80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

キンメざんまい

2024-04-01 17:15:29 | 実物・資料系(現在)
昨日、予定通り伊豆半島の付け根まで行ってキンメ電車を調べ、キンメの煮付け食して参りました。

伊豆急行のHPでは「リゾート21」(R-3編成キンメ電車・R-4編成黒船電車)の運用ダイヤが公開されています。これを参考にして、当初は熱海駅13:10発のキンメ電車(到着は12:41なので30分も撮影時間がある)を狙っていたのですが、どうせなら1本前の12:24発の黒船電車も見ておこうと思い、新宿10:00発の「スーパーはこね3号」に乗りました。ホームはものすごい人で半分以上は外国人観光客のようです。



小田原で東海道線に乗り換えると、方々から「シキシマ・・・シキシマ・・・」と聞こえてきます。んん?と思いつつも熱海駅へ向かい、ホームで黒船電車を撮っていると、来宮方から突然やってきました四季島ぁぁ!



どうやら昨日が1泊2日の「冬の旅」の今季最後のクルーズだったようで、「また来年お会いしましょう」の文字や・・・



最後尾には「ありがとう」の文字も。今回のコースでは根府川駅で朝日を拝み、小田原で朝食と市内散策を楽しんだようです。列車だけか実車だったのかは分かりませんが来宮の引き上げ線で折り返してきたようです。JR東の賞品だから東海の211系とのツーショットは珍しいのでしょうか?模型オタクさんにはさっぱり分かりません。笑



ツーショットとは言えませんが、辛うじて伊豆急車・黒船電車との並びも見られました。



211系は最近三岐鉄道で目撃されているそうですが(笑)、とりあえず静岡地区での活躍も先が見えてきたので撮っておきましょう。



ということで本題に入る前にだいぶ時間を使ってしまいましたが「キンメ電車」こと2100系3次車(R-3編成)の取材です。取材といっても次の3点さえ確認できればいいのでラクなもの。
1)どこの貫通路が片側に寄っているのか、偏移量は何センチか(これがメイン)
2)クハの出入口周辺の窓寸法が初期車の図面と違う感じがするが、実際のところどうよ(これもまあまあメイン)
3)サハのトイレは1か所か2か所か、通路はまん中か(片側しかない写真を見た記憶があるので)



2番線に東海道線が停まっていて側面写真が撮れないので、まず編成内をひと通り歩いて1)〜3)をチェックします。編成表とともに、まずは1)の結果を示すと次の編成表で示すように1-2号車間、3-4号車間、6-7号車間の貫通路が山側にシフトしており、シフト量は恐らく400mmではないか、との結論となりました。ちなみに初期車のシフト量は100mmで貫通路の両側に窓がありますが、この3次車の場合、狭い側の妻面に窓はありません。

( =:中央 ▲:山側へ偏移)
←伊豆急下田方                        熱海方→
①クハ2156▲②モハ2111=③(WC)サハ2173▲④モハ2110=⑤モハ2112=⑥モハ2109▲⑦クハ2155


貫通路が中央にある4-5号車間です。4号車(左)の妻面にも窓はありますが黒いシールが貼られていました。キンメ改造前は普通に外が見えていたものと思われます。



貫通路が山側に偏移している3-4号車間です。広い側にかなり大きな窓があり、狭い側に窓はありません。3号車(左)の窓は黒いシールこそ貼ってありませんが、半分はキンメダイとワサビが描かれた額がはめこまれ、「酒の肴に」というタイトルがつけられていました。



あと、各デッキの天井には降り注ぐ太陽光を採り入れられるよう、2か所ずつ窓が設置されているのですが、これも改造時の措置と思われるフタで塞がれていました。その大きさは思っていたより大きく、30センチ角ぐらいかと思ったら50〜60センチ角ぐらいありました。これは大きな発見です。



