戦国時代の始まりは、鎌倉幕府の前北条氏から政権を取り戻そうと動いた後醍醐帝の戦からだと考えます
それは1330年代のことで徳川家康が豊臣家を滅ぼして一頭!(一党ではない)独裁政権を手に入れた1615年までの約300年
その間に初期の多くの守護地頭大名、荘園貴族が滅んでしまった
そして地の中から新しい権力者が数多発生してきて戦ってのし上がるもの、滅ぶものに分かれて行った
それは10億年の昔から、隕石で滅んでしまう6000万年前までの古代獣からジュラ紀繁栄の恐竜の盛衰に似ている気がする
勝ち残った者より、滅んでいった者たちへの興味が尽きない
とかく一般的な歴史ファンは戦国時代の英雄に心躍らせる、信長、秀吉、家康はまさに戦国御三家
その前は上杉(長尾)、武田、今川、北条の関東甲信越の陣取り合戦が華々しく行われていた
結局、この4大強国も明治まで生き延びたのは上杉家のみ
戦国御三家も秀吉の豊臣はたった2代で滅び去った、織田家も明治まで生き延びたが脇役にもなれなかった
唯一、徳川家が戦国トーナメントの勝者となって250年の長きにわたって日本国を支配したのだった
敗れ滅んだ者たちには当然様々な原因がある
一番わかりやすいのは圧倒的な敵に攻め滅ぼされるパターン
それから兄弟や叔父甥の内部権力争いで力が衰えた時、外敵に攻撃されて滅ぶパターン、
上杉家は本能寺の変がなければ1582年に武田家に次いで滅んでいたはずだ
同じく四国の長曾我部も織田信孝、丹羽長秀の軍勢に滅ぼされ、
毛利もまた秀吉の応援に行った信長と光秀の加勢でおそらく備後から安芸まで攻め込まれて降参しただろう
1583年には織田家は西は関門海峡から福岡まで、そして四国、東は新潟、長野、群馬、栃木、山梨、
そして同盟者の徳川の静岡県まで勢力範囲として、次には関東の北条攻めが始まる、それはまた信忠が総大将で滝川が副将となるだろう
森長可も池田勝入も明智光秀も柴田勝家も健在だ、もちろん信長も
秀吉が北条を攻め滅ぼしたパターンで北条氏はあっけなく滅ぶ、いや信長が相手なら早々に降参して関東数か国を安堵してもらうかも
柴田勝家は5万の軍団を率いて山形に攻め込み、信長の命令で徳川家康と北条は福島に攻め込み、最上、伊達を挟撃して降参させる
それから九州攻めだ、九州は大友がすぐに同盟を申し込んで長曾我部とともに
先鋒として働く
西海軍団長羽柴秀吉が10万で佐賀、長崎の龍造寺に攻めかかり、九州攻め総大将の織田信孝が20万を率いて九州最強の島津に向かう
いずれにしても織田の勢いは止まらず1585年には日本統一を成し遂げる、その頃には信長は53歳、信忠は30歳、まさに絶頂期である
織田幕府が京の都に開かれ、信忠が政務を取り、明智光秀、細川幽斎がそれを助ける
信長は九州日田あたりに大きな城を建てて秀吉を九州探題として九州全域に目を配らせる
また肥前唐津に安土城以上の城を建てて自らそこに住み、南蛮語を覚えて自ら海外貿易の采配を振るう
長崎と鹿児島に貿易船団と護衛海軍を作って東南アジアからインドまで乗り出す
信長は古きものを嫌い、新しきものに興味を示す、そういう点で九州の大名はほとんど滅ぼさず活かすだろう
海外貿易の軍団長として彼らを使う、勇猛な島津は海軍、瀬戸内の海賊衆はことごとく長崎に呼び寄せる
九州全土にキリスト教の布教を許す、但し本土での布教は許さない
スペインは唯一の交易国だが信用がならない、信長は利用しながら警戒を緩めない、だから史実の徳川家康同様いずれオランダを重宝するだろう
そしてよく歴史家が言うが、スペイン艦隊と信長の日本艦隊がマレー沖海戦を行う日が来るだろう
信長軍団は陸戦が圧倒的に強い、スペインが占領しているフィリピン、台湾、東南アジアまで信長は占領してしまうかもしれない
この頃の中国は明の時代だ、そして半島は李氏朝鮮国、北では満州人を中心に明や朝鮮を狙っている
まだ若い野心家の伊達政宗を信長は側近大名としてそばに置くだろう
上杉景勝に用はないが側近の直江兼続をブレーンとするだろう
日本は一気に国際化する、300年早く国際化した日本が訪れる
これはIF?「信長が死ななければ」での空想の通説でもある
信長には死んでほしくなかった、どんな2021年の日本になっていたのだろうか、1582年、まだアメリカには近代文明国家はない
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