かぶれの世界(新)

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ニューノーマルは日本化!?

2011-08-18 16:48:36 | 社会・経済

今度はリーマンショックとは違う

米国財政危機を巡る政府と議会のゴタゴタとその後の国債格下げ、南欧諸国の財政危機が伊西仏に飛び火してユーロ危機の噂が駆け巡り、世界の株価は大きく値を下げる一方円高が進行した。個人的には海外ファクター比率を高めていた私の金融資産も値打ちが7-8%下がった。参った。

だが、今回の先進国財政危機の連鎖はサブプライム焦げ付きに端を発したリーマンショックとは様相が明らかに異なる。先月末の記事「誰も信用できない時」で指摘したように、市場にとっては今回の騒動は想定の範囲内で新しい事態に粛々と対応しているように感じる。

正に「パニックなき暴落」(高井宏章氏日本経済新聞8/11)という呼び方がピッタリ来る。リーマンショック後に提唱された「ニューノーマル」がウォールストリートの人々の口の端に上り、エコノミストは米国が「日本化」していると警告し始めたという。関連記事からその背景が何か探ってみたい。

パニックなき暴落は想定内

高井氏の記事を参照すると、リーマン破綻後13日間の株価下落に比べ今回の国債格下げ後は倍のペースで株価が下落している。しかし、金融機関の貸付は変わらず企業活動への影響が殆ど出てない。ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)は、今回の方が格段に上昇幅は小さかったという。信用不安は起こらなかった。行き場を失ったリスクマネーは皮肉にも格下げされた米国債に緊急避難し、受け皿の小さい金市場に向い金が暴騰した。

言い換えると、市場は日米欧や新興国・資源国の経済指標を眺めて、冷静に世界経済の先行きに悲観的になっているのだ。その背景は欧米政府の経済政策効果が切れてきたうえに、リーマンショック後世界経済を牽引してくれた新興国の経済成長に陰りが出てきたからである。

事態はより深刻、打ち手がない

それ程深刻になるのは他にも訳がある。リーマンショック後より深刻なのは、状況が悪化しているにもかかわらず先進国政府の取りうる対策の手札が限られていることだ。米国は議会との妥協の結果景気回復のために巨額な財政出動は取れなくなった。財政赤字削減のために景気刺激策を打てず悪い影響がでると不安視されている。

一方FRBは既に2013年までゼロ金利維持を発表しており、残された手札は量的緩和(QE3)しかない。米国の専門家は日本の「失われた10年」と類似した状況になってきたと言い始めた。このままでは何年にもわたり失業率が高止まりし、消費が増えず経済が停滞する恐れがある。これが、米国債が買われ株が暴落した背景である。

共通問題は歯止なき社会保障費増加

日欧米ともに財政悪化の直接の原因は民間の不良債権を政府に移した結果であり、今回の格下げは政府財政自体が万全とは見做されなくなったためである。私はその底流に民主主義国が抱える共通の問題、先進国が抱える最大の債務「社会保障」が横たわっていると考える。東日本大震災でも人々はまるで自助の精神を失ったかのように何かと「国が、国が」と言うようになった。

困難に陥った人々の当座の生活を支える役割から、社会保障は恒久的に生活水準を維持する役割に変化した。民主主義はこの役割を加速させた。だが経済が順調な時には機能しても、経済が停滞し人口構成が変化すると維持できなくなる。各国毎に多少の色付けがある。例えば米国は消費する為に世界から借金し、ギリシャは生活水準を維持するために豊かな独仏の金を頼りにした。

ニューノーマルの構図

際限なく増える社会保障費で政府が信頼を失いつつある状況で、バブル崩壊後の処理コストは政府の財政赤字を一挙に増やし事態を深刻にした。新しい状況に逸早く対策を打ち業績を回復させた企業と裏腹に、一向に改善しない雇用状況とそれに適切な対策を打てず支持を失い機能しない政府、という構図が先進国の世界に広がった。民主主義が生み出した社会福祉が人の心を変え、財政赤字を悪化させバブル崩壊で化学変化した経済、これが私の「ニューノーマル」である。

実はこれこそバブル崩壊後日本が抜け出そうともがき、いまだに解決策を見出せず苦しんでいる「失われた1020年」の現在の姿である。「日本病」はバーナンキ総裁を始め世界で研究されてきた。今、世界はどうしたら日本化しないかその研究成果が問われている。世界の株暴落は、事態はそれ程容易ではないと思い知らせた。

この記事を書いている間にS&Pに捜査が入ったとニュース速報が飛び込んできた。理由は別でも国債格下げを余程腹に据えかねた懲罰的な手入れのように感じる。■

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歴史に残る不見識報道

2011-08-15 16:17:05 | ニュース

生エネルギー特別措置法案は19日に衆院を通過させることで、与野党国対委が先週合意した。引き続き26日の参院本会議で成立の見込みという。又、政府は本日の閣議で原子力安全庁を環境省の外局に設け、来年4月発足させる基本方針を閣議決定したという。

ネジレ国会で与野党対決の中殆ど成果を挙げることが無かった菅内閣だが、原子力規制の根本的な見直しは歴史に残る賢明な決定であったと高く評価したい。規制当局が経産省下にあったことが、今回の原子力事故対応の混乱の原因となったことは周知の通りである。

世界で最も信頼されているといわれるファイナンシャルタイムズ(FT)は、日本の原子力業界にはかねて安全性を軽視し、都合の悪い事実を隠蔽する体質が見られる。いわゆる「原子力村」の官僚や政治家、原発専門家の信用は大きく失墜したと報じた(日本経済新聞8/10)。

この政治決定はその根本原因を取り除くものだといってよい。浜岡原発の再稼動や玄海原発運転再開に待ったをかけた時、マスコミはこぞって首相の延命の為の唐突で思いつきの人気取りと切り捨てた。だが、菅首相の「待った」がかからなかったら、果たしてこの歴史的な政治決定がなされたか極めて疑問である。

江田大臣は経産省のシナリオに従って日本経済復興のため原発運転再開を進めようとし、多分手順を踏んで首相了解も取り付けたのだろう。マスコミは菅首相にコケにされたかのように報じた。多分それも本当だろう。だが、官僚の言うことを聞いて混乱を避けたら、それが日本にとって正しい判断が何か考え抜いた結果と言えるだろうか。

菅首相の豹変は正に「君子の豹変」であった、言い換えると我国にとって最も重要な意思決定をしたと評価する。手順を踏んだら正しい決定が出来るわけではない。浜岡原発を運転停止しその後ストレステスト実施指示は、日本を正気に取り戻させた健全な判断であったと思う。

脱原発依存を現実的にどう勧めていくかというHOWの議論はあっても、いまや、方針の妥当性について異論を挟む者はいない。しかし、首相決定直後のマスコミ報道は唐突だとか具体性に欠けると酷評するばかりで、政策の妥当性について全く議論しなかった。

私にとってはマスコミの「唐突」報道は、「歴史に残る政治決定」に対する「歴史に残る不見識な報道」であった。あの公正な事実報道を標榜するNHKの夜のニュースキャスターが、物知り顔に唐突と切って捨てた時のショックは忘れられない。悲しいばかりのマスコミの醜態だった。

だからといって菅首相退陣の動きは止まらないし、彼のパフォーマンスが優れていたという積りもない。しかし、決定的な場面で四方八方の非難を恐れることなく君子豹変し、我国にとって重要な決定をしたと私は評価する。マスコミに叩かれ四面楚歌の状態でよく決断してくれたと。■

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私的・窮地の15%節電(3)

2011-08-12 21:31:04 | 日記・エッセイ・コラム

/12~8/9(29日間)の電気使用通知が来た。

気使用量は先月より若干増の415kwhで前年同月比22%減、電気料金は9,819円で同16%減だった。目標の15%を達成したことになるが、物凄く努力して節電効果をあげたという実感が湧かない。というのも先月中頃の台風がもたらした雨と、その後北からの冷たい空気が居座ってくれたお陰で昨年より大分気温が低かったからだ。エアコンが必要なかった。

先月の我家の節電は努力の結果ではない。猛暑が続くこれから先はとても楽観できない。今月からNTT東日本-電力見える化サービスのモニターになり、我家の電力消費推移が時間別・日別・月別でパソコンにグラフ表示されるようになった。今までずっとくじ運の悪い私だったが、今回は東日本全域を対象に選ばれた200家庭の一つになった。

ブレーカーに送付されて来たセンサーを取り付け、無線でデータが親機に取り込まれ、インターネット経由でサービスサイトに収集する。パソコンからサイトにアクセスすると我家の電気使用状況が分る仕掛けだ。グラフを見ると、我家の電力消費のピークは伝えられている通り午後2時頃だった。ピーク値を下げる節電効果が最も大きかったは、昼食後エアコンを切り図書館に出掛けた日だった。

一昨日別送されてきたセンサー内蔵の電源タップを居間のエアコン用コンセントに取り付け、最大電力消費機器の電気使用状況が分るようになった。エアコンの電気使用量は外気温度に反比例することが、電源タップを取り付けて初めてビジュアルに理解できた。深夜になると同じ温度設定でも昼間の1/21/3の電力で間に合うことが分った。

風が去って本格的な暑さが戻った後も、我慢してエアコンを出来るだけ節約してきた。1週間前の暑い午後の買物の途中、前触れも無く足がふらつき一瞬歩けなくなった。今週は更に気温が上がり、昼間に外出するのが怖くなった。だが、家の中にいても暑さで頭が重く感じて集中できず、3日前から午前中もエアコンをつけるようになった。昨日は10時、今朝は9時前からだ。

数年前夏の暑い時間帯に農作業をやって、その直後に血圧が急上昇し降圧剤を飲むようになった経験がある。そのことがどうにも気になって今朝医者に診て貰うと、今の血圧なら服薬を再開する程ではないという。先生は暑さで血圧が上がる例は稀にはある程度だという。最後に今後血圧測定を続け様子を見ること、節電は程々にしてもっとエアコンを使いなさいと言われた。

節電よりも健康が優先、これで言い訳ができた。我家の15%節電の優先順位は低下、又もや窮地にたった。でも、言い訳が出来たせいか、何か気楽だ。■

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短命政権の構造

2011-08-09 17:04:39 | 国際・政治

菅首相退陣真直に迫る

野田財務相が次期首相に立候補を意思表示し、菅首相の退陣が近づいてきたようだ。週末に行われた世論調査では内閣支持率が18%、月内の退陣を求める人が45%になったと報じられた。バイアスがかかっているといわれる読売新聞の調査結果でもそれ程差はなかった。

安倍首相以降、毎年繰り返されてきた首相交代が今年も繰り返されそうだ。鳩山氏を除けば正に「首相の寿命は1年」である。短命政権が我国にとって良い事は一つもないのは誰の目にも明らかなのに、又もこの悪弊を繰り返すことになりそうである。悪いと分って何年も同じ事を繰り返すのは、我国が自らを正すことの出来ない国であることを世界に露呈したと言える。

首相の賞味期限1年の原因

安藤毅氏は「首相の賞味期限はなぜ1年か、安定政権阻む「制度」と「人材」の壁(日経BP8/4)で、短命政権の原因は①国会運営や選挙などの制度の問題(特に政権運営上の大きな障害になっているのが強すぎる参院の存在)と、②政治リーダーを養成する仕組が壊れた(首相を生み出していく有効な仕組みがなく、「人気」や「空気」が決定要因になっている)と明快に切り込んでいる。

だが、短命政権の原因追求としては踏み込み不足で表面的と私は感じる。ネジレ国会になった今では力が強すぎる参院が問題なのは、衆院に比べ参院が1票の格差が大きく任期が長い為その時々の国民の声を正しく反映しにくいからだ。又、政治リーダー養成はその場凌ぎの人気でなく米国大統領選のように長い選挙戦の中で徹底的にテストされ培われていくものでなければならない。

言い換えると、安藤氏の原因分析と改善案を私が不十分と感じるのは、そこにマスコミを通じた間接直接の国民の関りがないからだ。月並みだが「政治は民度の表れ」である。政治と国民の間で情報を伝えフィードバックするメディアを総合してその国の政治システムが構成され政策が決定されて行く。この政治システムがどう機能するかが、最終的に我国の政治レベルを決定する。

政治を機能させない構造

最近の政治システムが機能しなくなった直接の理由は、参院で与野党逆転した時からであるのは議論の余地がない。以来、緊急かつ重要な政策をネジレ国会で人質にとり内閣を追詰め、倒閣に持ち込む妥協のない与野党対決のスタイルが定着した。我国にとって悲劇なのはリーマンショックや大震災という国家の一大事にあってもこの構造から抜け出せず政治の停滞が続いてきたことだ。

この悲劇的な構造を喩えると「土壷に入った日本」がピッタリ来るように感じる。以前から指摘しているように、この構造に参加しているのは何も三流の政治家だけではない。非生産的な与野党対決のもう一方の重要な参加者はマスコミである。安倍内閣の大臣がつまらない理由で辞任を繰り返し、麻生首相が漢字を読めないと揶揄され首相の資質まで問われ追い込まれていった。(福田・鳩山両氏はもう一つ別の小沢ファクターが加わった。)

最後の参加者は勿論国民だ。常々「政治は民度の表れ」というからには、我々国民の政治を見る目の不確かさも白状しなければならない。三流とはいえ政治家は我々が選んだ訳だし、マスコミの見識のない報道を無批判に受け入れているのも我々なのだから。何れにしろ、これで我国の短命政権のフレームワークが完成する。

政局を見つめる世論

嘆くのはここまでにして、我々に希望があるのか少し論じてみたい。先ず世論調査の結果について言うと、冒頭のNHKの調査では菅首相及び民主党の支持率が僅かながら上昇し、震災復興より政局優先のように見える自公の姿勢を批判する世論が伺えた。端的に言うと過去1ヶ月マスコミの圧倒的な量の政局報道の影響を世論は受けなかった。物は言い様だ、新聞テレビは逆に言うが。

以前からネット世界でマスコミ批判が多かった。今回の震災報道の問題について的を射た指摘が増え、マスコミが無視できないレベルまで来た様に感じる。今までマスコミが自説に都合のよい三流の海外新聞記事を選びつまみ食いしてきた。だが、経験を積んだ記者が海外主要メディアを総ざらいして論じる記事がネットで流れ、読み比べられマスコミは信頼を傷つけられている。

マージナル・メディアの奮闘

同じマスコミの中でも中島聡氏が、東京新聞を高く評価した記事は良く出来ている。そのまま引用させていただくと、『「原子力村 vs. 菅内閣」「菅おろしをしたくて仕方がない与野党」という構図の中で、どちらの側にも立たずに、きちんと事実関係を捉えて記事・社説を書いている。』 かつてなら購読者しか知らなかった見識がネットで全国に伝えられ、テレビと違う考えもあると教えてくれる。東京新聞をマージナルと呼べないかもしれないが、週刊誌はそういっても差し支えないだろう。

マスコミと異なる最も際立った震災報道を展開したのはその週刊誌かもしれない。週刊ポストが「菅下ろし」に熱中する新聞テレビの政局報道から一線を画し政策の是非を論じ、マスコミ記者が権力闘争大好きだからと批判した。普段下司な三流記事を見ると「週刊誌ネタ」と揶揄する私だが、これにはその通りと予想外な批判に我が意を得た。

