも富裕層だという。国内の職を消失させたと厳しく非難された企業の海外展開は、国内に残ることにより税制上特別扱いを受け必ずしも悪い結果にはならないと見られている。

一方で、トランプ氏勝利の原動力となった怒りの大衆はどうなるか、雇用は戻るかも知れないが給与が増える保証はない。高給を得るのは教育を受けた金融マンやIT技術者たちであり、中間層を構成する製造業の労働者ではない。不満を代表する人達の為の給与を上げる政策がトランプ氏の公約の中にあるだろうか。

今そこにある危機
トランプ新大統領に失望するまでにそれほど時間はかからないと私は予想する。その時米国の民主主義は危機に直面すると私は恐れる。米国内の危機は米国だけに収まらない、世界に波及する。選挙中に都合の悪いことを指摘された時のトランプ氏の反応は激烈だった。彼の不動産取引経験がなせる業だとも言われている。

識者はトランプ氏の強引な発言をビジネスマンの取引のようだという、だが政治の世界は不動産屋の交渉とは違うと嘲った。政治問題を何かと経済に持ち込む中国の交渉スタイルと似てないとも言えない。だが、政治には越えてはいけない一線がある、最悪の場合は武力衝突を伴う。全てを経済交渉に落とし込むととんでもない結果が待ち構えている。もうそれは民主主義ではない。■
コメント
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