八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

光風霽月

2024年11月11日 12時44分46秒 | Weblog

画像は、ひと月前の、閼伽井嶽薬師、常福寺の境内。午後になり始めると、西の嶽に太陽が沈み始めて、樹々の影が地面に描きはじめる。冬至まで、日の入りが早くなっている。前回、太陽暦採用記念日に、時刻のことで、「時刻昼夜平分に、二十四時に定めーー」とあると、書いた。それまでは、「不定時」の「昼夜長短に随いーー」だった。新暦に移行した一月一日から、「時鐘」ーじしょうー時刻を知らせる鐘を、「諸祭典など」で、「施行致すべきこと」と、読んだ。「そうなんだぁ」です。表題の「光風霽月」は、ーふうげつせいげつー日の光の中を吹き渡るさわやかな風と、雨上がりの澄み切った空の月の意ーと、読んだ。第二の意義です。今日は、昼前から澄み切った秋空のなったので、使いました。今日の記念日は、「世界平和記念日」「介護の日」「公共建築の日「電池の日」「ジュエリーデェー」「めんの日」「チーズの日」「くつしたの日」「おりがみの日」と、いっぱいある。まあ、電池、めん、チーズ、くつしたに、とりあえず感謝をする。突然ですが、「時は○○なりとかけて、除夜の○○ととく」、ちょっと待って、「かね」とは、なんぞや。鐘があり、金属の金、おかね、金銭と、読んだ。「おかね―金銭」は、労働に対して支払われる金銭と、読んだ。世の中、働いてお金を頂き、税を納めるで、成り立っているのだろう。難しく考えたって、「下手の考え休むに似たり」だっぺぇですね。またまた、あっちゃこっちゃでした。

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