画像は、先の東日本大震災が発生して、原発事故が発生した時の、三月18日のいわき市長からのメッセージの一部。当時の12日の夕刻、原発から20km圏内居住地の知り合いに会った。その際、ヨウ素剤を持って避難してきたという。「ヨウ素剤をですかぁ」くらいのことしか、わからなかった。この画像のお知らせを、取っていた時、若いお母さんが、窓口の担当者に「ヨウ素剤は」と、息急切りながらたずねていた。その後は、ヨウ素剤は、無用になった。この日の、市役所からの「お知らせ」は、「ヨウ素剤の配布」、「食事の事」、「ごみ収集のこと」、「給水可能になった地区」、「給油ができる所」、「避難所一覧」、「環境放射能測定値表」等などだった。「お知らせ」を隣組に配布することは、独自の判断だった。町内会に、防災関係の組織はあり、町内会部会の一員だった。今は町内会とは、無縁で、防災会の事は分からない。
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