80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

ミニエコーを作ろう(1)

2022-08-27 20:58:39 | 中央東線方面
パンケーキコンテナの「8月の発売予定製品」が発売になったよー、みんな買ってね。
というお知らせがTwitterのタイムラインに流れてきたので、ひと足早くJAM会場でゲットしておいたクモハ123-1をいそいそと組み立て始めました。
別に一番乗りを目指すとかじゃなくて、いつものとり着(とりあえず着手)の一環ですのであまり期待はされませぬよう。。



クモハ123は余剰になったクモニ143などを種車として改造された1M式電車です。今回題材にするクモハ123-1は、中央本線が塩嶺トンネル経由となって支線化された辰野~塩尻間(辰野支線)を走っていた車両で、私は残念ながら実車を見たことも乗ったこともないのですが、気にはなっていたので、今回の製品発売を機に作ってみることにしました。

実車は「ミニエコー」という愛称で呼ばれていて、短区間のシャトル運行列車にぴったりな名前を付けたものだなーなどと軽く考えていたら、実はこのほかにも「すわエコー」とか「あずみのエコー」などがあって、長野地区の「エコー電車」(短編成・高頻度化を図った「シティ電車」の長野版)のひとつだったということを最近知りました。短区間を行ったり来たりする、小粒でも一番エコー電車らしいエコー電車だったのではないでしょうか。


ではさっそく組んでいきましょう。説明書にしたがって組んでいきますが、カッターを握る前にまずやっておくことがあります。それは何年頃の姿を再現するか決めることです。それによってレーザーカットされていない部分(軽くスジだけつけられている)をカットするなどの下作業が必要となります。

この車両は次のような経歴を持っているので、①の登場時スタイルか、③のワンマン・冷房改造後の晩年スタイルのいずれかが一般的かと思います。もちろんレアもの好きならば②の新塗装・非冷房スタイル一択かも知れません。笑
①1986(S61)年:クモニ143-1よりの改造でクモハ123-1誕生。塗色はクリーム+緑
②1990(H2)年:ワンマン化改造・塗装変更(クリーム+ローズピンク+白斜めストライプ)
③1993(H5)年:冷房化
※2013(H25)年3月廃車

なお、冷房改造年を1995(H7)年とする記事もみかけますが、こちらのブログに掲載された製造・改造銘板の写真をみると平成7年のものはなく、平成5年に長野総合車両所で改造を行ったとする銘板がみられるので、恐らくこれが冷房改造時のものと考えられます。

で、前置きが長くなりましたが、いま製作中の213系5000番代(2011年に飯田線へ転用開始)と辰野あたりでワンチャン遭遇していたかも知れないという設定で、③の冷房化後の最晩年仕様で製作することにしました。

組立説明書によるとまず屋根裏の骨格を組み立てるよう指示があります。冷房化する場合は中間部のヨコ桁パーツの両サイドをカットせよとのことなので、浅く溝彫りされている線に沿ってカットします。この上にランボードが乗るようです。一部、説明書のパーツ番号が入違っているので注意が必要です。



タテ桁とヨコ桁を組み合わせて梯子状にします。木工用ボンドで組んだ後に瞬着で補強。



続いて補強アングルに相当する床板取付板を2枚貼り合わせ、六角形の穴にφ2ビス用のナットを落とし込んで接着します。なおビス・ナットは付属しないので手持ち品です。ペーパーどうしの貼り合わせは木工用ボンド、ナットの接着はセメダインスーパーXクリアを使いました。



側板は外、中、内の3枚構成なので、中・内の内貼りどうしを接着します。二段窓を表現するために慎重な位置合わせが必要なので、まずは広い部分に木工用ボンドをちょいちょいと付けてから圧着し位置を整えます。瞬着で一発決めは怖いので2段階でやります。



ボンドが乾いたら接合面のすき間に瞬着を浸み込ませてさらに圧着します。



貼り合わせが終わった内貼りには使用したパーツ番号を書いて管理します。この車両は前後対象のように見えて細部が異なるので注意が必要です。



どこが非対称か分かりますか?一番目立つのは戸袋窓と客室窓の間ですが、一部にタネ車の窓を使っているため、一見均等に見える吹き寄せの幅がけっこうエグいことになっているのです。それでもさすがレーザーカットの技アリで2枚の内貼りは気持ちいいほどピタリと合います。



