80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

関電トンネル無軌条電車のあらまし

2016-06-27 10:53:39 | 実物・資料系(過去)
おはようございます。つかの間の晴れ間がのぞいている東京地方です。明日からまた梅雨空に戻るそうですが・・・


引っ越しの際に、昔集めたパンフやら図面やらをだいぶ廃棄してしまいました。これは!というものだけ残していたのですが、こういうのも放っておくと結局押し入れの奥で眠ったままになってしまうので、自分のデータベース代わりにデジタル化してブログ上に残しておこうと思います。
まずは関西電力無軌条電車、いわゆる「関電トロリーバス」の紹介リーフレットを載せます。

その昔、某バス研究サークルの機関誌に関電トロリーバスの記事をアップするため訪問し、その時にもらってきたものだったかと思います。少し調べたら1987年6月に訪問したと記録されていました。扇沢の事務所で話を聞き、車両の写真を撮らせていただき、勢いで屋根上や床下まで見せていただいたのが懐かしい思い出です。当時の写真もお見せできるといいのですが、フィルム時代の写真は、それこそ押し入れの奥に入ったきりなので、また何かの拍子にポロっと出てきたら公開したいと思います。(^^ゞ

現在活躍中のトロリーバス300型は平成5年(1993年)に導入されたもので、それまではリーフレットに紹介されている100型(2扉化改造後)のほか、トップドアの100型増備車や、中扉のみの200型(乗務員用の前扉あり)といったクセのある車両が活躍していました。

今のところ国内で運行するトロリーバスは、扇沢~黒部ダム間の関電トロリーバスと、室堂~大観峰間の立山トンネルバスの2路線ですが、地球環境問題への対応やBRTの取組みなどとあわせ、都市交通としても復活するのを期待したいと思います。







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キハ181とやまぐち号

2016-01-04 19:49:05 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。

新年もはや4日。今日から仕事始めの方も多いことと思います。ぽかぽか陽気が続いているので、ここ何年かでいちばん年末年始感がないまま日常に引き戻されてしまった感じです。


今日は模型を離れて13年前、2003年(平成15年)11月に撮影した写真をご紹介します。年末の片付けで出てきたアルバムに収められていたものでカラープリントからのスキャンです。


側線で派手なラッピングが施されたキハ181系3連の「いそかぜ」がたたずんでいます。撮影場所がわからなかったのですが、後方に見える建物の文字を拡大してみると「セントラルホテル 小野沢ビル」と読め、検索したところ益田駅で撮影したことがわかりました。晩年の「いそかぜ」は益田~小倉間を運行しており、この写真の翌々年に廃止されたとのことです。




このラッピングは、この年のNHKの大河ドラマ「武蔵」にちなみ、山口県をPRするためのものだったようです。1両目はキハ181-8。




2両目はキハ180-17で、MUSASHI、KOJIROのロゴとともに巌流島の写真がラッピングされています。




3両目はキハ181-28。錦帯橋などが描かれています。




ポツンと1両だけ止まっていたキハ40-2072。撮影場所は同じく益田駅構内と思われます。広島一般色に塗り替えられワンマン灯を掲示していますが、非冷房、延命工事未施工で、原形の面影をよくとどめています。




そしてこちらはご存じSL「やまぐち号」で撮影場所は津和野駅です。よく整備されたC571がレトロ調客車を従えて発車準備中。人で隠れていますが駅名票には「乃わつ」と書かれています。




新山口へ向けて津和野駅を発車するやまぐち号。駅裏の道路から撮っているようです。




お立ち台、津和野川に架かる鉄橋にさしかかる下り列車。終点を前にスピードを落としているのでしょう、煙や蒸気はほとんど見えません。客車はモニター屋根を模した飾りがつくリニューアル前の編成です。




これらの写真は仕事の関係で津和野を訪れた時に撮影したものですが、益田駅で撮っているということは山陰線回りで津和野入りしたようです。かすかな記憶はあるのですが益田までどのように行ったのか、末期のブルトレ「出雲」に乗ったような気もするのですが定かではありません。まだ10年そこそこしか経っていないのに、情けないことこのうえなしです。



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1980年夏の記録(その3)

2015-06-21 21:58:20 | 実物・資料系(過去)
こんにちは。
前回は鹿児島市内のホテルに投宿するところまで当時の記憶をトレースしてみました。
今回はその翌日に回った鹿児島周辺の様子と、再び夜行で向かった北九州方面のスナップをご紹介します。


1980年(昭和55年)8月28日の早朝の鹿児島市中心部の様子。夜中に降った雨が上がり、薄日が反射する路面の中央をゆく市電を望遠でとらえています。
撮影場所の記載がなかったので左端に写っている「永田産婦人科」を頼りに調べたところ、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)前から左手に伸びる県道が甲突川を渡る「高見橋」から市街地中心部方面を撮っていることがわかりました、駅に近いホテルに泊まっていたようです。



同じ場所をGoogleマップのストリートビューで表示してみました。市電軌道はセンターポール化され、車両も低床の1000形「ユートラム」と近代的な姿に生まれ変わっています。左手一帯も大きなビルに建て替わり、先の産婦人科はなくなってしまったようです。



市内観光を少ししたようで西郷隆盛像の写真なども残っていました。そしてこちらは鹿児島港の写真で「第二十折田丸」という船が写っています。調べたところ、折田商船が屋久島航路で運航していた船ということがわかりました。総トン数は353トン。現在運行されているフェリー「屋久島2」が3,392トンだそうですので時代の流れを感じます。



市電600形612号車と市営バスの後ろ姿をとらえたこの写真。左手に「ナヤ通り東口」、右手には「中町通り」と書かれたアーケードの入口が見え、市内随一の繁華街にある「いづろ交差点」の南東角から撮っているようです。右手に進むと老舗デパートの「山形屋」があり、現在この一帯の歩道は屋根付き歩道として整備されています。
市電の行先は「3伊敷町」とあり、鹿児島駅前からやってきたこの電車はこの交差点を右折し、天文館通、鍛冶屋橋を経て伊敷町まで結んでいましたが、この撮影から5年後の1985年(昭和60年)9月いっぱいで鍛冶屋橋~伊敷町間が廃止されたとのことです。
左後方に写っているバスは、当時関東ではほとんど見ることのできなかった西日本車体工業製のボディを架装したバスで、屋根部分がまるで蒲鉾のように見えることから「カマボコ」の愛称で呼ばれていました。ナンバープレートは写っていませんが、エンジンルームのメッシュの形状などから恐らく日産ディーゼル4R94型ではないかと思います。



続いての写真は伊集院駅の様子をとらえています。3番線から発車していく鹿児島本線の普通列車の最後尾はキハ47ですが、柱に隠れたその隣車両は車体裾がストレートで非冷房にも見えるので、キハ26又は55ではないかと思います。奥は鹿児島交通枕崎線のキハ100形。国鉄キハ07に範を取った流線型気動車で、朱色の塗色と相まって、初めて見た当時は強烈な印象を受けました。



上の写真では写っていませんでしたが、単体で撮ったこちらの写真で104号車であったことがわかります。駅舎に接したホームは2番線で、車両の裏手に1番線がありました。



キハ100形がたむろする加世田駅。ホームは未舗装、上屋は木造で、半円形のガラリや、柱と梁をつなぐ“方杖”が緩いカーブを描いているところなど、随所にモダンなデザインが見られます。加世田駅跡は現在バスターミナルになっており、一隅に「南薩鉄道記念館」が開設されてキハ100形も保存されているとのことです。



加世田の写真があるということは鹿児島交通に乗っているはずなのですがまったく記憶にございません(笑)。恐らくそのまま乗り通して枕崎へ向かったはずで、次の写真の裏には「指宿枕崎線より望む開聞岳」との記載があります。別名「薩摩富士」とも呼ばれるその姿は見事な円錐形をしているのですが、この時はあいにくの天気で、中腹から上はすっぽり雲に覆われていました。



そしてこの日の最後の写真は、指宿駅に進入するキハ58(不鮮明ですが152か?)を先頭にした4連の普通列車。これに乗って西鹿児島へ戻ったはずです。キハ58と腕木式信号機の組み合わせが泣かせますね。



この日の晩は再び夜行列車で北九州方面へ戻っているはずで、鹿児島本線回りの「かいもん」か日豊本線回りの「日南」のどちらかに乗ったはずなのですが、途中の写真も記憶もなく、手掛かりはつかめませんでした。


そして翌日の早朝に撮ったと思われるこの写真は撮影場所が「小倉」とだけ書かれています。被写体はエンジ色にクリーム帯の西鉄北九州市内線用1000形で、ブレていて車号がよく読めないのですが、1032A-Bの連接車ではないかと思われます。右端に第一勧業銀行すなわち今のみずほ銀行が写っており、タクシーのボンネットの向うにわずかに写っている電停の名前が「?町」と読めるので、魚町電停の南側から小倉駅方向を見て撮ったものであることがわかりました。それにしてもすごい雨に見舞われています(^^;