週刊誌報道を十羽一絡げで評すべきではないと思ったのは他にも見識ある記事を見つけたからだ。それは懸案の特例公債法を人質にとって「子ども手当撤回を迫る自民党はさながらチンピラ、ヤクザのイチャモンだ」(ゲンダイネット8/7)との一寸ドギツイ指摘で、NHKの世論調査で民主党に比べ自公の支持が上がらなかった理由ではないかと推測する。

海外だから良い訳でもないが・・・

米国の財政赤字を巡る大統領と議会の駆け引きは、日本顔負けの酷い泥仕合だった。その影響はとてつもなく大きい。議会のネジレはちんまりした妥協しか許さず世界中のマーケットを恐怖に陥れることになった。だが、日本では長年先送りしてきた財政赤字を、結果は別として米国では正面から取り組み、国民は次の選挙の判断材料を得た。米メディアは来年の大統領選に向けたカブキ(政治ショー)と酷評した。民主主義の根幹の制度である選挙が政策を誤まらせている。

だから海外メディアに文句言われる筋合いはないと思わない。新聞テレビが絶対に引用しない痛烈な日本マスコミ批判を最後に紹介したい。「この国のメディアはその本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあおり、些細な問題をあげつらってヒステリックなバッシング報道を展開する──。その結果、首相の首が何度もすげ替えられてきたが、一方で政治の本質的な問題がメディアから伝えられることはほとんどなかった。」(ニューズウィーク日本版7/14) 是非反論を聞きたいものだ。■

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高齢化の時計(2)

2011-08-06 13:01:10 | 日記・エッセイ・コラム

異変が起こったのは、昨日昼食前に買物に出掛け帰宅途中のことだった。4軒目の100円ショップで最後の買物を終えて自宅に向かい狭い小路を暫らく歩くと、突然前方に霞がかかった。前を歩く人が揺れて見え、地震でないことは直ぐ分かった。足がふらついて思ったように前に進まない。

やっと右手のビルの壁に辿り着きもたれて立った。多分時間をおかず前に進み始めたが、ふらふら歩く様子を見て親子連れの母親が大丈夫かと声をかけてくれた。大丈夫と応えたけれど、足がもつれ傍目に大丈夫な様には見えなかったと思う。母親が近づいて来るのが見えた。

何とか道路の反対側の塀に到達してすがり付いた。視野が狭くなっているように感じた。傍に来た母親は近頃では珍しく赤ちゃんを背負い、3歳くらいの女の子が付いて来た。心配そうに何度も大丈夫か聞かれた。暫らくすると意識がはっきりしてきた。

「もう大丈夫です」とわりと力強く答えて、やっと母親は納得したようだ。女の子にも「ありがとう、バイバイ」と言うと、母親に促されて「バイバイ」と言って去って行った。その後は不安を抑えて用心しながら自宅まで10分程度の距離を無事歩いて帰った。

最初に頭に浮かんだのは、数日前にサッカーの松田直樹氏の心筋梗塞で倒れ亡くなったことだった。父親も二度の心筋梗塞で死んだ。その前兆が現れたのかもしれないと思った。だが、どこにも痛みは感じなかった。多分違う。経験がないが、普通の貧血かもしれない。それなら大事ない。

先日黒い糸くずが見えるようになり医者にかかったばかりだ。高齢化の時計が容赦なく進んでいるとつくづく思った。特に自覚症状に変化はないが、昨日午後から外出を控え自宅でゆっくりしている。皮肉なことにこういう時に限って世の中は色んなことが起こる。

昨日は米国経済停滞と欧州の財政危機不安で世界中の株価が暴落した。しかし、夜には米国の雇用が予想以上に改善されたと報じられ市場は乱高下、今朝はS&Pが米国債の格付けを下げたと速報が入った。何が起こっても事態の推移を見守るしかない。私には他にやることがある。

私が万が一の場合に家族に伝えておかなければならないことが沢山ある。生命保険や税金など。どうすればよいのか解が見つかってない懸案事項も沢山残っている。母の介護から田舎の田畑山林まで私しか詳細の事情を知らないことだ。時計は容赦なく進んでいく。■

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