かぶれの世界(新)

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そして子供がいなくなった

2015-09-06 12:04:08 | 日記・エッセイ・コラム
新学期が始まったのに子供達の姿が見えない。7月の夏休みが始まった頃、隣の家の小学生二人の元気な声が聞こえないのに気が付いた。隣の向かいの家に住むお婆さんに聞くと、夏休みの間は離婚した奥さんの家で過ごしているのではないだろうかという返事だった。実は遠い親戚のはずだが本当に知らない様子だった。

だが、9月になっても子供達は帰ってきた様子が無い。昨日お婆さんを見かけたので声をかけると「どうしたのかのう、寂しいな」との返事。他にもある。今年も4月になり田舎に来て無人の実家に住み始めた時、この集落から二人の子供がいなくなっていた。高校を卒業して大阪の会社に就職した女の子と、他所の地の高校に進学した女の子だ。二人とも夏休みに実家に戻った様子はない。彼女達が戻って来る可能性は少ない。

隣の家の小学生二人は集落に残った唯一の子供達だった。もうこの集落に子供はいなくなった。この集落は中組と呼ばれ戦国時代からの記録が残っている。大河内、古城、棟佐古と言う古臭い名前の夫々十数所帯の小さな集落から構成されている。私の実家は古城にあるが、その古城で400年ぶりに子供がいなくなった。

福島原発事故の放射能汚染で住めなくなった楢葉町の避難指示が解除され、小学校に集う子供達の明るい顔が報じられた。帰還したのは1割程度だそうで病院やお店などがアクセスが不便でこれからの生活は大変だと思う。だが、私には子供達の元気な姿が眩しく感じた。ここは最早心配する対象の子供すらいないのだ。

私はアガサ・クリスティの推理小説「そして誰もいなくなった」(And then there were none)を突然思いだした。無人島に閉じ込められた10人が殺されていくミステリーで、私にはストーリーより題名にインパクトがある。実家のある集落が何か逆らえない力に動かされて、少しずつ未来の希望がもぎ取られていく様子がピッタリだ。

10年後には絶滅寸前、20年後には「そして誰もいなくなった」が必ず来る、その前触れのようなものを感じた。10年後の集落の姿を見ることが出来るかもしれないが、幸運にも20年後の様子を見ることは多分ないだろう。救いなのは、両側の小集落にはまだ数人の子供達の姿を見かける。彼等が田舎に住む確率は高くないが。

隣の集落に住む同じ年金生活者は、表通りの土地を整地していつでも住宅建設できる準備をしたが一向に家を建てる様子が無い。そこまでしたが彼の息子は勤め先のある松山市から戻って来てくれないとぼやいていた。整地された土地に雑草が目立つ。最近は彼に聞くのも気の毒で聞けなくなった。結局のところ嫁さん候補の若い女性がいないのが最大の原因だと思う。■

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