こちらは小倉駅4番ホームに停車中の南福岡行421系普通電車。F-16編成のようです。リバイバルではない正真正銘のローズピンク塗装ですが、さすがに車体裾の60Hz識別帯は巻かれていません。すき間風か雨対策か、貫通扉周囲がガムテープで目張りされています。



アルバムの最後は筑豊電鉄の筑豊直方駅でのスナップでした。先ほどの西鉄1000形を譲り受けた車両で、1022A-Bの連接車です。筑豊直方駅は高架駅ですが、これは将来の延伸に備え、国鉄線を越えるために高架駅とされたものだそうですが、結局延伸は実現しませんでした。



こちらは同じ1000形の中間に1両挟み込んだ3連接車体をもつ1055A-C-B編成です。前面に「3両連接車」と縦書きされた円形サボが掲げられています。ホームの雨水をかき出したのでしょうか、左のベンチ周りにはモップやらバケツが置かれています。この後も雨にはずいぶんと祟られました。




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1980年夏の記録(その2)

2015-06-17 21:50:19 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。

3週間ほど前にUPした「1980年夏の記録」の続編です。友人と九州へ2人旅したときのようすを振り返ります。


前回は夜行急行「雲仙・西海」で福岡に降り立ち、天神で西鉄電車を眺めたところまでをご紹介しました。1980年(昭和55年)8月27日のことです。

天神からは西鉄特急に乗り大牟田へ向かったようです。途中の写真はありませんが、確か久留米で途中下車をしているはずです。その年の春に華々しくデビューした松田聖子に傾倒していた私は、彼女の出身地である久留米がどんなまちなのか純粋に知りたくて、ただ駅周辺をうろついたように記憶しています。


次の写真は終点の西鉄大牟田駅から始まっています。乗ってきたであろう2000形。方向幕はすでに「福岡」になっています。ローレル賞を受賞したイエローカラーの特急車は当時デビュー6年目で、天神・大牟田線の看板列車として大活躍していました。



国鉄大牟田駅側から撮った西鉄電車。奥に2000形、手前は旧特急車の1000形と思われます。



大牟田からは鹿児島本線で熊本へ向かっていました。これが乗ってきた列車か定かではありませんが、熊本駅2番線で発車待ちする西鹿児島行き急行「かいもん3号」。形式番号はモハ456-10と読めます。昼行の電車急行「かいもん」はこの年の10月に特急「有明」に昇格しているので、その最末期の状況をとらえた写真といえます。



同じく熊本駅に停車中の急行「えびの3号」。キハ58700以下、キハ65やキロ28を含む5連です。カラカラアイドリング音が今にも聞こえてきそうですね。これからこれに乗車し、肥薩線経由で“矢岳越え”に挑むようです。



古い木造駅舎、そして奇麗に手入れされた花壇のある未舗装ホーム。写真の裏には矢岳駅と書かれています。駅舎寄りホームにはDD51が牽引する旧型客車。全国どこでも見られたのどかな交換風景です。



そして列車は吉松に到着。ここからは快速「やたけ」で西鹿児島を目指したようです。吉松駅2番線に停車中のキハ282025ほか2連の快速「やたけ」。左手には貨物ホームと黒い無蓋貨車が見えます。空撮写真で見ると、現在このあたりは駐車場になってしまったようです。



日もだいぶ傾いて列車は鹿児島市内へ。どうやら終点の西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗らずに鹿児島駅で降りたようです。鹿児島駅を通過するED76 58が牽引する貨物列車。タキ、コキ、ワム?・・・とバラエティ豊かな編成です。



市電の鹿児島駅前電停。談笑する運転士たちの後ろには発車待ちの500形。ヨーロッパのトラムを想わせる大きなパンタが印象的です。



そして市電に乗り市内中心部へ。場所は忘れましたが市内のどこかのホテルへチェックインし、2日ぶりに布団にくるまって寝たはずです。





次回は流線型気動車キハ07の私鉄版・キハ100形が最後の活躍をしていた鹿児島交通が登場します!