2)については、前回の投稿で「展望室が広がったのではないか」と書きましたが、どうやら広がったのはデッキで、初期車では1000mm幅のドアとほぼ同じぐらいの幅しかなかったものが、プラス500mmぐらい広がったのではないかと思われます。海側は車端部にあったデッドスペース?的な部分が無くなったらしいことは図面から分かるのですが、ボックスシートが並ぶ山側がどうなったかが不思議でした。実車を見て、黄色い丸で示したところのシートが向い合せでなく片側のみになっていたので合点がいきました。1脚分客室が短くなったということですね。



両サイドが見えていないのでちょっとわかりづらいですが、側ドアと仕切壁との間に余裕があるようすが分かるでしょうか。



そして3)ですが、トイレは通路を挟んで両側にありました。片側の写真はどうやらR-4編成の黒船電車のものだったようです。ちなみに黒船電車についてはそれ以外も誤解していた部分があって、「パンタが削減されて下枠交差型になった」「前面が1枚窓になった」程度の違いかと思っていたら、「サハは無くて中間車5両がすべて電動車」という事実にクラッと来ました。笑



そんなこんなでひと通りのチェックが終わったので、このキンメ電車にそのまま乗って伊東へ向かいます。伊東に行くならハ・ト・ヤ!



ではありません。前回もおじゃまして美味しかった駅から徒歩2分の「まるたか」さんで昼食をいただきます。昼時間を外したのに並んでますね〜。帰りのキンメ電車まで1時間と15分。。。ちょっと黄信号が灯ります。。



結局20分ぐらい待って入店。生ビールとキンメ煮付け定食で取材疲れを癒します。



帰りは伊東発14:55に乗車。伊豆高原で折り返してきたR-3キンメ号です。予定では下りのアロハ電車(元209系)を撮ってから乗車・・・という段取りだったのですが、遅れていたようでなかなか来ないので車内からのこんな撮影になりましたw。こちらは焦って撮る必要もないので、またいつかってことで。



海側シートでTDK806シリーズの子守歌を聴きながら(いわゆるMT46ですよ皆さん!!!)うとうとしていたらあっという間に熱海に到着。結局、伊東線で伊豆急に乗ろう・・・みたいな中途半端なミニトリップになってしまいましたが、必要な情報が手に入った上に美味しい料理もいただけて満足な1日でした。



この伊豆急行2100系「リゾート21」、R-5編成はクルーズ列車になってしまったので、実質我々がふらっと乗れるのはR-3「キンメ電車」とR-4「黒船電車」の2本だけ。首都圏でTDK806シリーズの軽快なモーターと強制通風式抵抗器のブロワーサウンドを聴ける貴重な存在です。

2100系というネーミングは、本来は1000系に続く形式で2000系となるところ、21世紀にふさわしい車両ということで2100系となった経緯があるそうですが、実は伊豆急の代名詞たる「100系」の響きを残したかったのではないか、と個人的に想像しています。2000系+100系・・・。

実際、1次、2次車両の一部には100系の廃車発生品が使われていますし、よくよく考えてみれば、運転室こそ持っていませんが電動車は1両単位で走れる1M電車なんですね。R-3編成まではパンタも各車積んでいました。末っ子で、今ではお洒落にクルーズトレインをこなしているR-5編成でさえ1M電車です。

クハが50番台、サハが70番台、サロが80番台という付番ルールも100系そのものです。今回見たように、編成中のところどころに貫通路が偏移しておらず中央にある車両が混じっているのは100系との混結を考慮したそうです。さすがに回送時の話でしょ?と思う反面、貫通路の位置を合わせるぐらいなので幌を渡してちゃんと連結することも視野に入れたのでしょう。

「各駅停車のスーパーカー」との触れ込みで、スタイル面では時代をリードした「リゾート21」シリーズですが、その根底には100系のDNAが深く深く刻み込まれていたんですね。

しばらくは安泰ではとの観測がある一方、経年を考えればいつ引退を迎えてもおかしくないのがキンメと黒船です。年内には改めて温泉とセットで撮り録りツアーをやりたいなーなんて考えてるので、もし気になる〜!って方はぜひご一緒に。


