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類は類を呼ぶ?

2010-09-10 19:09:11 | 国際・政治

記事を書くに先立ち念のため調べると、「類は友を呼ぶ」が正しいのだそうである。ネットの解説によると「類は類を呼ぶ」と誤用する人が多いらしい。私もついぞ疑うことなく「類は類を呼ぶ」と理解し使ってきた。多分中学時代に誤って記憶し、その後50年も訂正されなかったということになる。今となっては間違っていても「類は類を呼ぶ」のほうがピンと来る。

それはさておき、何故この諺を引用したかというと、鈴木宗男氏の受託収賄罪が確定し近く収監されるというニュースが昨日報道され、これを見て現在進行中の民主党代表選で小沢氏の「政治とかね」の問題を想起したからだ。鈴木氏は先頭に立って小沢氏を支持してきた。

木氏と小沢氏には同じ臭いがする。依然として二人の政治手法が利益誘導的体質を色濃く残しているからだ。田中角栄首相時代の利益誘導は直接政治資金を要求し、合わせて特定政策の受益者に集票マシンの役割を求めた。数は力なりという信念の表れであり、小沢氏はその正統な後継者といわれる。

手法は巧妙になったが今も小沢鈴木両氏は基本的に同じ体質と感じる。小沢嫌いの私の決め付けかもしれないが、彼が民主党幹事長時代に陳情を幹事長室に一本化し取り仕切った側近達にも同じ体臭があるように感じる。自民党時代よりもっと徹底しているように感じた。

小沢氏の周りの人達に「政治とかね」の問題で起訴され司法の裁きを受けるか、これから裁きを受ける人達がヤケに多い。鈴木氏も自民党時代に小沢氏と同じく田中派に属し、「利益誘導政治」の中枢で活躍した代表的な政治家だった。裁判中は「国策捜査」と検察を非難したのも、小沢氏が捜査を受けた時と同じような反応だった。

鈴木氏は地元への利益誘導は政治家として当然と公言して憚らなかったと伝えられている。だがそれをアンチテーゼとして民主党は結党されたことを忘れている。自民党すら野に下り再び支持を取り戻すためそういう体質から脱却を図っている。今、田中時代の体質を最も体現しているのは皮肉なことに民主党の小沢グループだといってよい。

沢氏側近にはロジックを超えた喋り方が「類は類を呼ぶ」ミニ小沢と感じていた。一方、新人議員はどれだけ理解しているか分からない。選挙でお世話になり盲従しているのか、もう朱に染まったのか。いわゆるインナー・グループからは少し離れているが、小沢氏の経験や「突破力とか豪腕」に期待すると主張する議員達もいる。そこに政策はないが、彼らだけの責任ではない。

メディアが求め、両候補ともに約束した政策論争が深まらないのが一因だ。小沢氏はマニフェストを順守してないと非難し、普天間基地は米国と沖縄がともに満足する妥協案を見つけるというが、実は財源は曖昧で代替の腹案もない。鳩山首相の無責任な迷走の悪夢を思い出した。菅首相は現役首相として現実を知り具体的政策に慎重で物足りない。両者とも切り込み不足のジレンマに陥いり、政策の違いが狭まってきている。

私は、国民に選ばれた議員諸君には高い志を求めたい。彼等は菅内閣がねじれ国会に対処出来ず早晩解散に追い込まれると恐れ、小沢氏なら剛腕を発揮して野党との(連立)工作に成功し解散総選挙を先延ばし出来るとの期待があるといわれている。しかし、民主党代表選に留まらず首相を選ぶプロセスに参加している責任の重さを感じ取って欲しい。

小鳩体制時の民主党は裁判で有罪判決を受けた鈴木宗男氏を控訴中であるとして外務委員長に指名した。随分ひどい政治任命だと思ったが、その時はさすがに大臣にしなかった。だが、小沢氏の場合は選挙に勝ち首相になるとそれでは済まない。そんな為に剛腕を発揮する積りはないというが、私は信用出来ないと思う。政策面でも上記の如く財源の根拠が疑わしくなってきた。

報道によると民主党議員だけでなく、一般国民にも小沢氏の剛腕で国難を乗り切って欲しいと期待する人達が少数派ながらも結構いる。それも民度の表れだが、抜いてはいけない危険な「両刃の剣」だと私は思う。裁判中の首相に剛腕を発揮することを期待する国民はいない。鈴木氏の有罪確定は、小沢氏が首相になることの危うさに国民は改めて気がついたと考える。■

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