80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

愛しきカセットたち

2015-10-30 21:49:43 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
こんばんは。
投稿が途絶えてすみません。
10月も残すところ1日でまちはすっかり秋の装いですね。

最近手が動いてなくて模型ネタがありませんので、こんなしょうもない昔話でとりあえずお茶を濁します。(^^;


家の掃除をしていたら「カセットテープ」が出てきました。個人的にはつい最近まで(少なくとも再生では)使っていたつもりだったのですが、いつの間にやら月日は流れ、ラジカセやカセットテレコの類は世間からも、そしてわが家からも姿を消していました。聴きたくても今のところ聴けないんですね。とりあえず1970年代の録音とおぼしき3本を引っ張り出してみましたが、まだまだたくさんあります。



A面:キャンディーズ集、B面:飯田線旧国
めちゃくちゃ聴きたくないですか!?(笑)




これもすごい。

①あまぎ2号の発車→当然157系です。
②おくいず1号の車内音→153系、ですよね??
③伊東駅にとう着する列車→オイ!何の列車だ?笑
④伊豆急のとう着・発車→これは覚えてます。バリバリ100系です。更新前の平ギヤ駆動音(^^)
⑤海の音(ノーコメント)
⑥沼津行きの湘南電車車内音→80系吊り掛け全開で丹那トンネルを越えてます。たしか。
⑦上りおくいず1号→記憶ないけど貴重そう・・・
⑧上り急行桜島・高千穂号→超貴重!横浜から東京までEF58の次位のデッキで録っています。24時間以上かけて東京にたどりつかんとする列車の気だるい車内、車外アナウンスが必聴もの。
⑨さくらの発車→20系さくら号です。発車合図はもちろん「ベル」
⑩はやぶさの発車→こちらも20系。
⑪地下鉄丸ノ内線車内音→東京駅から丸ノ内線に乗って帰って来たんですね。。500形のコンプ音、緩解音、モーター音、カーブのきしみ音などが入っていたはず。


いや、同じテープのB面もすごいことになってます。
くちなしの花って、渡哲也ですよね。子供が聴く歌??(笑)




この頃山口百恵ちゃんはフジカラーのイメージキャラクターでした。指でつまんでるフィルムの箱を切り抜いて「MOMOEヒットアルバム」♪



いやあ懐かしい。どこかで中古のテレコでも見つけてきて再生したいものです。テープが切れずにちゃんと再生できたら、著作権に引っかからない鉄音部分をUPすますね。(^^)



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懐かしのペーパー車両

2015-09-23 01:35:15 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
こんばんは。

実家に置いてあった写真を整理していたら小中学生の頃に作ったペーパー製模型の写真が出てきたので、少し懐かしみながらコメントしていきたいと思います。ハーフカメラで撮ったプリントからのスキャンなので、画質がかなり悪い点をご容赦ください。

私がペーパー車両に初めて触れたのは恐らく小学5年生くらいだったかと思います。小高の157系キットを買い与えられたのが最初でした。その後は「模型とラジオ」に掲載されるHOゲージ製作記事などを参考に、白ボール紙を使ったスクラッチ工作へ進んでいきました。

そのかなり初期の作品と思われるのがこちらの写真。裏には現像所のものと思われるタイムスタンプが押してあり、1972年(昭和47年)4月に現像・プリントしたようですので、私が小学5年生から6年生に上がる頃に製作したようです。ピンボケですが、窓の大きさからスロネ30と思われます。縁側に置いて撮影しています。



模型設計図にしたがってある程度製作できるようになると、オリジナルで図面を引いて作ることに目覚めました。これは撮影年がわかりませんが、スロネ30から2~3年後、すなわち中学生の頃に作ったと思われる京王5000系4連です。当時最新だった集中冷房の編成をチョイスしています。机にシーツを敷いて“簡易お立ち台”を作ったのはいいのですが、踏切待ちをするのがレーシングカーという痛い設定となっています(汗)。



そして時代はさらに下り、1975~76年(昭和50~51年)頃に作ったのが富士急行モハ7033+クハ7063の旧型国電払下げ編成です。パソコンもブログもない時代に、ご丁寧にタイトルカットまで用意して製作過程を撮影していました。



ケガキは30センチ竹定規にセルロイドの三角定規、鉛筆、消しゴム・・・。竹定規がステンレスに変わったくらいで今も昔もあまり変わらないですね。紙はいさみやの車体用方眼紙のはず。



