かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

田舎暮らし雑感2023(11)

2023-09-07 14:23:34 | 日記・エッセイ・コラム
昨日投稿した希望的観測は大外れ、秋はまだ来なかった。今朝から空は真っ青に晴れ上がり気温がじりじりと上がって来る。こういう時は外に出て庭の手入れなど論外だ。実際、田畑で仕事をする農夫など一人も見かけない。見かけるのはその先の高速と国道を突っ走る車だけだ。

こういう時私は雨戸を締め切って朝の涼しい空気を部屋に閉じ込め、パソコンを動かし再放送のテレビドラマを見るだけだ。ところが大変なことが起こった。2階の書斎にあるテレビの地デジ番組が見えなくなった。最初は先週5チャンネルの画面が乱れ遂に電波がないと表示が出た。

それが徐々に他のチャンネルに飛び火して、今週初めには民放全チャンネルが同じ現象になった。そして昨日遂にNHK放送も見えなくなった。一方で自前でパラボラアンテナを設置したBS放送は全チャンネル問題ない。実家は盆地内の山裾にあるので電波の入りが悪く、地デジの電波は表通りのアンテナから有線で引き込んで有料で見ていた。

こんな暑い気候でテレビが見えないのは辛い。だが、実は1階の居間のテレビは地デジ放送が問題なく見えるのだ。有線で受けた電波を各部屋に配線してテレビを見るようにしており、居間のテレビはちゃんと見える。20年近く前に改築した時に電気・電話・インターネット・地デジ・BSとステレオの配線を天井と床下に通して貰った。今や屋内配線がどうなっているか全く分からない。

田舎の大きな農家に一人で住む後期高齢の老人にとって、見たいテレビ番組によって階段を上り下りする、こんな不便な生活は辛い。見たい地デジ番組は階下に降りて見る、それが終ると2階の書斎に上がりBSテレビを見るかパソコンを立ち上げる。配線と接続を調べる気力も最早なくなった。

この不便さがいい方向に働いた面もある。というのは、今迄はどうでもいいテレビ番組でも見てテレビ漬け生活になっていた。だが、不便になったお蔭で見たい番組だけ見るようになり、空いた時間をもっと有効に使おうとするようになった。私の場合はスマホを活用する時間が増えただけだが。

書斎にいる時間が減り、かつ階段の上り下りが増えると、まだ数日なので断定できないがスマホの万歩計のカウントが増えそうだ。最近の若い人達はリアルタイムでテレビを見るより、ネットで見て時間を有効に使うタイパ人間が増えたそうだ。私もタイパ老人にトライしてみたいものだ。■ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋来たる!(希望)

2023-09-06 11:41:33 | 日記・エッセイ・コラム
今週初めの月曜日と火曜日の「体感」気候が全く違ってた。月曜日はそれ程暑くなかったはずだが、1日中気だるく感じた。夕方6時過ぎに何時もの様に川沿いの散歩道を歩いてる時、下流から吹いて来る風が何故か異常に生暖かく気だるさを感じた。風は少しでも暑さを和らげてくれるのだが。

すれ違った人達と何故こんな妙な風がふくのか、熱帯低気圧のせいかも知れないと話し合った。私の素人考えでは気圧が低い為に起こっている現象や体感かもと思った。何れにしろ滅多に起きない現象で、友人も何故か体がだるく感じると言ったから私だけではないと思う。

ところが、昨日の夕方同じ時間帯に同じ散歩道を歩いた。家を出た時の気温はほぼ同じだったが、散歩道で同じ方向から吹いて来た風が、清々しくとても気持ち良かった。すれ違った人達は声を揃えて涼しくなったと言った。遠方の山にかかる雲はゆっくりと北に流れていた。つまり南風だった。だが、地上では逆に北西から風が吹いていた。

これはテレビが報じる天気予報とは違うと思いながら、私は「そろそろ秋だね」とすれ違う人に声をかけた。だが、残念ながら今日の天候は先週に戻ったようだ。部屋の気温は上がって来るし、湿度も高い。ただ、そんなに酷い気だるさはない。後数日でどうせ秋が来るだろう。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後期高齢者のディジタル化転じて

2023-09-03 15:40:36 | 日記・エッセイ・コラム
昨日隣町の内子町の馴染みのカフェに行った時、店のオーナーと義弟と私の老人3人組が全員スマホの保有者になっていた。昨年にカフェに行った時スマホを使っているのは私だけで大進歩だった。オーナーのは約15万円の高級品で、義弟は1円、私は家族に貰った実質0円だ。

私はパソコンと同じアプリをスマホでも使い、外出やトイレなど場所を限らず便利に使っているが、義弟は電話以外はパソコンを使っているだけの様子。そこにオーナーのガラケーに電話が入って話し始め、彼はまだ実質スマホを使ってないと分かった。高級機をまだ使ってなかった。

これが後期高齢者のスマホ利用の実態だった。その私も家族内ではスマホならではのアプリを一切使用しない謂わば「遅れたユーザー」だ。ということで、高齢者の会話は自然と健康ネタに戻った。私が4月に偽痛風で市立病院に入院したと紹介したが、実は義弟は2回も救急車に乗ったという。

3月に転倒して頭を打ち気を失い救急車で運ばれたという。気が付くと妻と息子の顔が目の前にあったという。私はそんな怖い経験はない。二度目は小さな結石だったが痛みに耐えかねず救急車を呼んだという。彼は痛みに耐えられずモルヒネを打つと10分程度で痛みが取れ退院できたという。

それを聞いて私が4月に市立病院に入院した時に、彼の母が亡くなり大阪から帰郷していて保証人になって立ち会ってくれたことに改めて感謝した。マスターは20年前頃に心臓の病で関西にある日本一と評される医者にかけあって治療を受けた話を再度聞いたが今はとても元気そうだ。

この私は偽痛風後の後遺症が完治せず、無理をするなと言われながらもトレーニングをやり勝ちだと紹介した。そのせいか私の顔が若干腫れているように見えると彼は言う。多分そうだ。義弟は若い頃からゴルフをやっていたが、彼もケガ以降練習が出来ずその後一気に体力が低下しゴルフは不調だという。ということで、高齢者のスマホの話が結局は健康ネタになってしまった。

帰りの途中に新谷町で義弟の車から下りて、いつもの川沿いの散歩道を歩いた。すると前方にサイクリング車を修理している二人の若者がいた。本格的なロードバイクとヘルメットのバイカー姿だったが、若い方のバイカーが転倒したといい手足と顔に擦り傷の手当の跡があった。

転倒した弾みでチェーンが外れペダルと車軸の隙間に食い込んでいた。もう一方の若者が小道具を取り出して間もなく外れたチェーンを戻し、これからドラッグストアに行くといって去って行った。双海町から峠を越えて国道に出て長浜町経由で戻るという。私も似たようなルートの走行を計画しているが、私より遥かに本格的な装備でちょっと不安になった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし雑感2023(10)

2023-09-02 20:50:50 | 日記・エッセイ・コラム
義弟から突然電話が入り、彼が母親の初盆で帰郷し一連の行事を終えるとの連絡を受けた。私は31日の雨で「送り火」の行事が中止になったと勘違いしてたが、彼によると白提灯等の盆飾りをお寺に収めまとめて送り火で燃やして貰ったという。寺ごとにやり方が違うとは知らなかった。

何れにしてもすべての行事は終わったので、数日内に大阪に戻ると聞き急遽二人で食事をしようということになった。彼の車で隣町の内子町に行き昼食をとったあと、馴染みのカフェに行き店主を交えて近況の報告をし何時ものように馬鹿話をした。

店内は以前よりお洒落な雰囲気に変わっていた。NHKドラマのロケで店内のレイアウトを変えそのまま使っているという。多分そのせいで若いお客が2組いた。店の向かいの空き家がパン屋になり、お客が流れると心配したが、パン屋は若い人達にカフェは常連客向けで大丈夫と店主は強気だった。

表通りは以前に比べ人通りが減ったように感じたが、それも店主は強気だった。カフェは馴染み客と外人観光客だそうだ。だが、以前は店内から聞こえて来る音楽に惹かれて来る客がいたのに、付近の店からのクレームでスピーカーの位置を店の奥に変えたという。店内の音楽はBディランとか昔流行ったフォークロックを流しており、私には若い客に来て欲しく無いみたいに感じた。

店主は80代半ば、私は後期高齢者2年目、義弟は私より2歳年下となれば、一通り近況を報告し合った後どうしても健康ネタになってしまった。気を付けていてもそうなってしまう。私は健康ネタは止めようと言って話題を変えた。だが、どうにも年寄り臭い話題になってしまった。

と言って話題を変えても、店主の孫が超優秀な弁護士だとか、昔私が某専門誌のインタビューを受けたことがあるとか、義弟のデザインが政府機関の表彰を受けたとか、結局自慢話になってしまった。話題を変えてコーヒーは何時もより濃いというと、店主は3割程度濃くしたと認め、次に3割程度薄めたものを淹れてくれた。お客の体調により好みが変わるという。昔の喫茶店は概して濃かったと。

偶然にも今日は馴染みの店員K嬢(!)が10年働き還暦を迎えお店を辞める最後の日だった。彼女は凄く話の合う人で還暦を迎えたとはとても思えない若々しかった。だが、代わりに働くという彼女の息子と若い女性店員を見ると世代交代を実感せざるを得なかった。

彼女が店を出て行く時に今迄のお礼と還暦のお祝いを言った。暫くすると彼女が戻って来て私と義弟に今迄のお礼だと言って和菓子をくれて再び出て行った。突然来たのにわざわざ菓子を買ってくれたと思うと感激した。馴染みの店の知り合いでもこんなこと初めてだった。

それから小一時間後に我々も店を出た。たまたま向かいの店から出て来てパンを食べる若い女性二人組に声をかけた。私は病気です。「パンは美味しいかい、普通のパンと違うの?」「美味しいですよ」みたいな普通の会話。松山から車で来たという。それだけ。団体客は見かけなかった。

私は先祖のお墓と相続した実家や不動産を守る為に毎年帰郷するが、義弟はこの後頻繁に帰郷する理由がなくなりそうだと思った。これから会う機会が減るかもと思った。年に1,2回は彼の車でこのカフェに来ていたが、これからどうしたものか。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の後期ディジタル半世紀

2023-09-01 21:29:33 | デジタル・インターネット
先月末の日本経済新聞が、円の実効為替レートが1995年が最高値だったことと、1998年にグーグルが創立し今年で25年になると報じた。この記事を読んで私の直近の25年間の個人史と重なると感じた。25年前は米国で仕事をして3年目で、それから帰国後にITバブルが弾け早期退職し、母の介護をしながら東京と田舎の二重生活を経験して後期高齢者を迎えた。

たまたま高度成長時代に東京で働いた田舎者が最先端ビジネスに人生の半分を過ごし、残り半分の人生を別の意味で激動の25年を過ごした。その初めのマイルストーンは円最高値とグーグルで、終わりのマイルストーンは円最安値と世界分断にぶつかったグーグルがいると感じた。

私がグーグルのネット検索を凄いと認識したのは1999年に米国勤務から帰任した時のことだ。直前に米オフィスで同僚から便利な道具があると教えられたが、「あ、そう」と聞き流し積極的に利用した記憶がない。ところが、帰国後子供達に教えられてその便利さを実感させられた。

帰任当時長男は大学に入ったばかり、娘は高校生、次男はまだ中学生だったと思う。子供3人は私がその4年前に残して行ったパソコンを使い回していた。中学生の次男が有線のオンライン契約をしたと家内に聞き、ブラインドタッチでキーボード入力するリケジョ娘を見て驚いた。

半世紀前に会社勤めを始めて以来私はコンピューター技術者だった。正しくはハードウェア設計技術者だった。1995年に米国に赴任し、一転して100%コンピューターのユーザーになった。その時に私は子供達と同時にコンピューターユーザーとしてスタートしたようなものだ。

現実の私は家族内で最も出来の悪い消極的なユーザーだった。退職後の家計と資産管理の為にパソコンを使うだけ。家族間でメールや写真のやり取りに参加する為に、プレゼントされて初めてスマホのユーザーになった。その頃は息子や娘は外資系の会社に勤める最先端のITユーザーであり専門家だったのだろうと想像する。私は退職した時から家族内で最も遅れたITユーザーだった。

2日前の日本経済新聞を見て1995年4月が円の実質実効レートが最も高かったのは知らなかったが、円高が私が米国工場に赴任して生産に携わることになった理由だ。そして今、円の実力は53年ぶりの低水準になった。円の実力低落は私のコンピューターユーザーとしての半世紀と重なった。

だが、一つだけ家族内で負けてないことがある。それは米国勤務時に始めた外貨ベースの資産投資と田舎で相続した不動産を一括してディジタルで管理していることだ。大した金額ではないが、海外勤務の結果として種々の通貨ベースの投資や年金・保険を保有している。

東京や田舎の不動産と税金・医療費などを総合して家計を管理せざるを得ない。それでも海外の動産不動産は出来るだけ処理した。折角だから金額は少なくても米国から支給される年金は頂くが。結果、今でも複数のスプレッドシートを連携させてリアルタイムで資管理と家計管理を同時にする。

私のディジタル半生記後半特有の普通はあり得ないアプリだ。ただ、説明が難しく誰にも使えないアプリだ。こんな面倒くさいお金はいらないと言われそうだ。私もそう思う。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする