今回は日本のネット事情と高齢者問題を結び付けて暴論を吐きます。不愉快に思われる方には最初からお詫びします。
マケインはネット文盲!?
暫く前から共和党大統領候補のマケイン氏がインターネットを使えないことが話題になっていた。まるで化石人間みたいと揶揄された。彼は必要な情報収集ができ、娘のブログを読めるようになりたいと弁解したと報じられた。話題になったのには理由がある。
米国ではインターネットが世論形成の最も影響力あるメインストリーム・メディアとなったからこその話題と思う。今では米国の選挙民が最も参考にする情報源はネットである。日本と違い老人世代も生活に必要な情報をネットから得ていると最近の調査結果が公表されている。ネットは仮想ではなく現実生活で極めて実用的な道具になっている。一方、世界最多のブログを誇る日本はややエキセントリックで、その多くは出会い系などに誘引するサイトだと最近報告された。
前回の民主党大統領候補予備選で、ダークホースのハワード氏がインターネット世界の圧倒的な支持で序盤戦トップに立ち世界を驚かせた。が、不用意な発言で突如失速したのは記憶に新しい。そして今回、オバマ氏はネットを最早当たり前のものとして徹底的に活用した。組織から個人にターゲットを絞った戦略が功を奏し、従来棄権していた若者を投票所に向かわせ、小額の個人献金だけでヒラリーが頼った組織を大きく超える選挙資金を集めた。
東アジアのネチズン事情
だが、インターネットの影響力は国によって一様ではない。近隣の中国の反日運動や韓国の反政府運動ではインターネットを媒介にして一気に過激化し、その加熱ぶりはむしろ論理的・建設的な議論を妨害するマイナス効果があった。少なくとも東アジアでは概して極端に右側に収束する傾向がある。利用する技術は同じでもネチズンが同じように成熟しているわけではない。
私の印象では日本はその中間というところではないだろうか。暴動の引き金の役割も、ネット議論がメインストリームのオピニオン形成に繋がることもなかった。日本的ともいえる多様化と低エネルギーレベル(無関心)というべきか。何故日本のネチズンがメインストリームに影響を与えられないのだろうか。特有の事情で越えられない壁と、それでも乗り越える熱気が無いように感じる。
ネット文盲が支配する国
この話題になると典型的な例として先の長野県知事選を私は思い出す。事前のインターネット世論調査は圧倒的に田中氏優勢だったが、電話調査では村井氏が有利だった。そして選挙結果は電話調査通りになった。その差はサンプリングが高齢者を含むかどうかの差であった。ネット調査では対象にならなかった老人世代の票が決め手になった。
日本の高齢者は600万人、各選挙区に平等に割り振ると2万票になるという。しかも彼等の投票率は非常に高い。彼等が誰を支持するかで選挙結果が左右される。少なくとも政策決定では高齢者は決して弱者ではない、最強の既得権益者なのだ。日本経済新聞(7/22)は「小選挙区になり業界組織票の力が落ち、大きな票田が台頭した。高齢者だ。」と説明している。
「票になる高齢者向け政策が優先されている。」と同じ記事は説いている。年金問題や後期高齢者保険問題で政治はこの状況を徹底して認識させられた。自業自得とはいえ厚生官僚は自信を失いバッシングを恐れ、良くも悪くも全く機能しなくなった。しかも、メディアは大局を見失い弱者としての高齢者の部分のみを増幅し、ポピュリズム政治で右往左往し問題先送りを助けている。
立ち上がれネチズン
米国大統領選で次々と若者がキャンペーンに参加し、彼らがトレンドを作る主役になっているのを見ると誠に羨ましい。日米のデモグラフィーの差を調べれば若者人口比が全く違うから影響力も異なる。だが、細るとはいえ日本の若者世代が明確に意思表示し投票率を上げるだけで結果は全く違ったものになると私は思う。
このまま高齢者向け政策ばかり議論させておいて、自らが老いて特権が転がって来るのを若者は待つ積りか。私は地域職業を超えて自らの未来を考える同世代の連帯が、高齢者に媚びた政治やメディアを打破し変えていくのではないかと思う。頭数で不利な世代はネットで連携するしかない、「立ち上がれ、ネチズン」と言いたい。
ご近所のお年寄りに学ぶ
苦労されている高齢者の方には申し訳ないが、私は一老人として同世代や高齢者の皆さんより息子や娘の将来の方が心配だ。限られた原資しかないなら子孫の為に使うべきだ。最近の報道では緊縮予算が続いても歳入が予想を下回った為、プライマリーバランスの回復を11年に達成するのは難しくなったと言う。何といっても予算の1/3を占める社会保障費が重石になっている。
私の知る昔の高齢者は恥を知っていた。年金のない時代でも収入の範囲で暮らし、多いの少ないのと喚かず何とかやりくりし、その中で教育費を優先してくれた。窮状を抗議する高齢者は明日どころか今しか眼中に無いと思われる。だが、ここはグッと歯を食いしばって子孫の為にどうすべきか考えられないか。若者が立ち上がる前にお年寄りはお手本を見せられないのか。
私の記憶する限り、それがかつて尊敬されたご近所のお年寄りの姿だったはずだ。その中から世代間連携が生まれてこないだろうか。勿論、本当に悲惨な生活をされている方への支援は当然だ。社保庁の無責任は許せないし、厚労省の堕落と無能さは放置できるはずもない。
最後に一言、「高齢者よ誇りを持て、子孫の為に何をすべきかわからないほど耄碌して生きる価値があるのか。」(Rチャンドラー風な言い回しであり、決して高齢者は死ねという意味ではありません。為念)■
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