かぶれの世界(新)

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鬼嫁!?

2016-07-05 16:50:57 | 日記
娘夫婦の赤ちゃん誕生100日を祝う食事会で盛り上がった話題が、赤ちゃんが生まれた翌々日に何と夫君が急性胃潰瘍になったという嘘みたいな話だ。特別仕事が忙しかったという訳でもない。家内の解説によれば、最近の男性は育児や家事を良く手伝うようになり、夫君も長男も例外ではなく私とは大違いという。

娘の要求が「これして、あれして」と命令口調を連発し、夫君を追い詰めたのだそうだ。家内によれば「XXしろよ!」みたいな口調で夫君に言ったらしい。そう言えば20年前の女子高生時代、オレとかオマエといった男言葉を使うのが女の子の間で流行り、娘もそういう言葉を使っていたという。その言葉を聞いた時の夫君が感じた驚きのプレッシャーは容易に想像できた。

そういう娘も出産前にストレスで潰瘍になったらしいから、彼女はナイーブさがないという訳でもないというのが親のエコヒイキ的な言い訳だ。何れにしろ「鬼嫁」という言葉が皆の口の端に上り食事会で笑いを誘った。それだけでは終わらなかった。夫君は娘の口が悪いのは私の血を引いていると、笑いながら疑いの声を上げた。それを言うなら、いつも私をボロボロにけなす家内の血を引いたと内心思った。確かに娘の口が悪いのは親譲りだ。

始まりは15年前に娘と結婚する許可を得に夫君が我が家に来た時だった。私に開口一番「何しに来たんだ?」と言われて彼は絶句したという。飲み会の席とかで笑いを取るため私の言葉を10回以上引用したという。何だ、利用してるじゃないか。利用されても問題ないが、私は全く記憶がない。娘は多くの男性と付き合って男を見る目があるから、彼女が選んだ男は間違いないと結婚を了解したと言った記憶はある。酷い親だ。■
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松本デビュー

2016-07-05 16:41:57 | 旅行
娘に待望の子供が生まれ100日目に「お食い初め」の行事を祝うため、2日夜に夫婦の家族が大挙して松本市に集合した。若い頃に登山口のある白馬とか大町駅に降りたことはあるが、松本は通過しただけで記憶がない。私が育った田舎では「 お食い初め」という行事は聞いたことがなかった。

新宿に新しくできた話題のバスターミナルを一度経験してみたいという私の希望で、家内と末の息子とともに高速バスに乗り約四時間半かけて松本に到着した。長男家族は特急あずさでバスを追い越し、車中から予約してくれたレストランに集合した。何も準備せず乗り物の中で連絡して好みのレストランを予約し、そこで落ち合うとは世の中変わったものだ。私の時代ではあり得ない旅のスタイルだ。

松本駅に近いバスターミナルから松本城に向かう道の殆どは石畳の良く整備された歩道で、電線が埋設されて立看板や旗がなく歩いて気持ち良かった。多分、長年にわたる都市計画が着実に実行されたのだと思った。自治体によって大きな差が出て来る。

子供の頃に社会科の教科書で見た松本城の印象は黒壁の形のいいお城で、いつの日か見てみたいと思っていたので今回は良い機会になった。松本城は安土桃山時代に建てられ450年の歴史があるのだそうだ。戦国時代や明治維新を潜り抜けてきて奇跡的に現存する城だ。

お堀に面して明らかに造りの異なる櫓(月見櫓)は、その部分だけ赤い欄干があり戦いに備えるいかつい城造りと好対照でアクセントになっている。へそ曲りの私は家内や他の家族が城内を見学する間、外側を見て回り他の見学グループのガイドの説明を聞き情報を仕込んだ。月見櫓は光圀が来る為に作ったもの(実際は来なかったという)で、今でも市民の間で月見の行事が行われているという。

あちこちに外国人見学者を見かけた。城の入口付近にボランティアのガイドが控えるテントがあった。その一人の中年男性に聞くと、英語の他に片言の中韓語も喋るという。片言でもその国の言葉で挨拶するだけで喜んでもらえるのだと言う。彼によればガイドの資格は不要だがお城の歴史を学ぶ必要があるという。

城内見学が終わると家内と長男の嫁さんが孫を連れて人力車で城の周りを見学した。その間に、ガイドから車夫の個人情報まで聞いて時間を潰し、近くのコンビニで家内達と落ち合った。ガイドがお喋りなのは職業柄なのだろう。そこから送迎車で市の南側にある和風旅館に向かった。そこで先に来ていた両家の家族と合流した。

一風呂浴びて宴会が始まった。夫君の父上が挨拶し、結婚13年目にして待望の跡取りが出来たと聞いた時はいささか感傷的な気分になった。彼は近年かなり体が弱ってきた感じだったので気持ちはよく分かった。私にとって3人目の孫は、鼻がやや上向きの愛嬌のある丸い顔で夫君の家族の間では私似だそうだ。家内はとんでもないと否定するが、私似の男が新しい人生を引き継ぐと思うと悪い気はしない。

四国の田舎から東京に戻った金曜日の蒸し暑く寝苦しい夜は辛かった。その翌日は地元の人が異常と言う暑い夜が続いてヘトヘトになった。旅館の人は「松本は冬は北から来た人に寒いと言われ、夏は南から来た人に暑いと言われる」と半分自嘲気味に言った。余り住みたくない気候だ。

旅館は暑い夜に慣れてなかったのかやけに分厚い掛布団しかなく、かといって暑くて布団から手足を出すと今度は効き過ぎた冷房で眠れないという、最悪の夜が過ぎて朝起きた時は皮肉にもヘトヘトだった。それでも気分転換で往復1.5時間かけて松本深志神社に参拝して戻ると、昨夜から高熱で途中退席した長男の孫が一夜明けても熱が引いてなかった。折角の松本デビューなのに長男の嫁さんは子供の世話で手一杯だった。

なので旅館の送迎バスを途中下車した我々と分かれ、長男家族はそのまま松本駅に向かい電車で東京に戻った。月曜日からお泊り保育の予定だそうで無理しない方がいい。可愛そうだが子供優先しか選択肢はない。我々は娘夫婦の助言で松本の観光スポットのなわて通りから中町通りを散策した。

朝の散歩に続いて蒸し暑い炎天下の散策で周りの景色を見る余裕もなく本当に疲れた。松本の綺麗な街並みは印象的だったが、お城以外に目玉になる観光名所はなかった。私は疲れて元気な家内と息子の足を引っ張る結果になった。家内のリサーチで人気のソフトクリームとか蕎麦をいただいて、少し元気を取り戻した。

その疲れを倍増させたのが帰りのバスが巻き込まれた大渋滞だった。1時過ぎに松本を出発したが、大月インターの前から始まった渋滞は八王子のゲートの先の事故処理まで続き、家に着いたのは夜の8時過ぎだった。昔から大月と八王子辺りによく自然渋滞が発生したが、圏央道との接続が自然渋滞要因として加わった上に、複数事故が起こればもうダメ。金曜日の同じ時間帯に松山を発ち、4時過ぎに自宅に着いたのが嘘みたいだ。次から中央道のバス旅行は止めようと家族の意見は一致した。■
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