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103系残照

2024-02-23 19:25:02 | 実物・資料系(現在)
関西・中国方面への出張があったので、移動日の宿泊地を姫路にセットして加古川線と播但線に残る103系を見てきました。夜か明け方のシーンしかありませんが、最後の頑張りをみせる姿をご覧ください。

大阪で夕方に仕事が終わったので、まず加古川で途中下車して加古川線の103系3550番台を見ることにします。

ホームから1階へ降りると、な、なんと加古川線専用改札なるものがありました。ほとんどが無人駅なのでキセル対策なのでしょうか。新大阪から姫路までの普通乗車券を持ってはいましたが、同じ加古川駅構内とはいえ、いったん入ると出てくるときに何か面倒なことになりそうだったので入るのはやめました。島式ホームなので、何かパーツを接写するようなことがなければあまりメリットもありませんし・・・。



で、山陽本線上りホームから停車中のM06編成を撮影。手前はクモハ103-3556で、ダブルパンタになっていますが前位のは霜取り用のようです。貫通路を備えたその姿は「君、105系だよね?」と聞きたくなるほど。雨に濡れたエメラルドグリーンのボディが蛍光灯に照らされて艶やかに光っています。こうしてみると、床下機器って夜に撮った方がディティールが鮮明に分かりますね。笑



ユニットを組むクモハ102-3556。ゴーゴーと吠え続けるMGとたまに吠えるCPのコラボレーションがたまりません。



加古川駅を発車する西脇市行。カーブの速度制限があるため豪快な加速はありませんが、懐かしいMT55サウンドを残して闇に消えていきました。



だいぶ冷えてきたので駅撮りは30分程度で切り上げ姫路に向かいます。それにしても新快速って、速いだけじゃなくて本数も多く車内も快適でいい電車ですね。実は新大阪から西明石までは新幹線を使ったのですが、はじめから新快速でよかったんじゃないかとさえ思えるほどでした。

基幹となる225系も増備が進んでいるようで、こちらは普通網干行に使われていたクモハ225-125ですが、制御器のフタまでステンレスが光り輝いていて思わずシャッターを切りました。今年の1月に入ったばかりとのことです。



姫路で新快速を降り、改札を出る前に軽く播但線の103系3500番台の様子を見に行くことにします。1階へ降りるとまともや謎の中間改札が出現!!播但線は明日の早朝に試乗する予定なのでここも入らず、対岸ホームから眺めることにしました。ちなみに姫新線ホームもこの改札の先にあるようです。



山陽本線ホームから停車中の車両を撮影。BH8編成の寺前方のクモハ103-3508です。1枚窓に更新されているものの、この非貫通・傾斜窓の前面はまさしく103系のDNAを今に伝えるスタイルです。正直・・・萌えます。笑



姫路駅に降り立ったのはもう何十年ぶりか分からないぐらい。駅はすっかり様変わりしていました。



ライトアップされた姫路城が見えますが、小雨模様で寒いのでホテルへ直行・・・。



翌日、仕事の方は昼過ぎまでに広島へ着けばいいので、朝練として播但線に少しだけ乗ってみることにして6時過ぎに姫路駅へ入場。SUICAが普通に使えるので便利です。で、例の中間改札を少し緊張しながら通過。もちろん何のお咎めもなくピッ!と通過できました。笑 ちょうど姫新線の上月行が発車するところだったので撮影。両運転台のキハ122のワンマン列車でした。気動車ですが、顔がしっかり「アーバンネットワーク」の一員ですね。



ホームのはずれにはBH6編成が幕だけ光らせて待機中。



主抵抗器をはじめとする懐かしい床下機器や・・・



φ910mm、WB2,300mmのボリューム感あふれるDT33台車などを夜も明けぬうちに捕獲。



すっかり感傷にひたっていたら突然ブロアが立ち上がり、ライトが光って前進を開始しました。直感的に「増結だ!」と気づき、足早に前方へ移動。辛くも連結の瞬間に間に合いました。考えてみれば山手線をはじめ首都圏で103系が普通に走っていた頃、連結・解放シーンて見たことなかったように思います。



