家族の新年会後の2日目の昨日、落ち着いたところで最近経験のない距離を歩いた。自宅から桜丘に行き川崎街道を通り大丸、左折して向陽台を経て稲城大橋から白糸台、旧甲州街道を経て自宅に戻った。最近は新大丸を挟んで多摩丘陵の北側13キロと南側15キロを歩いてた。
来春に孫達と雲取山登山を提案した言い出しっぺの私が、昨年の偽痛風で弱った足を強化する第1.5段階として多摩丘陵の南北通しで歩きたいと考えていた。今迄は大丸交差点で疲れて自信を失い、左折して府中街道から是政橋を通り戻っていた。だが、昨日は家内に持たされた安納焼き芋を交差点の手前で口にすると元気回復し、右折して向陽台に向かい残り半分を歩き自宅に戻った。
これで高尾山から陣馬山を歩けると思ったが、スマホの万歩計を見ると25キロの積りが17キロ余りしかなかった。向陽台から先は下りと平坦な道が続いたせいもありとても楽だった。実際の山歩きも半分は下りなので、残りの半分は楽勝だと思い、実際自宅に戻って気分爽快だった。
昨夜は10時頃に気持ち良く床に就いた。だが、山歩きが上手く行っても持病の頻尿は変わらない。4時半頃に二度目のトイレに行こうとしたが寝室の灯りがつかず真っ暗だった。子供に教わったスマホの灯りで物置の懐中電灯を取り出したが、なんと電池切れで点灯しなかった。更に下駄箱の電池(格納箱)を取り出したが、殆どの電池は液漏れで錆びていた。
念の為玄関から出て路地道を歩き、街灯や窓から灯が見えた。我が家だけの停電だった。改めて乾電池を組み合わせて懐中電灯を点灯させた。家内はその1時間前に目を覚まし「停電だった、その時食洗機が止まり泡を吹いていた」だったという。シャッターを開けると隣の内の窓の明かりが見えるという。それでブレーカーが飛んでいることに気付き、再投入して問題解決した。
時計は5時前を指しており、家内はそのまま起きて食事の用意を始め、私はベッドに戻って寝た。実はその積りだったが体が冷えて興奮が治まらず、殆ど眠れないまま7時前に起きた。何時もの血圧や室温湿度体温等の測定をし、着替えて食事を頂いた。朝食後は何時ものルーチンワークに戻り、新聞やパソコンで市場の動きをチェックした。ドル高で投資が少し儲かっていて落ち着いた。
ルーチンワークを済ませるとあっという間に昼食前の時間だったが、その前に東京電力に電話をかけてブレーカーが飛んだ顛末を説明した。深夜はエアコンなど消費電力の高い電気器具を使わず、食洗機とエコ給湯だけ、自宅は5年前に新築したばかりと説明すると、有料(平日9000円)の調査を勧められた。暫らく様子を見て再発したら調査をお願いすることにした。
それから約16時間エアコンを点け料理をしたが特に問題は起こってない。だが、深夜の停電は北陸の大地震の被災者の気持ちをホンの少しばかりでも経験したような気分になった。そして、停電に対して十分な準備をしてなかったことを感じさせられた。■
来春に孫達と雲取山登山を提案した言い出しっぺの私が、昨年の偽痛風で弱った足を強化する第1.5段階として多摩丘陵の南北通しで歩きたいと考えていた。今迄は大丸交差点で疲れて自信を失い、左折して府中街道から是政橋を通り戻っていた。だが、昨日は家内に持たされた安納焼き芋を交差点の手前で口にすると元気回復し、右折して向陽台に向かい残り半分を歩き自宅に戻った。
これで高尾山から陣馬山を歩けると思ったが、スマホの万歩計を見ると25キロの積りが17キロ余りしかなかった。向陽台から先は下りと平坦な道が続いたせいもありとても楽だった。実際の山歩きも半分は下りなので、残りの半分は楽勝だと思い、実際自宅に戻って気分爽快だった。
昨夜は10時頃に気持ち良く床に就いた。だが、山歩きが上手く行っても持病の頻尿は変わらない。4時半頃に二度目のトイレに行こうとしたが寝室の灯りがつかず真っ暗だった。子供に教わったスマホの灯りで物置の懐中電灯を取り出したが、なんと電池切れで点灯しなかった。更に下駄箱の電池(格納箱)を取り出したが、殆どの電池は液漏れで錆びていた。
念の為玄関から出て路地道を歩き、街灯や窓から灯が見えた。我が家だけの停電だった。改めて乾電池を組み合わせて懐中電灯を点灯させた。家内はその1時間前に目を覚まし「停電だった、その時食洗機が止まり泡を吹いていた」だったという。シャッターを開けると隣の内の窓の明かりが見えるという。それでブレーカーが飛んでいることに気付き、再投入して問題解決した。
時計は5時前を指しており、家内はそのまま起きて食事の用意を始め、私はベッドに戻って寝た。実はその積りだったが体が冷えて興奮が治まらず、殆ど眠れないまま7時前に起きた。何時もの血圧や室温湿度体温等の測定をし、着替えて食事を頂いた。朝食後は何時ものルーチンワークに戻り、新聞やパソコンで市場の動きをチェックした。ドル高で投資が少し儲かっていて落ち着いた。
ルーチンワークを済ませるとあっという間に昼食前の時間だったが、その前に東京電力に電話をかけてブレーカーが飛んだ顛末を説明した。深夜はエアコンなど消費電力の高い電気器具を使わず、食洗機とエコ給湯だけ、自宅は5年前に新築したばかりと説明すると、有料(平日9000円)の調査を勧められた。暫らく様子を見て再発したら調査をお願いすることにした。
それから約16時間エアコンを点け料理をしたが特に問題は起こってない。だが、深夜の停電は北陸の大地震の被災者の気持ちをホンの少しばかりでも経験したような気分になった。そして、停電に対して十分な準備をしてなかったことを感じさせられた。■
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