続いて一番外側の外板を加工していきます。ペーパールーフなのでいわゆるヒラキ状となっていて、屋根の裏側には曲げやすいようにレーザーで溝彫りがされています。



ここでも仕様にしたがってひと手間必要になります。ワンマン化に伴なって運転席窓の前に確認用小窓が赤丸印の場所に設置されているのですが、製品の外側面には何もありません。



内側にやはり浅い溝彫りがしてあるので、これをガイドに窓を抜くことになります。しかし隅Rがかなり小さく、手持ちのツールはパワーグリップの1.5mm丸刀(R0.75相当??)が最小だったのでこれを使いましたが、むしろRを含めて窓抜き状態(もちろん切り落とさない状態)をデフォルトにして、初期タイプを作りたい場合はパテでスジを埋める方がスマートじゃないかな~と思った次第。(マイクロ彫刻刃なぞ持ち合わせていない只のひがみです、はい・・・)



さらにクーラーランボードの部分を溝彫りに沿ってコの字型にカット。溝をガイドに2、3回に分けてフリーハンドで慎重に切りました。なまじ定規を当てて変な方向に切り込んでしまうより確実です。



冷房化する場合はホビーモデルのAU712が使えるとのことで、その取付穴の位置も溝彫りされているので穴を開けておきます。すでにベンチレーター取付穴が開いていますが、たぶんクーラーの下になって見えないということなのでしょう。そう信じたい。。



内貼りを“ヒラキ”に貼り合わせます。ここも木工用ボンドで位置合わせ→瞬着流し込み・・・の合わせ技でなんとか乗り切りました。



パンタとクーラーのランボード部分には指定された厚紙パーツを貼っておきます。



組み立てた時にこんな感じで出っ張ってくるわけです。しかし今さらですが、切り抜く前に肩Rの曲げぐせをつけておけば良かったかなーとプチ後悔。もちろん紙厚が薄いうえに裏側にスジ彫りされているため容易に曲がるのですが、どうしてもカットしたランボード側は跳ね上がってしまいます。骨格に丁寧に貼り付けていけばうまくいくのだろうか???



すべて貼り合わせた状態の車内側です。



同じく車外側からみたところです。乗務員ドアはこの上から貼り合わせることになるのかな? 手すりがめちゃくちゃ細くて真っすぐ貼るのが大変でした。何度真鍮線に置き換えちゃおうと思ったことか。。さすがレーザーカット恐るべしであります。しかしこの後もめちゃ細い“変態カット”wが随所に出てくるらしいので、なんとか負けずに食い下がっていきたいと思います。







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213系5000番代の製作(15)

2022-08-22 21:19:02 | 中央東線周辺
屋根の塗装をしました。シルバーボディにグレーの床下ということで全体明るめなので、少しメリハリをつけるため暗めの「佐世保海軍工廠グレイ」(タミヤ・TS-67)をチョイス。しっかり残量があってうまく吹けそうなのがコレしかなかった・・・というのもあります。一応車体をマスキングして吹いています。



続いてクーラーを軽く整形します。この車両にはJR東海お馴染みのC-AU711形インバータクーラーが1両につき2台搭載されています。



TOMIXからプラ製の安価な製品が発売されているのでこれを使おうと思いますが、もともとが115系2000番代向けのパーツなので、こんな感じで台座がペロンと舌を出したように付いているので何とかしないといけません。ちなみに映えるようにちょっと違う背景で撮ってみましたが、実はタダのマウスパッドです。



まず台座を単純に取り去ってみるとどうなるか。ん~やはり隙間が空きすぎて実感的ではありませんね。



ではということで、台座を本体にしっかり接着したうえではみ出た部分をカットし(左)、パテを盛って整形することにしました(右)。



乾燥後に研磨して面を整えたところです。実物のように下面が台形カットにならず円弧になってしまいますが、がばっと空くよりマシでしょう。車体と一緒にステンレスシルバーを吹いて仕上げようと思います。



ベンチレーターと一緒に仮置きしてみました。雰囲気ヨシ!