カッターで窓抜き。確かごく初期の頃は平刀で直線を抜いていたと思います。



ペーパーキットのようにパーツを並べて記念撮影しています。これと一緒に製作したクハ7063はこちらの記事にあるように現存しているのですが、このモハ7033はじめ、ここにご紹介した車両はすべて廃車となってしまいました。今回こうして写真が発見され、懐かしい記憶が蘇ってきたので、記事にまとめてみた次第です。




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紙の記憶2_教科書は「模型とラジオ」

2010-06-17 01:47:05 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
前回の記事で、模型屋のおかみさんがパーツをてきぱき出してくれたくだりを読み返して、重要なものが抜けていることに気がつきました。モーターとインサイドギヤです。モーターはカツミDV18C、インサイドギヤは小高純正のWB26mmのものでした。モーターの箱は今もパーツボックスとして現役で、鉛筆書きで¥530と書かれています。時代を感じますね。

さて157系は何とか完成し“私のレールの上を快く走り回って”いました。(小高の組立説明書風(笑))
しかしその当時も、そして現在に至るまでにも、実はペーパーキットから作った車両は意外に少ないのです。なぜなら、すぐにペーパースクラッチに転向してしまったからです。
当時の小学生の愛読書といえば「科学」と「学習」(学研)がポピュラーで、とりわけ、実験キットがついてくる「科学」は私のお気に入りでしたが、高学年になる頃から読むようになったのが「模型とラジオ」(科学教材社)でした。

タイトルの通り、ラジオを始めとする電子工作と模型工作の記事が満載の雑誌でしたが、お目当ては、ほぼ毎号載っていたペーパー車両の製作記事でした。残念ながら現存車はなく、写真もないないので証拠を示すことができないのですが(笑)、覚えているだけでもマシ35、スユ42、スロネ30、マニ60など、動力なしで簡単に作れる客車はだいたい作ったように記憶しています。屋根板を使わずにペーパールーフで作る方法もそこで覚えました。
車体の材料となる白ボール紙は近所の文房具店で購入し、補強用ヒノキ材や台車などのパーツ一式もくだんの模型店でたいがい揃いました。すべてが家の近所で調達可能だったよき時代です。
ブラスモデルより安いとはいえ、ペーパーキットでさえ小学生にとっては高価であり、こうして自作車両が増えていきました。

少し慣れてくると今度は自分で設計図を描き起こしてみたくなり、「私鉄ガイドブックシリーズ 小田急・京王帝都・西武」を見ながら京王5100系の1/80を描いて、初めてフルスクラッチに挑戦しました。不出来ながら何とか2両編成を完成させ、快調に走らせていた記憶があります。
当時、私鉄風台車と呼ばれるTS、FS系の弓型フレームの台車はなく、DT32か、日光の伊豆急用TS316を流用するのが一般的でした。この京王もTS316を使ったとみえて、ブレーキシューを折ってそれらしく成形した台車の残骸がパーツボックスに転がっています。

(伊豆急用TS316を改造した「私鉄風台車」。下の2つは営団地下鉄300形に使ったFS345)


仕掛り車体箱には、少しあとになって3連化用に作ったと思われる中間車が残っていました。窓桟は太く窓抜きも雑ですが、薄紙の貼り合わせでユニットサッシを表現するなど、それなりに手が込んでいます(自分で言うのもなんですが)。



当時のウデでは細い窓桟を切り出すのが難しく、うっかり切断してしまうこともしばしばでした。そのため、どこで聞きつけたのか、窓枠は中桟を無視して四角く切ってしまい、貼り込む段階で上下に割って中桟を挿入する、という工法をとっていた時期がありました。これをみると、まさにそのようになっています。もっとも中桟の幅は1mmくらいあって、ぜんぜん細くできていないんですけどね・・・



同じ箱の中には、もう1両、先頭車が残されていました。こちらは木製屋根と車体用方眼紙を使っていて、ユニット窓表現こそありませんが造りは幾分丁寧になっていて、だいぶあとになってから作ったもののようです。



この車は乗務員室の仕切壁に若干のディティール工作が施してありました。覗き込むと往年の5000系特急の雰囲気が漂ってきてニヤリ。そういえばこんなのむかし作ったなぁ・・・



この京王はじめ、中学生になる頃までに作ったと記憶している私鉄車両には次のようなものがあります。
○営団地下鉄300形
 =>モニター屋根をバルサで作ったら次第に爪跡がいっぱいついて廃車。台車は上で書いたように日光のFS345の枕バネを削り、集電シューを付けていた
○小田急2200形2連
 =>台車(なぜかDT32)と車体との間に“プチプチ”を挟んで空気ばねのフィーリングを楽しんでいた。実車はコイルばねなんだけど・・・。廃車済み。
○富士急3100形2連
 =>初めて富士急ハイランドへ連れて行ってもらった時に乗って以来、気になっていたので作ってみた。架線集電試験をした記憶がある。廃車済み。
○自由形電車モハ101+クハニ102
 =>私の第二の空想鉄道「東海電鉄」の車両(第一は「中部日本鉄道」)。延命工事中に放り出され、車体だけ残存。



