かぶれの世界(新)

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60年ぶりの邂逅

2021-06-22 15:19:56 | 日記・エッセイ・コラム
何時もの様に川沿いを散歩していると、橋の途中の歩道に寄せて停車した軽トラの横で巨大な布らしきものを上げ下げして泳がせている老農夫を見た。物珍しいモノには必ず口出しする性格の私は何か聞いた。彼は田植えの苗を育てる為に苗床に覆っていたカバーを乾かしているのだという。

田植え前に農協が一括して苗を育てて農家に配るというのが最近のやり方だが、彼は3町歩以上の田んぼを管理しており自分で苗を作るのだという。私が子供の頃は集落ごとに共同苗床で苗を育て各戸に分配、その後農協が一括して苗を供給していたと聞く。そこまで言って「お宅はサダノブじゃないの?」と彼は聞いた。頷くと「俺はオカザキ、覚えとらんか?」と続けた。

私はそういう名前の同級生がいることすら覚えていないのに、彼は私が遠くから近づいて来る時にもう思い出したという。一体どういうことか。若い頃物覚えのよかった私だが、最近の物忘れの酷さは家族の間では定評がある。彼は更に続けて、私は小さくなったという。私はかなりの早熟で中二がピークで成長が止まり、確かに今はその頃より3センチ背が低くなった。

その後は同級生たちの近況を聞いた。懐かしい名前が出てきて誰それが亡くなったとか教えてくれた。その時出てきた名前の一人も記憶がなかった。彼自身も糖尿病になり一時透析を受けていたが、奥さんの言われるとおりに生活習慣を改善して治癒したという。そんな話は聞いたことがなかったが、元気づけられる話だった。奇跡的だと大袈裟に驚いて分かれた。

その日は私が74歳になって二日目で、彼とは中学時代から一度も会ったことがなく正確には59年ぶりに出会ったことになる。しかも、橋の上では長々と話を続けたが、申し訳ないことにいまだに中学時代の彼の顔を思い出せない。帰京したら卒業写真をチェックしてみよう。よく言えば今に集中して生きている、悪く言えば興味がないと同級生でもすぐに忘れるのが私だ。ヒドイ男だ。■

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