午後2時半過ぎ母が入院している病院から電話がありすぐ来てくれという。死んだと言わないで心停止と電話の女性は言ったがメッセージは伝わった。東京の家族には来る時が来たと、Lineに書き残し車で松山市の病院に向かった。1時間半弱で病院に着くと、母の病室に案内され先生が待っていた。死亡宣告は受付も看護婦もせず、まず先生からという訳だ。
母は今朝ゼリーを食べ、昼食は流動食もとったという。しかし、午後2時過ぎに脈拍が停まり2時27分に死亡を確認したという。私は覚悟していたというと、先生は突然の心停止で驚いたと言われた。こういった病状で長く生きながら得たのは施設の丁寧な介護があったから、直接の死因は老衰で大往生だと説明された。
その後続けて、遺体はその日のうちに引き取れ、支払いはどうだとか事務的な話が時間をおかず出て来た。何も準備できなかった私は泡を食って、ご近所が良く利用している農協の葬儀サービスに一切を依頼した。松山市の葬儀サービスに連絡して地元の葬儀サービス場に遺体を運んでくれた。万事手順が決まっているようだ。
私は母の荷物を纏めて車に積み込み遅れて葬儀サービス会館に着くと、母は会場に安置されていた。そこで担当者に説明を受けながら、お通夜・葬式・火葬・収骨・法事の日程、お坊さんの員数から御花や食事等々矢継ぎ早に決めて行った。なるべく質素にと思っていたが話を聞くと費用が100万円以上になりそうで驚いた。最近の質素なお葬式のトレンドとは違うようだ。
葬儀費用は母親の預金口座からと思っていたが、火葬を市役所に届けると自動的に口座が凍結されるという。その前に預金を引き出さないと、当座の葬式費用が払えないという恥ずかしい事態になりそうだ。その間に母の兄弟に連絡し葬儀の概略を伝えた。こんなに色んなことをやらねばならないとは思わなかった。
一つだけグッドニュースがある。我が家は二代続けて母親が息子の葬式を出した。男が早死にし祖母は60年以上(多分)後家さん、母も40年以上後家さんを勤めた。三代目にして私は遂にこの哀しき伝統を打ち破った。順序通り母の葬式を息子が出すことになった。我が家の男にとっては慣れない役目を勤めることになる。今後もそうあって欲しいものだ。■
母は今朝ゼリーを食べ、昼食は流動食もとったという。しかし、午後2時過ぎに脈拍が停まり2時27分に死亡を確認したという。私は覚悟していたというと、先生は突然の心停止で驚いたと言われた。こういった病状で長く生きながら得たのは施設の丁寧な介護があったから、直接の死因は老衰で大往生だと説明された。
その後続けて、遺体はその日のうちに引き取れ、支払いはどうだとか事務的な話が時間をおかず出て来た。何も準備できなかった私は泡を食って、ご近所が良く利用している農協の葬儀サービスに一切を依頼した。松山市の葬儀サービスに連絡して地元の葬儀サービス場に遺体を運んでくれた。万事手順が決まっているようだ。
私は母の荷物を纏めて車に積み込み遅れて葬儀サービス会館に着くと、母は会場に安置されていた。そこで担当者に説明を受けながら、お通夜・葬式・火葬・収骨・法事の日程、お坊さんの員数から御花や食事等々矢継ぎ早に決めて行った。なるべく質素にと思っていたが話を聞くと費用が100万円以上になりそうで驚いた。最近の質素なお葬式のトレンドとは違うようだ。
葬儀費用は母親の預金口座からと思っていたが、火葬を市役所に届けると自動的に口座が凍結されるという。その前に預金を引き出さないと、当座の葬式費用が払えないという恥ずかしい事態になりそうだ。その間に母の兄弟に連絡し葬儀の概略を伝えた。こんなに色んなことをやらねばならないとは思わなかった。
一つだけグッドニュースがある。我が家は二代続けて母親が息子の葬式を出した。男が早死にし祖母は60年以上(多分)後家さん、母も40年以上後家さんを勤めた。三代目にして私は遂にこの哀しき伝統を打ち破った。順序通り母の葬式を息子が出すことになった。我が家の男にとっては慣れない役目を勤めることになる。今後もそうあって欲しいものだ。■