テニスの大阪選手やMLBの大谷選手のインタビューやスピーチが評判になっている。米国では普通の人でも沢山の人の前でスピーチを求められることがよくあるというが、私も色々な機会でスピーチを求められた経験がある。それは私にとって特別な経験として今でも記憶に残っている。
勿論、総てが上手く行った訳ではない。周到に準備したプレゼンテーションとは異なり、即席のスピーチはその人の人柄や本音が現れ、好感を持たれたり嫌な奴と思われたりすると思う。上記の大阪選手などは飾らない人柄で誰もが好感を持った良い例だと思う。
私の場合その機会は覚悟が足りないまま最初の試練がやって来た。シアトルの工場の責任者として本社の上司に付き添われ赴任した時、新しく上司になる米国人幹部と合流し工場のスタッフに紹介された直後だった。彼に一言挨拶と促され「マーケットシェアが5位だが、皆と頑張って3位以内に持って行きたい」みたいな通り一遍の挨拶をした。何の面白みもない内容で反応ゼロだった。
その後4年弱の米国駐在中に何度か急にスピーチを求められた。何時も突然なのだが私の「売られた喧嘩は買う」という向こう見ずな性格で一度も逃げたことはない。通訳付きの日本語ではなく、下手な英語でスピーチをやった。その中で成功したこともあれば大失敗したスピーチもある。
私が最も記憶に残るスピーチは工場に赴任して約半年後のことだった。素人集団の物つくりで品質が安定せず計画通りに生産できないで在庫と受注残が急増した時だった。会社は全米から生産のプロを何人か雇い私の下に付け、更に上司として業界で名の知れた専門家を高給でヘッドハントした。
言い換えると、生産のプロを素人の私の周りに付け工場運営を立て直そうとした。新しい上司が工場訪問して来て私の改善プランを聞き、その後彼が工場全員を集めてどういう考えで立て直して行くか理路整然と専門的に説明をした。その後、上記の有能な部下から私のコメントを求められた。
「来た~!」私が無能なボスか皆の前で試される時と思った。ここで引っ込んだら男が立たない。結果的に私は自分の立場を少しズラシ、その中で全員の立場を立てる内容にした。「先月諸君は初めて計画通りに生産出来た。素晴らしい仕事をした。だがまだ不良率が高く改善の余地がある。
この為に会社は業界トップの人材を雇った(社長より高給)。彼の下で我々の仕事を高めて行こうじゃないか。これが日本本社のコミットメントだとと言って締めた。つまり、私は米国支社の工場責任者であると同時に日本本社の意向も受けてる感を出した。全員の立場を守り私の立場も救う前向きメッセージだったと思う。その後工場運営は改善され言っ放しにならなかったのは幸運だった。
最悪だったのはそれから半年後だった。私の誕生日前後にカフェテリアに全員集合しサプライズで私の誕生祝(ポットラックと言って料理を持ち寄るアメリカンスタイル)をやってくれた。生産活動は軌道に乗り急速に在庫削減でき、私も米国生活に慣れリラックスしていた。仕事じゃないと考え、お礼のスピーチでついつい下ネタを喋ってしまった(具体的には言いたくない)。
ところが反応はシーン、全員無反応!これには参った。私はニヤニヤした顔で得意げに言ったのかも知れない。その後の記憶は定かでないが多分パーティは白けて、しどろもどろで何を言ったのかも覚えていない。下手くそな英語のくせに不用意な下ネタを言って皆を白けさせた。
その他にも何度かスピーチする機会があったが、記憶に残る成功と失敗例はこの二つだ。それが最初の米国生活1年間に起こった。海外生活に慣れるにつれ無難な内容で纏めるコツを覚えたのと、ビジネス全体が下降気味でスピーチを求められる機会が減ったのかもと思う。■
勿論、総てが上手く行った訳ではない。周到に準備したプレゼンテーションとは異なり、即席のスピーチはその人の人柄や本音が現れ、好感を持たれたり嫌な奴と思われたりすると思う。上記の大阪選手などは飾らない人柄で誰もが好感を持った良い例だと思う。
私の場合その機会は覚悟が足りないまま最初の試練がやって来た。シアトルの工場の責任者として本社の上司に付き添われ赴任した時、新しく上司になる米国人幹部と合流し工場のスタッフに紹介された直後だった。彼に一言挨拶と促され「マーケットシェアが5位だが、皆と頑張って3位以内に持って行きたい」みたいな通り一遍の挨拶をした。何の面白みもない内容で反応ゼロだった。
その後4年弱の米国駐在中に何度か急にスピーチを求められた。何時も突然なのだが私の「売られた喧嘩は買う」という向こう見ずな性格で一度も逃げたことはない。通訳付きの日本語ではなく、下手な英語でスピーチをやった。その中で成功したこともあれば大失敗したスピーチもある。
私が最も記憶に残るスピーチは工場に赴任して約半年後のことだった。素人集団の物つくりで品質が安定せず計画通りに生産できないで在庫と受注残が急増した時だった。会社は全米から生産のプロを何人か雇い私の下に付け、更に上司として業界で名の知れた専門家を高給でヘッドハントした。
言い換えると、生産のプロを素人の私の周りに付け工場運営を立て直そうとした。新しい上司が工場訪問して来て私の改善プランを聞き、その後彼が工場全員を集めてどういう考えで立て直して行くか理路整然と専門的に説明をした。その後、上記の有能な部下から私のコメントを求められた。
「来た~!」私が無能なボスか皆の前で試される時と思った。ここで引っ込んだら男が立たない。結果的に私は自分の立場を少しズラシ、その中で全員の立場を立てる内容にした。「先月諸君は初めて計画通りに生産出来た。素晴らしい仕事をした。だがまだ不良率が高く改善の余地がある。
この為に会社は業界トップの人材を雇った(社長より高給)。彼の下で我々の仕事を高めて行こうじゃないか。これが日本本社のコミットメントだとと言って締めた。つまり、私は米国支社の工場責任者であると同時に日本本社の意向も受けてる感を出した。全員の立場を守り私の立場も救う前向きメッセージだったと思う。その後工場運営は改善され言っ放しにならなかったのは幸運だった。
最悪だったのはそれから半年後だった。私の誕生日前後にカフェテリアに全員集合しサプライズで私の誕生祝(ポットラックと言って料理を持ち寄るアメリカンスタイル)をやってくれた。生産活動は軌道に乗り急速に在庫削減でき、私も米国生活に慣れリラックスしていた。仕事じゃないと考え、お礼のスピーチでついつい下ネタを喋ってしまった(具体的には言いたくない)。
ところが反応はシーン、全員無反応!これには参った。私はニヤニヤした顔で得意げに言ったのかも知れない。その後の記憶は定かでないが多分パーティは白けて、しどろもどろで何を言ったのかも覚えていない。下手くそな英語のくせに不用意な下ネタを言って皆を白けさせた。
その他にも何度かスピーチする機会があったが、記憶に残る成功と失敗例はこの二つだ。それが最初の米国生活1年間に起こった。海外生活に慣れるにつれ無難な内容で纏めるコツを覚えたのと、ビジネス全体が下降気味でスピーチを求められる機会が減ったのかもと思う。■
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