4日ニューヨーク証券市場のダウ平均がリーマン・ショック前の水準に回復した。これを受けて翌日の東京証券市場も日経平均が9600円台を回復した。東証1部上場企業の9月中間決算は、5日までに決算を発表した796社の経常利益の総額が前年同期の2・4倍に大幅改善した。7~9月期だけを見ると経常利益は四半期ベースで金融危機前の水準を回復したという。
その後も企業業績の回復を伝えるニュースが続いた。大手8社の2010年上期(4~9月)の連結純利益の合計額は前年同期比1.4倍に達した。全産業(983社)の上期の純利益はリーマン前の95%、自動車大手7社は98%の水準。電機大手が全体の業績改善をけん引する構図という。(日本経済新聞11/9)
日本企業の下期予測は慎重だが、企業業績という点では新興国はとっくにリーマン越え、欧米企業もそれに続き、日本はほぼその水準に近づいてきたというのが世界経済全体の風景だろう。言い換えると、リーマン・ショック直前から今年9月末までの2年間をすっぱり切取ると、リーマン・ショック前とその2年後の企業業績はほぼ実線で繋がったといえる。
業績が回復したという事はこの2年間が無かったと同じ、流行の言葉で表現すると「失われた2年」ということだろうか?勿論そんな事はない。世界地図を眺めるとイメージが湧いてくる。
この2年は富の移転だった
他のファクターは大きく変化した。この2年間を切り取り、何が変化したのか見れば明確に分かる。各国政府が金融危機対策でばら撒いたお金は最初安全な資産に隠れていたが、溢れたお金はやがてリスクマネーに変化して新興国に流れた。元々は先進国が赤字まみれになって捻り出したお金だ。同時進行で世界企業は新興国に向かい工場を作る一方で、先進国の失業率が跳ね上がった。
この2年間は先進国から新興国へお金と雇用を移転させるための期間だった。世界企業はこの大変化に合わせて自らを変化させ、やっと収益が上がる構造になり、株価回復したということだ。平時だったらこれ程の政府支出や企業が血を流すことは出来なかった。リーマン・ショックはばら撒きや人員整理の大義名分を与えた。だが、実はそれは富の移転プロセスの一部だったというのが本記事の趣旨だ。
これがリーマン・ショックが引き起こした経済危機が世界にもたらした真の意味だったように私は感じる。この2年間の色々な指標の変化の流れを詳細に調べればこの傾向がより鮮明になるだろう。私にはそんな力も意欲も無いのだが、この直感的仮説は悪くなさそうだ。同じように感じる人がいたらやってみて欲しい。
原動力は伝播力と停滞
もう一つ大胆な仮説(というより例によって根拠なき占い程度だが)をいうと、この富の移転は先進国の科学技術と経済の進歩を地球上どこでも伝播させる力と媒体が進化し閾値を越え、新しい現実を生み出す過程で起こった移転といえないだろうか。
今起こっている地球規模の大変化は「質量一定の法則」的アプローチを採用したらどうかと思う。つまり、富は生み出していない、移転しているだけだと。別の言葉で言い換えると前世紀に史上最大の富を生み出した先進国の科学技術や経済の進歩が停滞しているために起こっている現象ではないだろうか。進歩に比例して生じる先進国から新興国へのバイアスの力が、進歩の停滞によって働かなくなり自然法則通りに水が低いところに流れた。だが水の量は決して増えてない。
ニューノーマル
リーマン・ショック後「ニューノーマル」という便利な言葉が良く聞かれる。今までとは違うんだ、今までの常識は通用しないと、いろんな意味で使える。新しい事態に直面できない人達には、効果のある言葉だ。昔に戻すことなど出来っこない、選択は前に進むしかないという言葉には説得力があるように聞えるが、今から行き着く先が見えてこない。
今は一体どういう時代なのかというと私には具体的なイメージが湧かない。先進各国政府の政策は基本的に激変緩和策であり、大量の痛み止めである。企業はとりあえず新しい環境に合った事業規模と立地を見直して業績を改善したに過ぎずない。組織の存続の目途が立ったというだけだ。先ず立て直すことは重要だが、そこで働く多くの人達は変化についていけず彷徨っている。それが先に行われた米国の中間選挙で端的に現われた。
もしかしたら、先進国の多くに人達は痛み止めを打ちすぎて全身麻痺に陥り思考力を失うかも知れない。そうなると先進国は「失われたXX年」に陥る可能性が高い。10年後に現在新興国の人達は、今と変わらない先進国をみて「失われたXX年」と揶揄するかもしれない。現に欧米諸国は今、改革が遅れデフレが常態化する「日本化」を恐れている。
日本の「失われた10/20年」は彼らにとって恐怖そのものだ。日本はこの間、痛み止めを打ちまくった。その間に起こったのは政府が民から借金する「政府から民」への富の移転という、日本特異な現象が起こった。その間何も生み出した訳ではなかった。悲惨なのは未だにこの深刻な問題に気付いていない。日本は別の意味でニューノーマルの先進国だったといえる。■