連結されて4両編成になった6:20発の寺前行5603Mに乗って砥堀(とほり)駅まで行ってみることにします。シートは懐かしの紺モケット。いい感じです。乗車時間は12分ぐらいですが、揺れ枕が作り出す優しい揺れとMT55サウンド(意外と爆走しました)を堪能しました。この区間は動画ではなく音だけ録ったので別投稿で公開できたらと思います。



砥堀駅は相対式ホームで、踏切も直近にあるので編成の両サイドが撮れるかと期待して訪れたのですが、上下列車がほぼ同時進入で踏切が開かず、まだ夜も明けきらない上に小雨も降っていたのであまり欲張らず、出来る範囲での撮影にとどめました。驚いたのは右側通行になっていたことで、姫路行の4連(先頭はクモハ102-3507)が本来なら下り列車が停まるホームでヘッドライトを輝かせています。島式ホームの駅では左側通行だったので、全駅同じ側のドアが開くようにしているのかも知れません。



ダブルパンタを掲げてやって来る寺前行下り2連。さすがに暗くてブレちゃった。。



同じ列車を後方から。手前がクモハ102-3509なのでBH9編成でした。分かりにくいですがトイレ装備なので連結面寄りのところの窓が埋められています。



とりあえず交換2回、4列車の写真を撮って引き上げようとしたら、なんと221系がやってきました。103系より後輩とはいえ、JR西日本が設計した1期生と聞けばこちらもかなり年季が入っています。つい先日は「221系の日」でもてはやされたのではないでしょうか。まだしばらくは活躍しそうですね。



姫路駅に着いた221系。改めて確認するとクハ221-61以下6連のB15編成でした。個人的には関西電車群のなかでは割と好きな形式です。



で、何か黄色いものが目の端にとまったので振り返ると、おお!出たなまっき色!!113系2000番台、まだ居ましたね♪♪キハ58との並びが撮れるなんて思いもよりませんでした!(笑)



そして「のぞみ」に乗って広島へ移動。用務先は横川だったので、山陽本線より先に発車する可部線に乗って横川へ。227系「RedWing」です。もう73系のナの字もありません。警戒色とか言うと警戒されそうです。



広電の乗り場にはちょうど新旧2つの車両が停車していました。



グリーンムーバー・シリーズの弟分というか汎用版というか、1000形超低床車の1009号車と。。



古風な352号車。350形は移籍車が多い広電にあって生え抜きの車両なんだそうですね。そうと知っていればもっとちゃんと撮ったのにぃ、、というお話でした。



ということで、加古川線、播但線の103系は、「あれは103系じゃない」と思う反面、「いまが乗れる最後のチャンス」という気持ちがぶつかり合ってモンモンとしていたところへいいタイミングで出張の話が飛び込んできたため、夜間・早朝・雨という最悪のコンディションでしたがその片鱗に触れることができました。もしまだ活躍が続くようならたっぷり時間を取ってプライベートで訪れ、あの爆音を思う存分浴びたいと思った次第です。

砥堀駅を発車する播但線103系姫路行



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西武電車・・・プチ撮り鉄と模型資料集め

2023-05-06 02:51:43 | 実物・資料系(現在)
門型送電鉄塔のジャングルの中を進んでくる電車・・・
そんなちょっと非日常な写真が撮れるらしいと知って、子どもの日の昨日、西武多摩川線のプチ撮り鉄に繰り出しました。併せて東村山市にあるクハ1101形を用いた「くめがわ電車図書館」も訪ね、模型製作の参考となる写真を撮ってきました。


JR中央線を武蔵境駅で降りて西武多摩川線ホームへ。高架化前後にかかわらず記憶にある限り初めての乗車です。中央線の窓からちょいちょい眺めてはいたもののずっと乗らずじまいの「身近な非攻略路線」でした。何の違和感もなく乗車し今の今まで気付かなかったのですが、もしかしてフロントの窓周りがベージュの新101系っていわゆるリバイバル塗装なんでしょうか???