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JAMを訪ねて

2022-08-21 01:19:29 | その他
東京ビッグサイトで昨日から3日間の日程で開催されている第21回国際鉄道模型コンベンション=JAMのようすを見てきました。3年ぶりの開催とあって会場は熱気にあふれていました。



なにはともあれギミック2022さんへ立ち寄り。こてはし鉄道さん渾身の22年版ギミックはさてどんな感じでしょうか♪



全景。かなり大きなセクションです。



右手には昭和感満載のゲート!鉄道150年を祝う会場のようです。スイッチ操作でネオンが点滅し人が動き回ります。



こちら、写真だと分かりにくいですが煙突の先の「回転火の粉止め自体が回転する」ギミック。1枚の東武の古い蒸機の写真を参考に作られたそうです。家が立て込む都心部に近付いたらクルッと回して煙突の上に被せるとか。面白くて何回もクルクル遊んでしまいましたスミマセン。その他にもスコップ作業する鉄道員や屋根の上で鳴くカラスなど定番品も盛りだくさん。今年も楽しいものを見せていただきありがとうございました。



昨年亡くなられた梅原顕彦氏を偲ぶコーナーが設けられていました。私は運転会で何度か同席させていただいた程度で特段懇意というわけではありませんが、素晴らしいペーパー作品を次々と完成させておられる方ということで存じあげ、また、大いに刺激を受けていました。こうして改めて長編成の作品群を拝見すると半端ない熱量が感じ取れます。



自分もペーパーモデラーのはしくれとして好きな世界を突き詰めていけたらいいなと改めて思った次第。合掌。



その他、コロナ前を彷彿させるようなバラエティー溢れる展示が盛りだくさんだったので、残念ながら個々の展示をゆっくり見ることはできませんでしたが、それでも何か所かのブースでは立ち止まって関係者の方と様々なお話ができたのが収穫でした。


そして最後に散財報告です。
こちらはパンケーキコンテナの新作「クモハ123-1」で、今月の一般販売を前にした先行販売ということで実物をしかと拝見してきました。中央線の塩嶺トンネルの開通で辰野支線となった区間を「ミニエコー」として走った車両。「中央東線とその周辺」にふさわしい車両として、同店がクモハ123シリーズを展開し始めた当初から発売を待っていました。



もちろん見ただけでなくお買い上げ。先行販売なんだからスグ作らないともったいないよね・・・なーんてもう開封したくてウズウズしてます。笑



ヘッドマークシールも一緒に買いました。



クモハ123はいわば予定散財なのですがこちらは衝動散財。山スカに混ぜると旨さがぐっと際立つ、山ゲタモハ72の850番代低屋根車であります。こちらもウズウズ。。



最後はワールド工芸の「国鉄V11通風コンテナ」のキット。小海線の朝どりレタス列車用にと、これは会場ではなく通販で取り寄せました。イベント企画品ということで長らく欠品していたのが再販されたのを偶然見つけてポチりました。しかし何を勘違いしたのか1セット5個入りとばかり思いこんで2セットしか買わず、慌てて追加しようとしたらもう売り切れでした。。ワールドさんがこの値段で5個入りなわけないとなぜ気づけなかったww。さーてコキ5500にコンテナ2個載せはありえないのでどうしましょ。。汗



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213系5000番代の製作(14)

2022-08-17 11:40:21 | 中央東線周辺
床板を塗装して車体に固定します。

JR東海車なので床下はグレーです。GM、タミヤ、クレオス・・・気が付けばグレー缶の山に囲まれていて選ぶのに困るのですが、今回はおとなしくGMのねずみ色1号に落ち着きました。光沢の表記がないのですが塗った感じでは3/4つや消しあたりでしょうか。屋根テカテカは困りますが床下なら全検出たての感じでOK。台車とスカートも一緒に塗っておきます。モーターは黒に塗ってあったのでマスキングしてあります。



