のんびりと旅気分を味わいたいので、アウト10時のところを11時まで延長してもらったが
結局、魚屋気質の私は8時半の朝食がすむと9時半には宿を出発した
天気は小雨、今日の予定では紀ノ川SAで買い物、そこから紀ノ川を遡って写真を撮りながら
穏やかな紀州を楽しみ、柿の里や九度山、高野山や木津川の面影だけでも味わいながら
奈良斑鳩、法隆寺へと考えていたのだ
ところが天気は雨、しかも大阪へ向かう一車線の阪和道は渋滞で60kmののろのろ運転
和歌山からの無料自動車道、京奈和道も渋滞で50km、まったく土地勘、距離感がないために
思わぬ時間ロス、しかもロマンチックな紀ノ川ののどかな田舎を想像していたのに、谷間には
びっしりと住宅が建ち並び、ベッドタウンが延々と続いている
雨も降っているし、時間もどんどん過ぎていくのでそのまま自動車道を走るしか無い
事前調査もせず、感に頼るだけの行き当たりばったり走行、法隆寺には昼前につく予定が大幅に遅れている
そしてあてずっぽで下りたのは20kmも手前の御所南IC、奈良っぽい名前に近いと思ってしまったのだが
ここからは市街地の一般道路が続き、しかも渋滞も続き大幅な遅れ、法隆寺にようやくついたら2時過ぎ
幸いなことに雨は上がっていた
近くの小さな駐車場に車を入れた、おじさんが出てきて600円だという、なかなか気のよさそうな人で
「法隆寺は初めてですか?」と関西アクセントで聞いてきた
「2度目だけど、もう10年以上前だね」「それじゃ忘れてますなあ」
「そうですね」「そんならちょっと簡単に見所紹介しましょか?」
「お願いします」
おじさんは管理小屋から法隆寺の地図を持ってきて、見る順番と見所を簡単に説明してくれた
関西の人と、こんな短い時間でもお話しするのはほとんど無い、だから関西から西の人たちとはどんな人なのか
はっきり言ってわからない
20年くらいまえに我が店で結婚式をあげた女性が奈良の田原本町の人で、我が店から100m程の家に嫁いだ
その後、商工会議所に勤務した関係でボランティアの事務代行担当になって私と2年ほどコンビになった
その人の口から出てくる奈良ことばが、まことに心地良かった、唯一まともに語り聞いた関西弁はこれだけだと思う
だから私の頭の中では奈良、和歌山、滋賀の女性の言葉が日本で一番心地良いのではないかと思い込んでいる
もっともまともに聞いたのは、この奈良言葉だけだが
大阪は、自転車でいきなりやってきてお節介してくれた、おばちゃんの印象が強烈に残っている
法隆寺は10数年前に女房殿と今日と金閣寺を見たあと、道を間違えたおかげで生駒のスカイラインを通って
簡単に斑鳩の里へ来ることができた、あれ以来である
国宝の数々、唐の時代に中国で造られた仏像も重要文化財となっている
小学校の国語で習った「玉虫厨子」もあった、なかでも、ようやく住居が定まったという放浪する「百済観音」が印象に残った
飛鳥時代の木造観音だが、いつどこで誰が作成したのか、どのように法隆寺に来たのか、でどころが全く不明という
不思議な観音様なのだ
細身で背が高く、ほんとうに立派な観音様だ、もちろん国宝に指定されている
ここで約一時間たっぷりと歩き、見た、もう時間は3時をまわっていた、昼食を食べることさえ忘れてが夕食兼用にすることにして
もう一カ所、薬師寺でも行こうかと思いながら駐車場へ戻った
「おかえりなさい」管理人のおじさんがニコニコして出迎えてくれた
「これからどちらへ行かはります?、もうこんな時間やし、寺は時間的にむりやろなあ・・・お泊まりはどこです?」
「奈良駅に近いところです」
「それならいいところ紹介しましょか・」「はい」
「今、奈良市では平城京の跡を公園にして、復元して居るんですわ、資料館もあるんで、そこが時間的にもちょうど良いと
思いますから地図もってきますね」
そして道順を教えてくれた、その通りに行ったら30分足らずで到着できた、途中には大和郡山城、薬師寺、唐招提寺など
見所が幾つもあった、これは明日にまわすことにして平城京跡へ向かった つづく