乗車といっても1区間だけ。高架を駆け下りて左へカーブした先にある1つ目の新小金井駅で下車し、住宅街を10分ほど歩いて「いちご橋」という人道橋にたどり着きました。近所の親子が電車を見ています。上空には調布飛行場へアプローチする小型機が軽快なエンジン音を響かせて旋回中。



なるほどこれか!確かにすごい景色です。ここから次の多磨駅周辺まで東京電力の「車返線」という送電鉄塔が線路上空に架設されています。立派な門型鉄塔の間を黄色い電車が進んでくる光景は一見の価値ありです。



復刻版の「赤電」もやってきました。



背中側の新小金井駅方向は掘割になっていて開けているので、こちらも何本か撮りました。上の復刻赤電の折り返し。



なんか既視感のある青い電車もやってきました。それもそのはず伊豆箱根鉄道とのコラボ企画によるカラーリングだそうです。私が知らなかっただけで、西武多摩川線はリバイバル&コラボカラーのパラダイスと化していたのでした。



いちご橋で30分程度撮影を楽しみ、その後は近くの野川にかかる橋の周辺へ移動しました。編成全体を入れるのは困難で橋自体も味気ないコンクリート橋ですが、自然の中を行くカラフルな電車が撮影できます。伊豆箱根カラーの後追い。



もともと「秩父の緑に映えるように」と選定されたカラーだけに、やっぱり黄色の(新)101系は安定感抜群ですね。



野川の崖線に沿って走る「はけの道」は狭く、交通量が多いので、多摩川線をくぐるところはこんな衝突防止の派手なゼブラ塗装が施されていました。



ここでも30分程度撮影してから次の目的地である「くめがわ電車図書館」へ向かいます。だいぶ暑くなってきて新小金井駅へ戻るのも億劫になったので、近くの「二枚橋」バス停から京王バスで武蔵小金井駅へ出てJR中央線で1駅隣の国分寺駅へ。


国分寺からは多摩湖線で八坂駅を目指します。ここもだいぶ昔に乗ったきりで、その当時はクモハ351が最後の活躍をしていました。今は9000系で隔世の感があります。



八坂駅から多摩湖線沿いの遊歩道を歩き、国分寺線の踏切を渡った先で斜めの道へ入り10分ほど歩きます。



こちらがURの集合住宅が立ち並ぶ一角に設置された「くめがわ電車図書館」で、市立ではなく地域住民が運営する「地域図書館」なのだそうです。車両は旧というか元祖101系の先頭車クハ1150号車です。現在製作中の701系と「同じ顔」を持つ車両として参考とすべき点が多いので訪ねました。



調査ポイント1はオデコのラインです。新101系の前面はかなり高い位置まで通称「額縁」と呼ばれる窪みがあって角ばっていますが、この旧タイプでは方向幕の「箱」の脇の屋根カーブがどこから始まっているかはアバウトな竣工図からは読み取れないものです。実車をみる限り、屋根カーブの始まりと同一ラインと考えて差し支えないことがわかりました。



調査ポイント2は「く」の字型前面の傾斜が始まるラインです。これはかなり細かい部分ですが、よく確認すると、補強板の上辺と前面窓の下辺(Hゴムの内側)のちょうど半分あたりに折り曲げラインがあることがわかりました。



ヘッドライト、テールライト&通過標識灯、方向幕の位置も竣工図に記載がないないため真正面写真を撮っておきます。メジャーを持参すればヘッドライトの位置ぐらいは計測できたのにと後悔。



その他、ベンチレーターの配置や「張上げ屋根風」と呼ばれる雨樋の位置(高さ)など疑問があった点を中心にじっくり観察し、納得のいくデータを取ることができました。まさに百聞は一見に如かず。正確な印象把握のために実車観察は欠かせないものだと改めて感じました。