車体との固定はφ1.4×6mmネジを使いました。ブラスモデルのアングルに留める構造にならい、補強用ヒノキ材にタップを立ててダイレクトに留める方法です。内装への干渉が少ないので最近の標準工法にしています。



φ1.2で下穴あけ→φ1.4ネジで仮セルフタッピング→穴に瞬着含浸→半乾き状態で再度φ1.4ネジでタッピング・・・これで強度が出ます。今回の車体は裾絞りの角度がきついので、ネジを締めたときの補強材の“倒れ込み”を防ぐため反対側まで貫通する6mm長のものを使いました。



床下機器がぎっしり埋まったクモハは穴の位置を外側ぎりぎりに置かざるを得ないためうまくいったのですが、スカスカのクハは油断して内側に寄りすぎたため、半分に切ったヒノキ材を貼って補強のうえ穴を開けました。床板の幅がもともと1mm近く狭かったというミスも重なってるんですけど・・・。



車体と床板を仮固定してみました。合いヨシ!強度ヨシ! ん!?クハは高さに疑義アリかぁ??


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1982年の京福電車(福井)と越美南・北線

2022-08-13 19:37:32 | 北陸方面
先日福井へ行った話を投稿しましたが、今から40年前の1982年に福井から越美北線、南線を乗り継いだ(と思われる)時の写真が見つかりましたのでご紹介しましょう。

例によってネガをしまい込んでいて対比ができないのですが、恐らくこれが初っ端ではないかと思われる写真がこちらです。地平時代の福井駅の4番ホームに北陸本線の雄EF70 4が牽引する列車が停まっています。影の部分を拡大してみたところ機関車次位に青い荷物車、そして裾絞りのある客車が連なっているのが分かりました。どうやら福井に到着したばかりの急行越前のようです。前に紹介した氷見線へ行った時もそうでしたが、時間が有効に使える夜行急行列車は好んで利用していたようです。



福井駅で撮ったと思われる50系客車の部分写真(編成撮れヨ・・・)。福井~金沢間の「ショッピング快速」とあります。のちのTOWNトレインの始祖でしょうか。ちなみにオハフ50 2381は「海峡」用に改造されて2000年代初頭まで活躍した由。



福井ではまず駅周辺をブラついたようで福井城址のお堀の写真なども残っていましたが、この時もまず目指したのは福井鉄道の通称「ヒゲ線」と呼ばれる福井駅前電停だったようです。停まっている車両は非貫通3枚窓なので140形でしょうか。通りには車があふれ今より活気があるように見えます。ヘロヘロのレールがアスファルトの中に消えていく「ザ・終点」感がたまりません。



自社生え抜きの200形!なんでもクラファンで1編成だけ生き残っているそうですね。写真は急行サインを出して現役バリバリの姿です。



この後・・・か前か分かりませんが、駅東側の京福電鉄サイドに移動して電車を撮影しています。ご存じのとおり京福はいろいろあって「えちぜん鉄道」に生まれ変わるわけですが、この頃は古豪に混じって阪神や南海のお下がりが活躍するフツーの地方私鉄でした。写真はバス窓のいわゆる日車標準スタイルのモハ244です。後方には青い旧客が。



上のモハ244とつながっていたモハ1101。阪神ジェットカーの車体を譲り受けて2扉化したもの。前面の配管の取り回しがいかにも阪神って感じですね。



元南海の11001系初期車を譲り受けたモハ3001形(3007+3008)。貫通型前面を2枚窓の非貫通スタイルに改造したものの湘南顔になり切れず小田急顔になっちゃった!



このあとは京福バスなどを撮って永平寺へ向かったようです。この日見た中では最も古そうなモハ271号車。右側が見切れてしまっていますが、実は後位のドアの後ろでハイおしまい!というトンデモ車体を持っていたようです。フィルムプリントではネガに映っていても焼くと切れてしまう場合があるので根気よくネガを探そうと思います。撮影場所は永平寺口あたりか?



