最悪の広報戦略
米国でのトヨタ叩きとも思われる追求が続いている。今朝方トヨタ社長が要請を受けて議会証言すると報じられた。散々渋った結果、正式招請を受けてイヤイヤ出席する印象を米国民に与えているのは間違いない。私から見ると対応が全て後手に回り、考えうる最悪の広報戦略といってよい。
過熱気味の米国メディアにも淡々と事実を紹介する中立的な記事も無くはないが、全体としてはトヨタ社長が議会証言を逃げまくっている印象を米国民に与えている。小沢幹事長が不透明な政治資金を説明せず、国民の不信感や怒りをかっているのと同種の感情をもたれているようだ。当たり前で常識的と思われることをやらない驕った姿勢と人々は見ている。
ピント外れの批評
日本国内でも今回のトラブルを分析評価する記事が多いが、全体的に技術論に傾いているように感じる。トヨタ経営の過剰な純血主義と急速な世界展開で人材が追いつかず、加えてハイブリッド化で自動車の開発生産が複雑になる一方、部品の共通化で問題が世界に拡散し、対応できなくなった。昔ながらの現場のボトムアップを基盤にするトヨタ式生産方式が機能しなくなった等々。
だが、今、米国議会やメディアが問題にしているのはそういうことではない。彼らが声高に非難しているのはトヨタ車が深刻な品質問題を起したことではなく、その問題への対応の仕方である。トヨタは早くから車に問題があることを知っていながら、当局やメディアに嘘をついて隠していた疑いを持たれていることだ。即ち、米国民に生命に関る恐れがある欠陥車を売り続けてきた疑いだ。
問われているのは品質ではない
今回のトヨタのリコールはかつてなく大規模だが、遡ってリコール規模や故障率を調べてみればフォードやGMと比べて突出しているわけではない。だが、これを日本車に対する差別と捉えない方がよい。いってみれば品質問題は米国車では日常茶飯事。しかし、問題が起こった時素早く正直な(に見える)対応が絶対的に重要なのだ。そこをトヨタが誤り、バッシングを受けている。
開発・生産の品質は最終的に顧客からの声で決まる。問題は事故などの情報を全米から収集、分析して問題抽出し、重要性を判断して対応を決定・実行し顧客の安全を守る、この一連のサイクルの速度と決定するトヨタのシステムが機能しなかった、欠陥があったということだ。問われているのは車の品質もさることながら、それを処理するトヨタの仕組なのである。
品質問題の対応を誤った
具体的には、どこに事故情報のデータベースがあり、どの時点で対外的に何を言ったか、社内の設計や生産をどう変えたか、その根拠は何であったかが問われるだろう。夫々の時点での判断や決定が詳細にレビューされ、どこで誤りが起こったか、その責任はどこにあるか、全体システムが適切に機能させる仕組の有無と責任はどこにあるか、トヨタは説明を求められている。
もし好意的な推測をするなら今回の大失態は、現場を徹底的に改善し、高品質を誇るトヨタならではの問題かもしれない。そこに驕りを指摘する専門家もいる。滅多に大きな品質問題を起さなかったので、大規模なトラブル慣れしておらず、適切な組織作りや対処法が出来てなかったという言い訳だ。
初心に戻りゼロからやり直せ
だが、この言い訳は説得性がないように感じる。トヨタは以前にも問題を起し品質管理強化のため、現豊田社長その人が当時品質担当副社長になり取り組んだはずだった。私の数少ない経験では、問題を大きくしたのは市場の品質フィードバックが貧弱な場合か、フィードバックを受けても組織として適切に機能しない、のどちらかであろう。私は後者のほうがありそうな原因のように感じる。急拡張したとはいえ、大トヨタが顧客の声を聞く仕組がないはずがない、問題はそれから先だろう。
情報がピラミッド組織の上部に上がっていくにつれて、どこかで経営や開発と相克する立場の責任者に到達し、そこで業績優先もしくは開発責任を回避するような誤った優先順位により判断が歪められたのではないかと思う。或いはそういう情報判断(脚色)した報告がされたのだろう。建前か本音のどちらでも価値観が対立する部署もしくは責任者がいるはずだ。
それが原始データの発生現場に近いところなのか、最上位の経営管理者なのかによって対応が異なる。トヨタの場合どちらなのか、非常に興味がある。何れにしろ、経営トップは問題を正しく把握できてなかった。今回の事件でトヨタの品質を含む意思決定システムがバラバラに分解され評価されるだろう。初心に戻ってゼロからトヨタウエイを見直すきっかけになるのではないかと思う。■