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房総横断大人の遠足

2023-03-05 02:36:16 | 実物・資料系(現在)
今日は久しぶりにリアル鉄をしてきました。千葉県を走る小湊鉄道といすみ鉄道の2大非電化ローカル私鉄を乗り通して房総半島を横断してのですが、主目的は乗り鉄ではなく、以前にも訪ねたことがある保存車両のワンダーランド「ポッポの丘」の再訪です。ちょっと気になる車両が新しく仲間入りしたというので観察してきました。


いかんせん本数の少ないローカル線で、特に小湊鉄道は途中折返しが多く終点の上総中野まで行ける列車は限られるので、少し早めに家を出て午前8時半前には内房線の五井駅に降り立ちました。今日はレンタサイクルも使うので体力温存のため東京駅から快速のG車を奮発しました。模型は毎日見ていますが209系の実車を見るのは久しぶりです。



快速電車が走り去ったあと、目の前に広がる五井機関区にたたずむ小湊鉄道の車両群を目の当たりにして気分は一気にヒートアップします。“ディーゼル王国・千葉”は令和の今も健在でした。奥から順にキハ40首都圏色、「里山トロッコ」用客車、キハ40小湊標準色、キハ40JR東日本東北地域本社色、生え抜きキハ200の面々・・・。



大原まで乗り通すことができる「房総横断乗車券」1,730円也を購入してホームへ。まず目に入ったのは恐らく既に除籍済みであろうキハ200。塗装も剥げてかなりくたびれたキハ202、203、206の3両がモーターカーを間にはさんで側線に置かれていました。このうちキハ202はすでにエンジンが降ろされていました。キハ40が活躍を始めた今、姿を消すのも時間の問題でしょう。



折り返し8:52発の上総中野行となる列車が入線。キハ201+207の2両編成です。キハ40の運用は決まっていないようで、まあどちらが来てもいいかなとは思っていましたが、今度いつ来られるかわからないのでキハ200に乗っておいたのは正解でしょう。



トップナンバーキハ201に乗り込みます。オールロングシートですが、中央に立ち上がる排気管や床の円陣点検蓋などレトロな雰囲気満載です。なんと発車後のアナウンス前に「アルプスの牧場」が流れて涙腺崩壊。。



それにしてもすごい鉄道です。まるでコンバータ油をかき混ぜてるだけかのようにユルユルと加速したかと思うと小舟のように左右に揺れながら少しずつ歩を進めます。どの駅も時が止まったかのようなストラクチャーばかり。50分ほど走ったところで里見駅に到着。少し停車時間があるというのでホームに出てみると、なんと車内販売ならぬ車外販売が行われていて弁当や飲み物に人だかりがしていました。この列車の後にはトロッコ列車も来るのでそうした需要も見込んでいるのでしょう。



五井を出てから1時間20分で終点の上総中野に到着。何もない静かな山間の小駅です。ちょうどいすみ鉄道の車両も到着して乗り換えが行われます。乗ってきたキハ200は10分ぐらいでそそくさと五井へ折り返していきました。昔と違ってどのローカル鉄道もダイヤがスリム化されてしまい、終点でゆっくり撮影することが難しくなってしまいました。



ここから、いすみ300形302号車で大多喜へ。大多喜にはいすみ鉄道の車庫があって、これから急行運用につくキハ52が暖機運転中でした。奥の瓦屋根は大多喜城の大手門。大多喜は「房総の小江戸」と呼ばれる城下町ですが、今回は残念ながら時間切れで回れませんでした。



大多喜駅舎。丸ポストの右側に材木のようなものが立てかけてありますが、よく見ると竹に細かい穴を開けた中に電球を仕込んだイルミネーションになっています。この「竹灯籠」は冬季の風物詩とのこと。ぜひ見てみたいですね。ここからは駅前の観光協会でレンタサイクルを借りてポッポの丘へ向かいます。



走ること約20分、田んぼ越しに高台の上にある車両が見えてきました。前に来た時と変わらぬ風景ですが少し車両の色があせた?
前回の訪問時の投稿は以下でご覧いただけます。
TKG!
続・ポッポの丘



