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介護録09冬(3)-転院

2009-11-26 23:00:58 | 健康・病気

退院

昨日、母をリハビリ病院に転院させた。先月12日に脳梗塞で入院して以来1ヶ月余の入院治療だった。金曜日に主治医から治療が終った旨説明を受け、その場でリハビリ病院の受け入れ申請をして貰い、病室に戻り母を見舞っている間に受け入れ日時が決まった。25日朝10時に来いと言う。移動時間を考えるとかなり早い、忙しい日になりそうだと思った。

リハビリ病院は松山市近郊の山裾にあり、車の移動に1時間余りかかる。朝6時過ぎに起床、朝食後いつもより早い散歩、7時半に出かけて8時には病院着。担当看護婦に挨拶して荷物をまとめ、馴染みになった事務員に請求書を貰って退院手続き完了。

早朝の出発になるので看護婦と事務の両方に、前日準備をお願いしていたので30分後には出発できた。チーフと担当の看護婦が母の乗った車椅子を押し荷物を持って玄関まで送ってくれ、車に積んで最後にお世話になったと挨拶をしたときはちょっとばかりグッと来た。

今日ばかりは高速道路を使い転院先に急いだ。高速道路に乗って数分で実家が見えてきた。一旦高速を降りて母に実家を見せに行くことも考えた。直前まで迷ったが、「これが最後」みたいな片道切符の印象を与えたくなく、心が決まらないまま極普通の感じで通り過ぎた。

入院

1時間後に山裾に立つピンク色の病院に着いた。運転には自信ないがこの日は急坂の狭いアプローチを登りきり、玄関のまん前に車を止めた。車椅子を借りてロビーの隅に母を連れて行き、その周りに荷物を置いた後、玄関から急坂の駐車場まで車を移動し、受付に行って名前を告げた。

入院手続き後に担当の相談員だという若い女性の案内で、母は検査室に連れて行かれMRI等の検査をうけた。待っている間に院内を散歩していると売店を見つけ、余り美味しくないコーヒーにアップルパイで朝食の不足分を補った。

検査が終ると相談員に案内されて母の部屋に入り、母をベッドに寝かせた後持ってきた寝具等を備え付けの小さな箪笥に収納した。受け入れ担当の介護士に施設内で提供されるもの、持込が必要なもののチェックを受けた。衣類は全て名前を書き込まれ、暗い色の靴下などは名前が見えないので持帰りとなった。後で帰る前に箪笥を覗くと、丁寧に並べ替えられていた。

その後、看護婦、介護士、主治医、薬剤士、リハビリ等の方から次々とインタビューを受けた。予想したより遥かに詳細な情報を求められたが、よりよい治療をしようという意図を感じて悪い気はしなかった。母の病歴について聞かれ答えに詰まった時、聞くと母の記憶はしっかりしていた。

受入検査結果とリハビリ

その途中、主治医から再度オフィスに呼ばれ検査結果の説明を受けた。MRI結果がデジタル化されてLCD画面に拡大表示され技術的には興味を持ったが、脳梗塞の跡は前の病院の診断と同じだった。先生は、その跡が運動機能を司る部分から少し離れているので軽い後遺症となったとより専門的な説明をされた。

彼が気にしていたのは心臓肥大で、心臓細動が起こっているという。心臓肥大は今回の脳梗塞によって短期間で起こることではない。もっと以前から何かの原因で心臓が徐々に大きくなったのではないだろうか、と言う診たてだった。しかし、母が以前心臓の問題を起こした記憶はない。いずれにしろ心臓の様子を見ながらリハビリをすることになりそうだ。

インタビューの中でもっともう印象に残ったのは、リハビリの療養方針を聞いた時のチーフの説得力のある自信に満ちた説明だ。リハビリは理学療養、作業療養、言語療養の3つを組み合わせて行うという。老齢の母が意欲を持ってリハビリに取組めるかが重要との考えに彼女もその通りと言い、その延長線上に言語療法がかかわっているという。

私が心のリハビリというと、そこまで踏み込んでやるし実績もあるという彼女の強い言葉に、内心それ程期待してなかった私には軽い感動を覚えた。もし成功すれば感謝状を出したいとおどけて言った私の心は、半信半疑だけれども母には是非良くなって貰いたいという気持ちがない交ぜになったものだった。この病院へ転院してよかった。気が付くともう12時過ぎだった。先ずは食事、次は入院生活を経済的に最適化しなければならない。(続く)■

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