その他、ケガいただけのもの、窓抜きしかけて放り出したもの数知れず。。
そうです。それらがやがてあの“ひらき”シリーズに発展していくわけです。


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紙の記憶1_何でも揃った街の模型店

2010-06-11 20:04:04 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
古いプレスボード車体の再生実験をされている吉野線のシェルパさんの記事を見て、ひょっとするとコイツも再生できるかも知れないと持ち出してきたのが、この小高模型製キットを組んだクモハ157です。一度塗り直しかけたものの失敗しヤケ塗りになったという経緯もあって、まあご覧のとおりすごいことになっていますが、兎にも角にも私のペーパー車両製作第1号の記念すべき車両です。



さて、今回はこの車両の再生記ではありません。もちろん、いずれ再生してみるつもりですが、今日はこの車両を作った頃の昔話を書いてみようと思います。

私の実家は東京・中野にあり、父は国鉄職員でした。その影響かどうかはわかりませんが、鉄道関係はお約束のプラレールで入門を果たし、並行して「レゴ」でもレールモノを頻繁に作って遊んでいました。昭和40年代のことです。

本格的な鉄道模型は、プロフィールのところにも書いてあるように、カツミのEB58と数両の貨車でスタートしました。すでにOゲージの時代は去っていたもののNゲージはまだ黎明期で種類はなく、16番(当時は「HO」が普通の呼び方でした)が最も一般的なサイズだったのです。
小学校の友達にも同じ模型仲間がいて、よく遊びに行きました。彼のところにはウチにはないカツミの165系や583系などがあって、その精巧な出来(当時の目で)にいつも羨望のまなざしを向けていました。私の記憶が正しければ、メーカー不詳の小田急ロマンスカーNSEのフル編成を走らせた記憶もあるので、まあ大した友達であったといえます。

一方のわが家では、ようやくカツミのクモハ103(スカイブルー)が買ってもらえた程度で、完成品のバリエーションは一向に増えません。キットメイクや自作に目覚めたのはこの頃です。
父は戦前の人間で、鉄道模型はやっていませんでしたが、その世代ではポピュラーな飛行機づくりはやっていたようです。バルサで骨組みから胴体、翼まで作って、ゴム動力で飛ばすものです。
その関係もあって、子供にもキットや素材から自作することを教えようと思ったのでしょうか、ある日1冊の本を買ってきました。赤と黒の表紙(だったと思う)で正方形をした「HO車両とレイアウトの工作」という入門書です。ご存じの方はかなりのベテランモデラーとお察ししますが、ペーパーや金属車両のキット組み立てからレイアウトづくりまでいろいろな記事が載っていて、背表紙が分解するまでむさぼり読んだものでした。
そして、ちょうど時を同じくして買ってもらったのが小高模型のクモハ157でした。

昭和40年代はまだ街中の個人模型店が元気な頃で、実家の近くにも1軒の小さな模型屋がありました。そして驚くべきことに、そんな小さな店でも、ペーパーキットはもちろん、それがちゃんと組み立てられるだけのパーツ一切が揃ったのです。
ギョロ目でゴマ塩頭にガラガラ声のおやじさん(当然、近所のワルガキ連中は一目置いていた)とおかみさんの2人で切り盛りするその店は、プラモデルや鉄道模型、飛行機や船舶の模型が所狭しと積み上げられ、まさにワンダーランドでした。

ペーパーキットを買うと、おかみさんは組立説明書を見ながらおもむろに大きな引き出しを開け、台車、床下器具は言うに及ばずカプラー、パンタグラフ、豆粒球にセレン整流器(って知ってます?)、ゴム製ホロ、窓ガラス用塩ビなどをてきぱきと出してくれました。
そして最後に「エスクマ印のマメラッカー」が添えられ、「頑張って作ってね」と店を送り出してくれたハズ、なのであります。街の模型屋は立派な「専門店」でした。こうして、わがペーパーモデル人生が始まったのです。

その後モハ、サハ、サロの3形式を作り157系は4両になりましたが、ついにもう片側のワンユニットは作られることなく、編成としての完成を見ないままお蔵入りになってしまいました。
せめて現存するクモハ、サハ、サロの3両だけでも再生してやりたい、と引っ張り出したのがこの状態です。文字通り「陽の目を見る」ことになりましたが、その行方、どうなりますことやら。



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