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光秀謀反の本能寺 なーんちゃって㉙

2021年03月17日 19時16分00秒 | 光秀の本能寺
秀吉は畿内の大名のほとんどを動員して20万と言う大軍勢になった
池田勝入の息子、元助、輝政兄弟、秀吉の親友前田利家、秀吉も一目置く生一本織田家の重鎮丹羽長秀
加藤清正、福島正則らかっての暴れん坊の小姓衆、堀尾茂助、堀久太郎、藤堂高虎、筒井順慶、蒲生氏郷数多の諸将が徳川と信雄軍に向かって並んでいる
一方の徳川軍も三河、駿州、遠州の主だった歴戦の勇士を率いて一歩も譲らない

さすがの秀吉も一部の隙もない徳川家康の布陣に攻め口を見いだせずにいる
徳川家康もあまりの秀吉の大軍勢にうかつに攻めかかれない
こうして両軍は半月経ってもにらみ合うだけで動こうとしなかった
秀吉軍は大軍勢であるけれど背後に直轄地を控えているまさにホームゲームだから兵糧には困らない
敵を目の前にしての持久戦は、敵と言えども殺戮することを嫌う秀吉の得意な戦法である
高松城、鳥取城などでもわかるように半年、一年の攻城戦を行ってきた秀吉にとって半月など待つうちに入っていない
しかし気の長いことにかけては徳川家康も負けない、長い今川の人質生活に辛抱してきた男である、短気を起こすことなどめったにない

秀吉には茶目っ気がある
ついに敵味方の真ん中近くまで一騎駆けで飛び出した、そして後を追う家来たちを制して、大声で徳川軍に叫んだ
「家康殿、ご覧あれ」馬から降りると小柄な体でひょうきんな百姓踊りを始めた、徳川の将士は呆気にとられたが
「今が秀吉を討ち取る絶好の好機なり、一発で仕留めて御覧に入れる」
しかし家康は「捨てておけ、秀吉殿はわしとの戦が面白くて仕方ないのであろうよ、われらもお返しせねばなるまいがわしは無芸じゃ、誰ぞおらぬか」
すると戦場に出ること数十回、取った首は数知れず、しかしただの一度も傷を受けたことがないという強者、本多忠勝が
「おう!承った、わしにお任せ下され!」
秀吉めがけて愛馬三国黒に乗りまっしぐら、その手には名槍蜻蛉切を高々と掲げている
「殿が危ない」秀吉の家臣は色めきだった、すぐに加藤清正が大槍を携えて馬を走らせて秀吉のもとに行った
「虎! 慌てるな!唐国(からくに)の関羽、張飛にも劣らぬ漢(おとこ)ぞ
その目玉を開いてとくと見よ!」
既に忠勝は秀吉の20歩ほどまで近づいていた、秀吉は再び大声で叫んだ
「おう! 忠勝であるか!とくと槍の妙技を見せ賜え」
秀吉の大声は有名である、敵味方ともに知らぬものはない
それにも負けじと忠勝も「おうよ!」と答えて、馬を円を書いて走らせた。そして馬上で数多の敵の血を吸った蜻蛉切の槍をこともなげにうち回し
見事な槍術の技を秀吉とその軍勢に見せつけた
秀吉は興奮して扇を振って「あっぱれじゃ! あっぱれじゃ! さすがは天下一の豪傑よ!これを進ぜよう」
そういうと自分が羽織っていた陣羽織を脱いで清正にわたし「これを忠勝に与えよ」
清正は驚いたが何も言わず、馬を走らせて忠勝のところまで行くと「わが殿から下賜じゃ、受け取れ」
忠勝はそれを見て「ははは ありがたきことなれどこれは受け取れぬ わが殿家康様からであれば喜んで受け賜るが、わしは秀吉の家臣ではない」
受け取りを拒否した、短気な清正は今にも忠勝に襲い掛かりそうだったが
秀吉は「まあ良い! 虎の助戻れ」それからまたしても大声で言った
「忠勝!良き忠臣じゃ! だがお前の主はケチ故、陣羽織などくれるものか
惜しいことをしたのう! いずれわが軍門に下った時、今一度渡してやる」

互いに自分の陣に戻っていった、そしてどちらからともなく勝どきが起った
そしてまたにらみ合いが続いた
また10日ほどが過ぎた、すると秀吉の姉の子である秀次が秀吉の前に出てきて「殿様、わしに3万の兵を与えて下され、目の前の徳川はほぼ全軍ゆえ
岡崎城は手薄でございます、わしが敵が気づかぬうちに岡崎を攻め落としますゆえ
秀吉は驚いた、まだ実績がない秀次だ、だが子がない自分の養子にしたばかりでもあり手柄をたてさせたい親心もある
もしこれに成功すれば親戚が少ない秀吉にとって秀長同様心強い身内となるだろう
秀吉は許した、しかし心もとないので池田元助、池田輝政、それに蒲生氏郷を与力としてつけることにした
秀次が15000、池田兄弟で1万、氏郷が7500を引き連れ総勢3万有余の軍は長久手方面に進軍を開始した






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