かぶれの世界(新)

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今回も最後の高尾陣馬縦走x2(2)

2020-12-14 20:53:35 | スポーツ
年齢の割には元気だとの自信を打ち壊された私だが、コロナ自粛化の高尾陣馬縦走は足上げ体操が必要との自覚以外にも得る物があった。ハイキングして色んな人達との出会った。ハイキングと言っても高尾山から先を歩く人達の殆どはいわば本格的なハイカーだと思う。

その中でも明王峠から陣馬山まで歩いた時に追い越して行った父親と娘の親子カップルは例外的だった。二人とも大きなリュックにフル装備の登山姿で、女の子はヘルメットも被っていた。突然やる気が湧いた私は最後の急坂で二人に追いついた。今回頑張れたのは彼等のお蔭でもある。

陣馬山の頂上で年齢を聞くとたったの10歳だった。父親が「百名山を全部登った、海外の山も登った、今年腹を手術し今回はそのリハビリ」と一気にまくし立てた。凄い、畏れいりました。写真を撮らせてくれというと快く承知してくれた。彼女も有名な女流登山家になるのだろうか。

復路の景信を過ぎて急坂を下る途中に幼児二人を連れて登ってくる若い父親に出会った。もう2時過ぎで日が暮れるのは早い。下の子はどう見ても幼稚園児だった。しかも年少か年中組くらいに感じた。心配に思い声をかけると景信で下山する予定だから大丈夫だとの父親の返事で納得した。

最後に子供に向かって「頑張ってね」と言うと、返って来たのが「頑張ってねと言ってくれて有難う」だった。後続の若い女性に「聞いた?凄いね」と言うと、彼女は「聞いてて涙が出そうになった」という。私もそんな風に感じた。家内は「普段からそんな家庭なんだろうね」と一言。

今回の縦走では多様な人達に出会い会話を楽しんだが、上記の二例だけでなく子供の姿が多かった。日曜日だったこともあるが、人々はコロナの自粛生活にうんざりしているのだと改めて思った。変わったところでは復路の景信の手前で会った女性カップルだった。

彼女達はオープンで妙に気が合い暫く喋りながら歩いた。ペースが合わず私が先に行き始めると、後ろから聞きなれない言葉が聞こえた。振り返り聞くと推測通り中国人だった。1週間前に北海道旅行で同じ世代の上海からのカップルに出会った、目立つ光物を付けていたから金持ちだろうと言った。

大連から来た眼鏡の女性は「今日本にいる中国人は元々住んでた人だろう、両国とも入国後2週間隔離されるから」と。もう一人は上海からだというので、上海はお洒落な街だと間接的に彼女のファッションを褒めた。私はそんなテクの持ち主だ。しかし彼女は殆ど反応しなかった。

一方、大連からの彼女とは世間話を続けた。香港返還前後に順徳訪問の経験を紹介すると工場が多い町と知っていた。下山しバスに乗る積りと助言を求められた。最終バスが無くなり取り残される心配があるので、高尾山まで行きリフトを使うよう提案し私は先を急いだ。だが、私がリフト乗り場に着いた時最終便の案内放送が流れた。その後彼女達はどうなったのか、怒っているかもしれない。■
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今回も最後の高尾陣馬縦走x2(1)

2020-12-14 20:48:43 | スポーツ
もう最後だと言って去年の3月に高尾山から陣馬山を往復した記事を投稿後も、何度も高尾陣馬縦走をトライし投稿もした。理由は縦走を私の老化の進行を測る定点観測にしていたからだ。一度失敗すると悔しくて再挑戦したくなるしつこい性格のせいだ。

同じルートを繰り返し歩くのは定点観測の為なので、景色を楽しむのは二の次でただ歩く。昨日ルートの最後の薬師院周辺で道の確認の為に交わした若者との会話で、私はただガツガツ歩くのが好きなのでと言って笑いながら別れた。なので、ハイカーで溢れているという高尾山頂はパスした。

実際、城山・小仏・景信・明王峠・陣馬と進むたびに経験したことのない数のハイカーがいた。彼らは若者から中高年まで経験者から初心者まで幅広い年代に渉っていた。私のような20-30年前の古い登山服姿は見かけなかった。見かけは軽装でも暖かい新技術の衣服なのだろう。

昨日の縦走は文字通り最後になりそうだと高尾山口駅から歩きだして30分も経たないうちに思った。高尾山頂上まで高々300m足らずの標高差だと思うが、体が重くトレイルランナーは当然として若者から中高年ハイカーにまで追い越された。ここ数年経験した中でも中々の屈辱だった。

6号研究路から稲荷山コースに合流し高尾山巻道まで1時間以上かかった。だが、その先続いたアップダウンは気力で頑張り、結果的に距離30kmの歩きは昨年3月の記録に比べ特別に遅くなってなかった。それでも3年前と比べると別人の様な衰えは否めないのだが。

       時間    歩数
       往路 復路 往路  復路
2017/10/06 4:06 3:51
2019/03/25 4:45 4:05 23794 23795
2020/03/25 4:49 4:16 25070 26200
2020/12/13 4:38  4:30

折り返し点の陣馬山では周囲のベンチが全て埋まっており、老夫婦のテーブルに合席させて貰い食事した。往路でエネルギーの90%以上を使い切っていたが、お握り一つとミカンにクッキーや羊羹で気力を回復し、10分後に帰りも歩くことを決めた。帰りは文字通りただ歩くだけだった。

しかし、景信を過ぎた頃から左ふくらはぎが軽い痙攣を引き起こし、最後まで歩き通せる様用心して歩いた。そのせいか、時折痛くはないが膝がくにゃりとなる時がありヒヤッとした。木の根に何度も躓き城山の手前の急坂で派手に転び、顔から落ちた。後続の男性に大丈夫かと聞かれ大丈夫と即答した。実際、軽く右頬をこすった程度だったが、それより転倒したのが恥ずかしかった。

その後も一層注意して歩き高尾山の巻道に到着、用心して舗装された高尾山参道を選択、初の抜け道に迷った。その上舗装した急坂が予想外に膝に衝撃を与え苦痛だった。何とか自宅に戻り早めの風呂に入り、家内に頼みタンパク質多めの食事を食べた。起床時から体重は2kg減っていた。

膝やふくらはぎを自己流でマッサージしたせいか、或いは普段の散歩の効果か今朝は筋肉痛はなかった。だが、木の根に何度も躓いたと報告すると、普段から足を上げない典型的な年寄りの歩きだと医者から教わった対策の足上げ体操を家内に教わった。珍しく素直にやってみると答えた。

足が思いの外疲労したのは北海道旅行の前にバーゲンで買った厚底の靴も原因と思っている。この2年は山歩き時はトレイルラン用の靴を使っていたが、バーゲンの靴は造りが弱く石や木の根を踏むと歪んで足底が変化する。山道を長時間歩き続けて足の疲れを蓄積させた。街歩き専用にする。

昨日の歩きには満足できなかったが、一応30kmを歩き切った。昨夜は早めに寝たが深夜1時頃にに目が覚め、体が熱くてどうにも眠れなかった。少し牛乳を飲んで体内を冷やし深夜番組を小一時間見てベッドに入ると眠れた。普通は疲れでよく眠れるのに不思議だ、これも歳のせい?■
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