場内は上下2段に分かれています。これは駐車場のある下段の様子ですが、車両の置き方が前回と変わっていて、千葉都市モノレールの車両が売店になり、新たに加わったクハ103などが向きを揃えて中央に展示されていました。



丸ノ内線の400形。だいぶ塗装が傷んでいますが健在で安心しました。左は新たに展示に加わった京急旧1000形のカットボディ。塗装をやり直しているようです。この京急もそうですが、ポッポの丘にはオーナーが集めた車両以外にも、場所貸しの形で保存会などが所有する車両が多数展示されていて、それぞれの会員や支援者などが補修を行っています。



新たに加わったクハ103-525でこれも塗装をやり直しているようです。このクハ103は、左に少し写っているクモニ83006とともに以前東芝府中事業所で試験車として使われていたもので、現存する500番代クハとしては唯一のものだそうです。所々に青いドアが見えますが、新製配置された京浜東北線時代のスカイブルーに塗られるのでしょうか。



これも新たに加わった保存車で長野電鉄の1000形1003号車のカットボディです。実はこの車両こそが今回の房総横断遠足の目的地なのです。少し前の投稿で富山地鉄のモハ14750形イイネという記事を書きましたが、「運輸省規格型車両」ということ以外は寸法の入った形式図もなく詳細が不明でした。ところが長電モハ1000形・1500形とウリふたつで、しかも辛うじて解体を免れた1000形のカットボディがポッポの丘にある!という情報を小耳に挟んだので採寸に来たというわけです。詳細は別記事に書きたいと思います。



そしてなんと鉄道車両だけでなく三輪トラックまで展示されていました!!泣く子も黙るマツダT1500オート三輪です。個人所有の車だそうでナンバーもついていました。何となくですが次に来たらボンネットバスあたりが置かれている未来が見えます。笑



今回の訪問で印象的というか気がかりだったのは、ほとんどの車両が前に見た時よりも経年劣化で塗装剥離が進んでしまった感があることです。この「鉄顔」コレクションも、とくに右端のクハ111-1072や左から2両目のクハ183-21はかなり劣化が進行しているのが分かります。



一方、DE10と24系寝台は補修が行われて美しい姿が蘇っていました。



どこまで支援につながるか分かりませんが今回もTKG・玉子かけご飯を食し、赤卵を土産に買ってきました。ここに集められた車両が末永く輝いていてほしいものです。



ひと通り見学を終えて大多喜駅に戻ると、車庫にはキハ20 1303(いすみ300形の色変え版)がスタンバイ中でした。急行に使われるキハ52は土休日しか走らないため、「平日にもキハに乗れる」がコンセプトだそうです。



で、こちらが本家本元のキハ・・・キハ52 125です。ちょうど大原から急行で下ってきたところを撮ることができました。反対側には「夷隅」のヘッドマークが付いていたのを撮り損ねたのが心残り。。



今日は乗り、撮りともかなり満足のいく釣果となったので、あとはまったり大原へ出て「わかしお」で帰るだけだ・・・と思ったら、やってきた大原行は単行で、ここに観光客と高校生が入り混じってたいそうな混雑でした。当方、ある思惑があって最後部の貫通ドアの窓にオデコを付けてカメラを構えます。



思惑とは、2つ隣の国吉駅構内に、かつて久留里線を走っていたキハ30が保存されているとの情報を得ていたので、国吉駅発車時に撮ろうという魂胆だったのですが、なんと引退したキハ28が手前に置かれていて撮れませんでした。。まあキハ28の元気な姿を拝めたからいいですが・・・。また改めてリベンジすることにしましょう。



大原からは接続よく東京行の「わかしお」に乗車でき、日が落ちる前に帰宅できました。また気候が良くなったら、今度は養老渓谷や大多喜城などの観光を絡めて訪問したいと思った次第です。


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笛吹桃源郷

2021-04-02 01:34:07 | 実物・資料系(現在)
4月に入りました。繁忙期が過ぎて身軽になりましたので、さっそく模型ネタの仕込みで桃の木をチェックしてきました。

