チョット格好悪い話です。今、斉藤美奈子さんの「物は言いよう」(2005平凡社)を昨日から読んで一人でうけている。政治家や評論家、ビジネスマンまで男供の何気ない一言が、セクハラだと滅多斬されている。心当たりのあることがやたら多く、まるで私が斬られている気がするが、何故か笑いがこみ上げてくる。
斬られても反発する気にはならない。彼女の舌鋒は鋭いが軽妙で毒がないように感じるからだろうか。バサッと斬った後に洒落た一言でしめているからかも知れない。或は余りに私に当てはまり笑うしかないのかも。認識はしているものの、未だに失敗の連続で斬られて当然とも思っている。
家内から最近も注意されていることがある。嫁に行った娘に会うたびに赤ちゃんはまだかと聞くのは止めなさいと厳しく言われている。少し太ったとか痩せたとか誰かれなく言うのも止めろと。娘を思う親の気持ちの発露だと思っていてもダメだという。
昨夏、会社務め時代の同僚で、時々会って食事する女性を怒らせてしまった。タイレストランで他の友達と一緒に久しぶりに食事し、記念に写真を撮ってもらった時のことだ。何気なく背中に手を回したとき意外と柔らかったので、ついつい酷い事を言ってしまった。
20年前仕事でサンフランシスコに出張した時、会議をコーディネートする旧知のコンサルタントと仲良くなり、丁度同じように二人の写真を撮った事がある。彼女は長身でスタイル抜群なのに、背中に手を回した時指がめり込む感じがして意外な感じを受けたことを思い出した、と。
彼女はそれを聞いてこんなデリカシーのない男は他に無いと言い、怒り始めた。本気で怒っているのを見て謝ったが手遅れだった。食事の後もメールで蒸し返され散々叱られた。今回田舎に帰る前に彼女が気をきかして仲間内で食事会をやってくれた時にも、何度も聞かされ謝る羽目になった。何か弱みを掴まれたみたいになった。
おまけに以前このブログで女性管理職が多く競争が厳しい米国企業で、美人は殆ど例外なく出世に有利だと書いたことまで持ち出され、私は偏見の塊のようにやっつけられた。大事な友達を怒らせた、言いたいこともあるけど謝るしかない。
会社勤めの頃は気安くしている女性社員がケーキなどを食べているのを見かけると「おい、豚になるぞ」、「太った?」というのは挨拶代わりだった。95年に米国に出向する前、私は危ないからセクハラ事件に巻き込まれないようにと、彼女たちに何度か言われたが気にしなかった。
当時、セクハラで巨額の慰謝料を請求された日本企業が話題になっていた。渡航前の教育か、彼女たちの警告の効き目か、幸いにも米国でそういう事件には巻き込まれなかった。
一度ヤバイと思ったのは、「豚になるぞ」と同じノリで休暇明けにふっくらした感じになった秘書についつい「well round」という言葉を使った。彼女はマジ顔になって、「私は良いが、こういうことは言わないほうがいい」と忠告を受けた程度だ。
実は私が職場で頭を悩ましたのは、文化的なすれ違いが生んだと思われる女性蔑視もしくは差別の訴えの処理だった。オペレーションが落ち着き始めた1年後頃から増え始めた。端的にいうと私は文化の違いを理由に穏便に済ませることに力を注いだ、というのが正直なところだ。
一方で、もし私がこの問題の取り組みに熱心でない、又は揉消そうとしていると見做されると人事担当マネージャがある日突然立場を変え内部告発するリスクがあり、そういう印象を与えないよう注意を払った。ある意味日系企業職場のセクハラ問題はそういう微妙な性格のものだった。
そういう難所を乗り越えて来たものだから、私自身はその辺のセクハラ男だとは思ってなかった。年も年だし。斉藤さんの本は60ものセクハラ例を網羅してあり、私も逃れられそうもない。かといって、多少痺れる程度の毒のある会話は数少ない楽しみの一つなのだが。■
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます