しかし、そんなことを言った翌月六月になると秀吉は、食あたりしたかのような激しい嘔吐と下痢が続き、すっかりやせ衰えてしまった
今までは三日もあれば全快したのに、ずっと寝たきりになった、諸大名が次々に見舞いに訪れたが誰もが「もしや・・・」と思うのであった。
ここで秀吉が死んでしまえばこの国はどうなるのか、朝鮮はどうなるのか、豊臣家は? 誰もが混乱した。
秀吉も(まさか・・・もしや・・・)と思うようになった
そうなれば一番に気になるのが秀頼のことであった、まだ五歳の子供である
政治どころか、大名を制するなど淀がついていてもできるわけがない
秀吉は石田三成を呼んだ、何といっても豊臣家のことを第一に思っている男はこの三成であると秀吉は思っている
「三成よ、儂にもしものことがあれば秀頼を託せるのは、そなたしかいない
さりとて、そなたはようやく17万石の大名になったばかりじゃ、力が無さすぎる、せめて50万石与えておけばよかった」
「そのような、お気をたしかになさりませ」
「もはや気休めを言って居る時ではない、儂が死ぬかどうかは天が決めることじゃ、儂は死んでも何でもないが、残す淀と秀頼の先が心配なのじゃ
よいか、そなたは儂が亡き後でも秀頼を守り通し、豊臣家を盛り立ててくれる確かな同志を集めよ、そして皆を取りまとめる者を決めよ、そなたは忠臣であるが個が強すぎて皆を束ねるには無理がある、前田大納言のような男に頼むのが良い、だが利家殿も儂と似た歳じゃ、先は知れておる
倅の利長殿、前田の婿である宇喜多中納言、毛利輝元、秀元。小早川、上杉景勝はとるに足る正義の漢(おとこ)、このあたりがまずは同志として信頼に足るであろう
奉行たちもみな信頼できるものばかりじゃ、清正も正則も長政も嘉明も秀頼を守ってくれるであろう、徳川大納言にはくれぐれも気を配ることじゃ
徳川殿が後ろ盾になれば日本も太平じゃ、秀頼も安心できる
儂が死ねば、もはや朝鮮や唐は気にせずとも良い、この国が平和であればそれで良い、儂は欲張りすぎた
母者の言うことも、上皇様の言うことも、おかか(北政所)の言うことも聞かずに無理やり朝鮮に攻め込んだ、だが儂には戦しか思いつかなかったのじゃ
貧乏人とは悲しい者よ、己の貧しい環境から脱したい、足蹴にした奴らを足蹴にしてやりたい、腹いっぱい食べたい、儂を鼻先でせせら笑った女どもを儂にひざまずかせたい
そんなことばかり考えて走って来たのよ、貧しくなければこんなことは考えもせなんだろうよ」
茶を一口すすると、すぐに咳き込んだが
「秀長に先に死なれてしまったのが一生の不覚よ、秀長が生きてさえいてくれたら秀次兄弟を殺すこともなかったに
三蔵兄いも、前野の兄貴も儂が殺してしもうた、官兵衛も遠ざけて今になってみれば儂は何を考えていたのじゃろうか・・・秀頼を豊臣を疑わなかった者たちをみな去らせてしまった、そうじゃ浅野幸長・・・すぐに流刑を解いて家に戻すがよい、三好吉房もじゃ、細川忠興も罪には問わぬ、蟄居を解除せよ」
秀吉は病の床にありながら次々と命令を発した
「そうじゃ、いまいちど秀頼への奉公の誓詞を全ての大名からとるのじゃ
ああ・・・明日、前田利家様をここに呼んでくれ、明後日は徳川殿じゃ
話しておきたいことがある、おおそうじゃ徳川殿の次は、おかかを呼んでくれ」
地震で半壊した伏見城も天守の再建はなさなかったが、あらかた修理が終わり秀吉は再び伏見城で寝起きしている
淀と秀頼、それに北政所は大坂城に住んでいる、側室たちは大坂城と伏見城、両方に屋敷をもらい、秀吉の言うがままに往来しているのだった
大坂城には隠居した前田利家が、秀頼のおもり役として常駐している
秀吉にとって前田利家は、竹馬の友と言ってもよい程の信頼できる間柄だ、石田三成でさえこの二人に割って入ることはできない
秀頼を利家に預けたことで、秀吉は肩の荷が一つ下りた気持ちなのだ、自分が亡くなっても、利家がいれば誰も秀頼をないがしろにはできない
利家に90万石をやっておいてよかったと思う、利家には70、80までも生きていてもらいたい、そうすれば自分が死んでも安心できる
そう思うのだった。
7月になると、いよいよ秀吉の病状はただならぬものとなって来た
苦しい息の下で秀吉は糟糠の妻ねね(政所)を枕元に呼んだ
「わしもこのざまじゃ、そなたにとって良い夫ではなかったかのう
何を言われても仕方ない」
「そんなことはありませんよ、おまえさまは昔と少しもかわっておりませぬ
短気でせっかちで、言い出したら聞かなくて」
「ははは、それは褒めておるのか? けなしておるのか?」
「ほほほ、自分の胸に手を当てて考えればよろしいこと」
「そうじゃ、儂ももう長いことはあるまい、しゃべれるうちに伝えておく
まずは、そなたにとっては気に入らぬことかもしれぬが、淀と秀頼を助けてもらいたい、そなたが多くの家臣や大名から慕われておることは儂は知っておる
その力を豊臣家存続のために貸してもらいたいのじゃ
そうしてもらえれば、儂は地獄に落ちても構わぬ」
「大丈夫です、秀頼のことは私が見ましょう、それにおまえ様は地獄に行っても閻魔様と大戦争をするに違いありませぬ」
「そうか、わしは地獄の王になるのか、だがもう戦はせぬ、死んでまで休まらぬのではたまらぬ、閻魔大王とは地獄の平和について話し合いをしよう、
まずは、そなたが秀頼を前田様と後見してくれるなら儂も安心じゃ
それだけじゃ、そなたに頼むことは、他は何も言わずともわかるであろう」
「わかりますとも、残された時間を幸せな心持で過ごしてください、私もこの城に居ますから、毎日顔を出しますよ」
「おお、それはありがたい・・・・・うむ、また眠うなってきた、しばし休むとしよう」

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