恐らく同じ駅で撮ったと思われる車内写真。ニス塗りの内装に青モケットのロングシート2扉で窓は二段のようです。走るといい音が出そうでつり革もチャンチャン網棚に当たりそうです。さて形式は何だったのでしょうか。



反対側のホームに鳥居が見えるのでこれは終点永平寺駅でのスナップ。284号の車番が読めます。これが上の写真の電車かと思ったらどうも違うようです。なぜなら・・・



同じモハ284号の走行写真がありました。これまで見た中ではゲテっぽくない都会的な3ドア車でした。元は東急の3300形と聞いて納得。



今はなき永平寺駅です。



永平寺も参拝しました。この後も数回訪れていますが京都の寺院とは違った荘厳さを感じます。




この後はどこをどう通ったのか分かりませんが越美北線に乗って九頭竜湖駅へ向かったようです。駅舎は簡素なブロック積み。2台並ぶ国鉄バスは奥が大野三番行で手前が美濃白鳥行。ローカル線の終点にしては賑やかな光景です。バスは大野自動車営業所の331形いすゞBA05N。中型バスが普及するまで狭あい区間を持つ営業所でよくみられたナローボディの「最も小さい大型バス」です。



乗ってきたであろうキハ52+キハ23を駅裏から撮ったもの。首都圏色にブタ鼻ライトといういで立ちではあるけれど、まだまだ国鉄を感じられた時代でした。



ここからは先の写真に写っていた国鉄バス大野線で美濃白鳥へ向かったようです。ロックフィル式の九頭竜ダムの写真などが出てきてもいいはずですが見つからず、一気に美濃白鳥駅の写真であります。ご承知のとおり結局「越美線」計画は実現せず南北に分かれたまま。さらに越美南線は長良川鉄道の路線となって現在に至るわけですがしかしこの駅舎、ストリートビューで近影を確認したらほとんど変わっていないのに驚きました。



美濃白鳥では市街地をブラついていました。最初この写真の造り酒屋は最初郡上八幡かなと思ったのですが、途中下車するのも不自然(最後に急行おくみのに乗っている)なので、看板の文字を拡大したりして調べたところ「大日泉」と読め、これを製造する「布屋 原酒造場」という酒蔵であることが分かりました。恐らく北濃へ向かう列車かバスの発車まで時間を潰していたようです。それにしても長良川源流の大日岳にちなんだと思われる大日泉って気になりますね。呑みたい!



というわけで日もだいぶ傾いた頃にやっと越美南線の終点・北濃駅にたどり着きました。趣のあるこの駅舎も変わらず残っているようです。



ホームにはキハ58+キハ28の「急行おくみの」がカラカラとアイドリング音を鳴らして停車しています。もちろん妄想です。ちなみにこの頃はすでに美濃太田以遠は普通列車だったらしく、「おくみの崩れ」が正解のようです。



少し引いて撮ったカットではうら寂しい山奥の終着駅の感じが伝わってきます。キハ58、似合いすぎやろ。笑



ホーム上から。号車札が8号車と9号車になっています。美濃太田で「のりくら」に併結して長編成となって名古屋へ向かいます。しかしこちらの編成表をみると1号車側に連結されていてちょっとオドロキです。普通列車ということで種別サボは裏返っていますが「おくみの」は表示されたままです。これも不思議。



しかし、3枚前の写真をよくよく眺めてみるとナンダコレハ!!??愛称サボを抜いてるヤツ発見www。40年の時を経ていかがわしい行為が明るみに出ました。昔も今も行動は変わらんなあ、、頼むぜ鉄オタ。。笑



ということで1982年の写真で福井から越美南線までをたどってみましたがいかがだったでしょうか。

この記事を書くに当たっていろいろ調べて気づいたのですが、1982年(S57年)11月15日ダイヤ改正で「越前」も「おくみの」も消えていました。この夜行半泊の弾丸旅行は、その最後の姿を見届けるために決行したのかも知れません。

インターネットなど無かった時代に、今よりはるかに情報ツウで行動派だった自分がいたという事実はちょっと考えさせられるものがあります。模型作ってるだけじゃ進歩ねーぞ、と言い聞かせました。なんか昔の写真を出すたびに同じこと言ってるかも・・・。



コメント (4)
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