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1980年夏の記録

2015-05-28 23:13:32 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。

先日、基準駅の話題のなかで急行「比叡」の話が出ました。関東の列車ではないため、とても手持ち写真などないと思っていたところ、1980年(昭和55年)夏に友人と九州旅行したときに乗っていたことが判明。写真も真正面ながら1枚だけありましたので、その前後に撮った写真と合わせて当時を振り返ってみたいと思います。
記録によると1980年8月26日に東京を出発。静岡や豊橋で途中下車しながらまる1日かけて在来線を乗り継いで大阪までたどり着き、夜行急行「雲仙・西海」で翌27日に九州入りしたようです。
35年前の鉄道シーンです。


最初は東京駅出発前に撮影したと思われる153系の写真です。「急行東海」のサボが見えます。このあと「比叡」や「雲仙・西海」に乗っているので、おそらく東京駅7:15頃発の東海1号と思われます。



これは静岡で途中下車して撮った写真です。皆さん覚えておられますでしょうか。この写真を撮る10日前、昭和55年8月16日の朝、静岡駅前の地下街で大規模なガス爆発が発生しました。10日経ったこの日もまだ重機が入って復旧作業の真っ最中でした。次の列車までの待ち時間を利用し、野次馬根性で撮影したようです。



静岡から乗った列車の記録はなく、おそらく113系の普通電車であろうと思います。豊橋で途中下車をしていました。
豊鉄市内線の路面電車と、後方に豊橋駅の駅ビルが見えます。車両はモ3100形3104号車。路面電車が駅前乗り入れを果たす遙か前の写真です。恐らく昼前後と思われるこの時間、電車が発車した後の2面1線の典型的な終端駅に人影はなく、のどかな風景が広がっています。



豊橋から名古屋までは名鉄に乗ったようです。飯田線と共用するホームで、乗務員が線路に降りてパノラマカーの前面サボの表示替えをするひとコマ。飯田線の旧国の写真は残念ながら見つかりませんでした。絶対撮ってるはずなんですが。。(笑)



新名古屋駅で慌てて撮ったであろう1枚は、内海行きの特急「とびうお」。座席指定のいわゆる海水浴特急のようです。車両は7700系ではないかと思います。



時間があったのか、栄まで足を伸ばし、地下鉄も撮影していました。名城線の「黄電」こと1100形大曽根行き。東山線にはまだモノコックの100形あたりが現役だったはずですが、写真は撮っていなかったようです。残念。
ちなみにわずかこの6年後、私は入社と同時に名古屋勤務を命ぜられ、以来名鉄、市営地下鉄が日常の一部になるのですが、この時は知る由もありませんでした。



そしてやっと登場しました。こちらが名古屋駅4番線ホームにたたずむクハ153を先頭にした急行「比叡」です。列車番号が401となっていますが、時間帯からみて403M、比叡3号のはずです。側面や車内などの写真は一切なし。プリントの裏に「比叡」「名古屋」と書いてなければ見逃すところでした。



次はいきなり夜の大阪駅と思われるホームの発車標の写真になっています。撮影時刻は20時をまわったところ。20:42発の「急行雲仙・西海」長崎・佐世保行が表示されています。その下は「特急しなの10号」で、発車ではなく到着時刻が20:07と表示され、行先欄は「大阪止」となっています。



露出不足ですが14系座席車の「雲仙・西海」の後部です。旧客や12系と比べ座席がリクライニングするだけでもマシ、と言いたいところですが、ちょっと起き上がるだけでバタンと戻ってしまう簡易リクライニングシートは、あまり気持ちのいいものではありませんでした。



翌朝、おそらく博多駅到着後に撮ったと思われる写真。長崎行「雲仙」の2号車に乗ったようです。ドア口に立つ友人は申し訳ないですが目隠しさせていただきました(笑)。荷物も持たず、ずいぶん安閑と構えているので、停車時間が長かったのかなと思い調べてみたところ、7:43着、7:49発ということで、長くもなく短くもなくといったところでした。
こちらのサイトの情報を参考にさせていただきました。ありがとうございます。
ちなみに「雲仙・西海」はこの年に廃止されました。それを見込んでのラスト乗車だったのかも知れません。



博多からは西鉄に乗ったようで、大牟田線の写真が出てきます。大宰府天満宮の写真などもあり、「鉄」2人旅にしては柄にもなく観光しているなと、写真を見ながら思わず苦笑してしまいます。
これは西鉄二日市駅で撮った600形620号車以下4連。プリントの裏には「600形改造車」とメモされています。おでこのライトを窓下に下ろし、方向幕を取り付けるなどの改造を経た姿ということでしょうか。この後ほどなく、アイスグリーンに塗色変更されたようです。



このアルバムの写真はここまでですが、確かこの後は大牟田まで西鉄に乗り、鹿児島本線で西鹿児島へ向かったはずです。
比叡の写真を紹介するはずが、ずいぶんと大ごとになってしまいました。
せっかくの機会なので、また続きの写真が見つかったら披露したいと思います。



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