年齢の割には元気だとの自信を打ち壊された私だが、コロナ自粛化の高尾陣馬縦走は足上げ体操が必要との自覚以外にも得る物があった。ハイキングして色んな人達との出会った。ハイキングと言っても高尾山から先を歩く人達の殆どはいわば本格的なハイカーだと思う。
その中でも明王峠から陣馬山まで歩いた時に追い越して行った父親と娘の親子カップルは例外的だった。二人とも大きなリュックにフル装備の登山姿で、女の子はヘルメットも被っていた。突然やる気が湧いた私は最後の急坂で二人に追いついた。今回頑張れたのは彼等のお蔭でもある。
陣馬山の頂上で年齢を聞くとたったの10歳だった。父親が「百名山を全部登った、海外の山も登った、今年腹を手術し今回はそのリハビリ」と一気にまくし立てた。凄い、畏れいりました。写真を撮らせてくれというと快く承知してくれた。彼女も有名な女流登山家になるのだろうか。
復路の景信を過ぎて急坂を下る途中に幼児二人を連れて登ってくる若い父親に出会った。もう2時過ぎで日が暮れるのは早い。下の子はどう見ても幼稚園児だった。しかも年少か年中組くらいに感じた。心配に思い声をかけると景信で下山する予定だから大丈夫だとの父親の返事で納得した。
最後に子供に向かって「頑張ってね」と言うと、返って来たのが「頑張ってねと言ってくれて有難う」だった。後続の若い女性に「聞いた?凄いね」と言うと、彼女は「聞いてて涙が出そうになった」という。私もそんな風に感じた。家内は「普段からそんな家庭なんだろうね」と一言。
今回の縦走では多様な人達に出会い会話を楽しんだが、上記の二例だけでなく子供の姿が多かった。日曜日だったこともあるが、人々はコロナの自粛生活にうんざりしているのだと改めて思った。変わったところでは復路の景信の手前で会った女性カップルだった。
彼女達はオープンで妙に気が合い暫く喋りながら歩いた。ペースが合わず私が先に行き始めると、後ろから聞きなれない言葉が聞こえた。振り返り聞くと推測通り中国人だった。1週間前に北海道旅行で同じ世代の上海からのカップルに出会った、目立つ光物を付けていたから金持ちだろうと言った。
大連から来た眼鏡の女性は「今日本にいる中国人は元々住んでた人だろう、両国とも入国後2週間隔離されるから」と。もう一人は上海からだというので、上海はお洒落な街だと間接的に彼女のファッションを褒めた。私はそんなテクの持ち主だ。しかし彼女は殆ど反応しなかった。
一方、大連からの彼女とは世間話を続けた。香港返還前後に順徳訪問の経験を紹介すると工場が多い町と知っていた。下山しバスに乗る積りと助言を求められた。最終バスが無くなり取り残される心配があるので、高尾山まで行きリフトを使うよう提案し私は先を急いだ。だが、私がリフト乗り場に着いた時最終便の案内放送が流れた。その後彼女達はどうなったのか、怒っているかもしれない。■
その中でも明王峠から陣馬山まで歩いた時に追い越して行った父親と娘の親子カップルは例外的だった。二人とも大きなリュックにフル装備の登山姿で、女の子はヘルメットも被っていた。突然やる気が湧いた私は最後の急坂で二人に追いついた。今回頑張れたのは彼等のお蔭でもある。
陣馬山の頂上で年齢を聞くとたったの10歳だった。父親が「百名山を全部登った、海外の山も登った、今年腹を手術し今回はそのリハビリ」と一気にまくし立てた。凄い、畏れいりました。写真を撮らせてくれというと快く承知してくれた。彼女も有名な女流登山家になるのだろうか。
復路の景信を過ぎて急坂を下る途中に幼児二人を連れて登ってくる若い父親に出会った。もう2時過ぎで日が暮れるのは早い。下の子はどう見ても幼稚園児だった。しかも年少か年中組くらいに感じた。心配に思い声をかけると景信で下山する予定だから大丈夫だとの父親の返事で納得した。
最後に子供に向かって「頑張ってね」と言うと、返って来たのが「頑張ってねと言ってくれて有難う」だった。後続の若い女性に「聞いた?凄いね」と言うと、彼女は「聞いてて涙が出そうになった」という。私もそんな風に感じた。家内は「普段からそんな家庭なんだろうね」と一言。
今回の縦走では多様な人達に出会い会話を楽しんだが、上記の二例だけでなく子供の姿が多かった。日曜日だったこともあるが、人々はコロナの自粛生活にうんざりしているのだと改めて思った。変わったところでは復路の景信の手前で会った女性カップルだった。
彼女達はオープンで妙に気が合い暫く喋りながら歩いた。ペースが合わず私が先に行き始めると、後ろから聞きなれない言葉が聞こえた。振り返り聞くと推測通り中国人だった。1週間前に北海道旅行で同じ世代の上海からのカップルに出会った、目立つ光物を付けていたから金持ちだろうと言った。
大連から来た眼鏡の女性は「今日本にいる中国人は元々住んでた人だろう、両国とも入国後2週間隔離されるから」と。もう一人は上海からだというので、上海はお洒落な街だと間接的に彼女のファッションを褒めた。私はそんなテクの持ち主だ。しかし彼女は殆ど反応しなかった。
一方、大連からの彼女とは世間話を続けた。香港返還前後に順徳訪問の経験を紹介すると工場が多い町と知っていた。下山しバスに乗る積りと助言を求められた。最終バスが無くなり取り残される心配があるので、高尾山まで行きリフトを使うよう提案し私は先を急いだ。だが、私がリフト乗り場に着いた時最終便の案内放送が流れた。その後彼女達はどうなったのか、怒っているかもしれない。■