って何のことか分かりませんよね。。

実は改築中のレイアウトの一角に「桃源郷」を出現させようと思っているのですが、何かお手軽な市販品がないか調べているのですが「桃の木」って意外と無いんですね。桜はありましたが枝ぶりがちょっと違うなぁ・・・と。

「無いものは作る」がモットーの80分の1丁目ですが、さすがに何十本ものまとまった木を自作するのはやったことがなく、そもそも桃の木がどんなカタチをしていてどんな風に植えられているのかも写真だけではイマイチ分からないので、「分からなかったら現物を観る」の鉄則にのっとって実車観察ならぬ実木観察をしてきたという次第です。

東京近郊のメジャーな桃の産地といえば山梨。八王子で昼までに所用を終わらせ、その足で中央道を西に進んで「日本一の桃源郷」を誇る山梨県笛吹市にやって参りました。勝沼I.C.の少し先にある釈迦堂P.A.に車を停め、敷地外に通じる階段を昇ります。天気が良ければ八ヶ岳連峰が望めるのですが、今日は黄砂と花粉?で視界ほぼゼロ。



階段を昇り切ると見えてくるのがこちらの「釈迦堂遺跡博物館」。中央道の建設に先立って実施された遺跡調査で発掘された縄文時代を中心とする数多くの出土品を収蔵する博物館だそうですが、今日はドキではなくモモノキが目的なので立寄りません。



さっそく周辺を歩いてみます。さすが「日本一の桃源郷」を自負するだけあって、山の斜面いっぱいに見事な桃畑が広がっています。



平日+このご時世ということもあって観光客はまばら。汗ばむ陽気のなか、ぶらぶらと歩いては写真を撮りながらモモノキのイメージを掴んでいきます。

桃の木の形式写真(笑)。腰が低くて地面近くからいきなり枝分かれしてるのね。メモメモ



花の付き方も見ておきましょう。桜と違って花びらの先端が割れていないのが桃・・・。フムフム確かに。まあそこまでスケールダウンしませんけどw



こちら里の桃畑。きれいに間隔を空けてグリッド状に植えてあるんですね。メモメモ



ということで、いちおう桃の木の素性はよく理解できたのですが、電車と一緒で、「細部を見てしまったがために作れなくなった」状態に陥りました。市販の低木買ってきて濃いめのピンクのパウダーをまぶす程度で収めるのが正解かな~と思い始めてます。。


まあ桃の木だけ見て帰るのもナンですから電車も撮っておきましょう。Googleストリートビューでアタリをつけておいた春日居町駅近くの線路際で撮ってみましたが・・・イマイチ。



見上げれば山肌に幾重にも走る白いライン。あれはまさしく道路ではないかい!?というわけで「フルーツライン」という広域農道から俯瞰写真にチャレンジ。んー微妙。。真横すぎるのと家がウルサイですね。



じゃあってことで引きまくって編成全部を入れてみましたが桃感どこへやら。。



もうヤケ。アップのやつをさらにトリミングして桃畑の中を泳いでいただきました。やっぱりロケハンはしっかりしないとだめですね。でも久々の撮影はそれなりに楽しめたので良かったです。



せっかくここまで来たので最後は温泉!昨日ネットでさくっと調べて、露天風呂もある大浴場が良さげだった、こちらの「ホテル春日居」さんに立寄って疲れを癒すことに。期待通りのいいお風呂でした。



そしてお土産に甲州ワイン。ホテルで販売していたので迷わず購入しました。「笛吹甲州」どんなお味でしょうか。楽しみです。



とまあこんな状態ですから、ちょっとは進めようと思っていたスイスの電車も微速度前進のみ。シール紙を切ってドア上の水切りを表現するにとどまりました。



ついでに全体にMr.サーフェーサー1200をひと吹き。タミヤのピンクサフがやや厚塗り気味(#500相当か??)なのが気になったのと、車内を含めて一度ホワイトに塗ることにしたためです。ここから最終の研磨仕上げをして塗装に入ります。




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