「離れ」とは塩川元財務大臣の名言「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」の離れである。母屋があって初めて離れが存在するはずなのに、今我国の母屋の大黒柱が腐りかけている懸念がかつて無く大きくなっている。日本は「離れ」の時代に真只中にある。
昨今、中ロとの領土問題・日本株式一人負け・基地移転問題に関わる安全保障などの危機が表面化してきた。これら共通して横たわる問題は国力の低下であり、政治・外交力の未熟さに責任を問うだけでは何も解決しない。世界における相対的な経済力の低下が根本的な原因である。
かつては奇跡といわれた日本の余りの成功ぶりに謙虚さを失ったこともあるが、概ね道を踏み外さなかった。その強大な経済力のおこぼれを期待し中ロは自重し、身勝手な一国平和主義もカネで何とか済ませるという世界に類例の無い金持ち国だった。今日の新興国の手本になった。だが、どうも我国は「金の切れ目は縁の切れ目」的な落ち目トレンドの罠に嵌ったと感じる。
テレビ等で指摘される稚拙な外交手腕に起因するというのは、目先の現象だけを追いかけた見方であり、根底に日本の総合的な国力の低下があることを見逃している。我国はバブル崩壊後の「失われた20年の間」に、BRICsなどの新興国に追いつき追い抜かれた。最早日本を頼らずとも彼らは世界が投資してくれる。世界は史上かつて無い過剰流動性で金に溢れている。
日本の母屋が弱体化したという認識が、外交でも内政で直視出来ていない。いまだに「離れ」に焦点を置いた舵取りが我国を危機に追い込んでいる。その意味で菅内閣が、党内外の反対に対して環太平洋経済連携協定(TPP)参画を主張しているのは正しい。まさに前原大臣の言「1.5%のために98.5%を犠牲にできない」状況であり、しかも報じられているように最後のチャンスである。
日本は他を圧する経済大国だった頃の発想の延長線上で、効果が期待できないのに数十兆円にも及ぶ「離れ」へのバラマキを続けてきた。結果として「離れ」は何十年も進歩が止まったまま、世界的競争に直面し硬直した税制や雇用に縛られ「母屋」も傾いた。一方で、当時国家としての存在感はあっても経済的には意味のある存在ではなかった中国に名実共に追いつかれた。
私は、昨今の中ロの横暴に対する外交手腕の問題を云々するより、「母屋」が傾くのを放置するかの様なメディアに迎合した政治が国難を招いたと指摘したい。今回TPPへの参加について遅まきながら主流メディアは前向きの発言を繰り返しているが、農村票が頼りの政治家の存在は多く、依然として先行き不透明だ。
悪いことに問題はTPPだけに限らない。世界の競争ルールが年々変わっているのに、自らを変えられず古いやり方にしがみつき、国の背骨を支える競争力を損なう恐れがあるのは他にもうんざりするほどある。だが、収益を上げ税収・雇用を増やし、年々増大する社会保障費用をまかない、子孫への借金を減らす働き手を、国を挙げて支えることを今こそ最優先にすべきだ。
「離れ」の問題は苦境を超え悲惨である部分がある事は承知している。一方で、「離れ」の現場である田舎で暮らしていると、「離れ」にばら撒いた国民年金はパチンコに消え、戸別補償対象の農家の主要収入は勤めに出る若夫婦から得ている実態を見て驚く。蛇足だが、パチンコはバラマキ還流システムだ。親子でパチンコにお金をつぎ込み、サラ金法改正で闇金を借り破綻した農家の噂を聞く。
大衆迎合的な傾向を助長するのは、ロシア大統領の北方領土訪問の問題についても同じである。野党やメディアはロシアを強く非難する声を上げるより、政府の不適切な対応により批判の目が向くのは違和感がある。母屋の危機より重要で報道の価値があると考えているのだろうか。
こんな傾向は今に限ったことではないので、円高対策を含めて企業も個人も手を打っている、所謂「折込済み」なのも公然の事実だ。大黒柱の企業は生き残る為には躊躇無く工場を海外移転させ海外企業の買収に投資し、結果として雇用機会を失わせている。もしかしたら本当に本社を移して国籍を変えることを真剣に考えているかもしれない。生きるか死ぬかになればやるだろう。
個人マネーは投資信託などを経由して海外に向かい、運用成績を改善したい公的年金基金までも海外投資の比率を高めている。TPP参加の議論の成り行きによってはこの傾向を更に加速するであろう。しかし、今後は声高にではなく更に深く静かに潜行するだろう。資本の海外逃避と見られてもおかしくないからだ。だが、新興国・先進国に関らず歴史的に起こってきたことだ。■