かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

DNAの縛り

2010-02-07 19:09:09 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、都内の神社で長男の結婚式があった。息子と話す機会が普段滅多にない私には、上司や友人のスピーチから新たな息子の素顔を発見した気がする。大学の専攻とは全く違う専門分野で社内の専門家になっていると聞いて驚いた。だが、新鮮な発見は仕事以外のことだ。

息子の喋り方や歩き方が私とそっくりと、私を初めて見た彼の友人たちの言を伝え聞いた。それを聞いて息子はハッピーじゃないみたいだったが。大阪から来てくれた妹は、子供は骨格から内臓まで親の遺伝子を引き継ぐのだから、歩き方や喋り方が同じで当然だと解説した。

宴の後半で友人がユーモアを交えながらのスピ-チは私には発見だった。息子が出身大学の運動部のまとめ役(GMと言うらしい)を4年間やったという。彼は普段から時間にルーズでチャランポラン、自由放任だったらしい。だが何故か部としては結果を出したと続けた。

私は、良くぞ言ってくれた、私の資質を良くぞ引き継いでくれた、という思いだった。私は若い頃は生真面目にやろうと努力してある意味印象付けに成功したが、根がチャランポランだというのは私の近しい友人は知っていた。私もその方が結果的に良い仕事を部下がやってくれた気がする。

米国で仕事をした時、日本人同僚が感心したと教えてくれたことがある。それは部下が問題を起してもベテランの米国人上司が後からカバーできる(マネジャブル)範囲である限り、自由にやらせる管理手法だった。息子が具体的にどうしているのかは知らないが、結果を出したのだとすれば何か工夫があったのか、若しくは元々チームエシックが高く余計な管理は不要だったのか。

このような人の資質は遺伝子として伝えられるのかどうか知らない。両親や友人等とか付き合ううちに後天的にそういう資質が培われたのかも。理由はどうあれ、私は悪い気はしなかった。楽しい結婚披露宴が終わり、今は親の責任を果したという若干の虚脱感がある。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする