80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

DF200レッドベア竣工へ向けて(屋根カバーの作り直し)

2015-06-28 17:01:47 | 北海道方面
こんにちは。

運転会が近いので、中途半端になっていたレッドベアことDF200を仕上げていくことにしました。



一番のポイントはこちらの屋根カバー。とりあえずの形にするためバルサ材を成形したハリボテを載せていたので、まずはこれを作り直すことにします。このまま本体にディティールを“彫刻”して仕上げることも考えたのですが、ちょっとツメを立てただけでも凹んでしまうような素材ですので、面倒ですがすべてやり直すことにしました。



まずは仮設の屋根カバーを外します。いずれ作り変えるつもりで両面テープを使っていたので簡単に外れます。この下にはヘッドライトケースユニットがあり、屋根上に少し飛び出すので、新しく作る屋根カバーの底にも“逃げ”をつくる必要があります。



前頭部の丸屋根をきれいに表現するには、やはり木材の削り出しが一番手っ取り早いので、バルサより硬い屋根板(材質不詳・・・朴か?)を使うべく切り出し始めたのですが、厚さを合わせるために水平に鋸を入れて切るのがしんどく、途中で投げ出してしまいました。下側1.5mmの位置で水平に切れるように治具まで作ったんですけど・・・



木材は前頭部の本当の先端部分だけに使うことにして、“胴体”に相当する部分はペーパー製としました。底板に屋根のRに合わせて切り出した半月状の板を立てます。換気口が両側にあるので、それを避ける位置に立ててあります。



右端が屋根板を貼る前の状態。前後方向の梁と換気口のメッシュに相当する壁を組み込んであります。中央がこれに屋根板を貼った状態です。そして左端が木材から切り出した前頭部で、ペーパー部分との境目が湾曲しているので、この部分もペーパーで庇状のせり出しを取り付けてあります。ちなみに木材は屋根板ではなくt3.0mmのアガチス材を2枚重ねたものです。



屋根に仮に載せてみたところ。いい感じになりましたが結構手間がかかります。なので本日は片側だけで終了。




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101系も完成させないと・・・

2015-06-23 01:45:15 | 中央東線方面
こんばんは。

編成モノの仕掛品もいい加減手を付けないと部屋が片付かないので、比較的進んでいる101系10連からやっつけることにしました。ホビーモデルのプラ板キット組みで、車体は一部、縦樋の取り付けが必要な箇所がありますが、それ以外はほぼ組み上がっています。



下回りも塗装が終わって台車も取り付け済み。ここまで出来てるのに何をボヤボヤしてんだっ!て話ですね(^^;



実は動力装置がまだ完全に組み込めていないのです。財政難でMP動力は基本編成に1両のみ。あとは、手持ちのインサイドギヤ+カンモーターを用いた動力車を、基本と付属に各1両組み込むことに決めたところで中断していました。


まずはクモハ101を動力化します。インサイドギヤはカワイ製で、車輪がナットどめなので日光台車に合います。ただしウォームギヤだけは新品に交換します。エンドウの16:2という製品を使います。昔は電車用は14:2ではなかったかと思いますが、DV18シリーズからキャノンモーターになって回転数が上がったということでしょうか??
ちなみに当101系では、通称「秋葉原モーター」の名で親しまれているMCR3B00を使います。



インサイドギヤはバラせるところはバラし、掃除と注油を行っておきます。このへんは写真を撮っていないのでパス。床板に組み付けた状態がこちらです。電機用の大きなウェイトを仮に載せていますが、プラ車体で軽いため、心情的にはこのくらいの重さのウェイトでも全く問題ないように感じます。ウォームホイールはデルリンでなく真鍮製ですが、試験走行の結果、MPと変わらない静かさでした。



インサイドギヤを組み込んだクモハ101です。



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1980年夏の記録(その3)

2015-06-21 21:58:20 | 実物・資料系(過去)
こんにちは。
前回は鹿児島市内のホテルに投宿するところまで当時の記憶をトレースしてみました。
今回はその翌日に回った鹿児島周辺の様子と、再び夜行で向かった北九州方面のスナップをご紹介します。


1980年(昭和55年)8月28日の早朝の鹿児島市中心部の様子。夜中に降った雨が上がり、薄日が反射する路面の中央をゆく市電を望遠でとらえています。
撮影場所の記載がなかったので左端に写っている「永田産婦人科」を頼りに調べたところ、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)前から左手に伸びる県道が甲突川を渡る「高見橋」から市街地中心部方面を撮っていることがわかりました、駅に近いホテルに泊まっていたようです。



同じ場所をGoogleマップのストリートビューで表示してみました。市電軌道はセンターポール化され、車両も低床の1000形「ユートラム」と近代的な姿に生まれ変わっています。左手一帯も大きなビルに建て替わり、先の産婦人科はなくなってしまったようです。



市内観光を少ししたようで西郷隆盛像の写真なども残っていました。そしてこちらは鹿児島港の写真で「第二十折田丸」という船が写っています。調べたところ、折田商船が屋久島航路で運航していた船ということがわかりました。総トン数は353トン。現在運行されているフェリー「屋久島2」が3,392トンだそうですので時代の流れを感じます。



市電600形612号車と市営バスの後ろ姿をとらえたこの写真。左手に「ナヤ通り東口」、右手には「中町通り」と書かれたアーケードの入口が見え、市内随一の繁華街にある「いづろ交差点」の南東角から撮っているようです。右手に進むと老舗デパートの「山形屋」があり、現在この一帯の歩道は屋根付き歩道として整備されています。
市電の行先は「3伊敷町」とあり、鹿児島駅前からやってきたこの電車はこの交差点を右折し、天文館通、鍛冶屋橋を経て伊敷町まで結んでいましたが、この撮影から5年後の1985年(昭和60年)9月いっぱいで鍛冶屋橋~伊敷町間が廃止されたとのことです。
左後方に写っているバスは、当時関東ではほとんど見ることのできなかった西日本車体工業製のボディを架装したバスで、屋根部分がまるで蒲鉾のように見えることから「カマボコ」の愛称で呼ばれていました。ナンバープレートは写っていませんが、エンジンルームのメッシュの形状などから恐らく日産ディーゼル4R94型ではないかと思います。



続いての写真は伊集院駅の様子をとらえています。3番線から発車していく鹿児島本線の普通列車の最後尾はキハ47ですが、柱に隠れたその隣車両は車体裾がストレートで非冷房にも見えるので、キハ26又は55ではないかと思います。奥は鹿児島交通枕崎線のキハ100形。国鉄キハ07に範を取った流線型気動車で、朱色の塗色と相まって、初めて見た当時は強烈な印象を受けました。



上の写真では写っていませんでしたが、単体で撮ったこちらの写真で104号車であったことがわかります。駅舎に接したホームは2番線で、車両の裏手に1番線がありました。



キハ100形がたむろする加世田駅。ホームは未舗装、上屋は木造で、半円形のガラリや、柱と梁をつなぐ“方杖”が緩いカーブを描いているところなど、随所にモダンなデザインが見られます。加世田駅跡は現在バスターミナルになっており、一隅に「南薩鉄道記念館」が開設されてキハ100形も保存されているとのことです。



加世田の写真があるということは鹿児島交通に乗っているはずなのですがまったく記憶にございません(笑)。恐らくそのまま乗り通して枕崎へ向かったはずで、次の写真の裏には「指宿枕崎線より望む開聞岳」との記載があります。別名「薩摩富士」とも呼ばれるその姿は見事な円錐形をしているのですが、この時はあいにくの天気で、中腹から上はすっぽり雲に覆われていました。



そしてこの日の最後の写真は、指宿駅に進入するキハ58(不鮮明ですが152か?)を先頭にした4連の普通列車。これに乗って西鹿児島へ戻ったはずです。キハ58と腕木式信号機の組み合わせが泣かせますね。



この日の晩は再び夜行列車で北九州方面へ戻っているはずで、鹿児島本線回りの「かいもん」か日豊本線回りの「日南」のどちらかに乗ったはずなのですが、途中の写真も記憶もなく、手掛かりはつかめませんでした。


そして翌日の早朝に撮ったと思われるこの写真は撮影場所が「小倉」とだけ書かれています。被写体はエンジ色にクリーム帯の西鉄北九州市内線用1000形で、ブレていて車号がよく読めないのですが、1032A-Bの連接車ではないかと思われます。右端に第一勧業銀行すなわち今のみずほ銀行が写っており、タクシーのボンネットの向うにわずかに写っている電停の名前が「?町」と読めるので、魚町電停の南側から小倉駅方向を見て撮ったものであることがわかりました。それにしてもすごい雨に見舞われています(^^;



こちらは小倉駅4番ホームに停車中の南福岡行421系普通電車。F-16編成のようです。リバイバルではない正真正銘のローズピンク塗装ですが、さすがに車体裾の60Hz識別帯は巻かれていません。すき間風か雨対策か、貫通扉周囲がガムテープで目張りされています。



アルバムの最後は筑豊電鉄の筑豊直方駅でのスナップでした。先ほどの西鉄1000形を譲り受けた車両で、1022A-Bの連接車です。筑豊直方駅は高架駅ですが、これは将来の延伸に備え、国鉄線を越えるために高架駅とされたものだそうですが、結局延伸は実現しませんでした。



こちらは同じ1000形の中間に1両挟み込んだ3連接車体をもつ1055A-C-B編成です。前面に「3両連接車」と縦書きされた円形サボが掲げられています。ホームの雨水をかき出したのでしょうか、左のベンチ周りにはモップやらバケツが置かれています。この後も雨にはずいぶんと祟られました。




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1980年夏の記録(その2)

2015-06-17 21:50:19 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。

3週間ほど前にUPした「1980年夏の記録」の続編です。友人と九州へ2人旅したときのようすを振り返ります。


前回は夜行急行「雲仙・西海」で福岡に降り立ち、天神で西鉄電車を眺めたところまでをご紹介しました。1980年(昭和55年)8月27日のことです。

天神からは西鉄特急に乗り大牟田へ向かったようです。途中の写真はありませんが、確か久留米で途中下車をしているはずです。その年の春に華々しくデビューした松田聖子に傾倒していた私は、彼女の出身地である久留米がどんなまちなのか純粋に知りたくて、ただ駅周辺をうろついたように記憶しています。


次の写真は終点の西鉄大牟田駅から始まっています。乗ってきたであろう2000形。方向幕はすでに「福岡」になっています。ローレル賞を受賞したイエローカラーの特急車は当時デビュー6年目で、天神・大牟田線の看板列車として大活躍していました。



国鉄大牟田駅側から撮った西鉄電車。奥に2000形、手前は旧特急車の1000形と思われます。



大牟田からは鹿児島本線で熊本へ向かっていました。これが乗ってきた列車か定かではありませんが、熊本駅2番線で発車待ちする西鹿児島行き急行「かいもん3号」。形式番号はモハ456-10と読めます。昼行の電車急行「かいもん」はこの年の10月に特急「有明」に昇格しているので、その最末期の状況をとらえた写真といえます。



同じく熊本駅に停車中の急行「えびの3号」。キハ58700以下、キハ65やキロ28を含む5連です。カラカラアイドリング音が今にも聞こえてきそうですね。これからこれに乗車し、肥薩線経由で“矢岳越え”に挑むようです。



古い木造駅舎、そして奇麗に手入れされた花壇のある未舗装ホーム。写真の裏には矢岳駅と書かれています。駅舎寄りホームにはDD51が牽引する旧型客車。全国どこでも見られたのどかな交換風景です。



そして列車は吉松に到着。ここからは快速「やたけ」で西鹿児島を目指したようです。吉松駅2番線に停車中のキハ282025ほか2連の快速「やたけ」。左手には貨物ホームと黒い無蓋貨車が見えます。空撮写真で見ると、現在このあたりは駐車場になってしまったようです。



日もだいぶ傾いて列車は鹿児島市内へ。どうやら終点の西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗らずに鹿児島駅で降りたようです。鹿児島駅を通過するED76 58が牽引する貨物列車。タキ、コキ、ワム?・・・とバラエティ豊かな編成です。



市電の鹿児島駅前電停。談笑する運転士たちの後ろには発車待ちの500形。ヨーロッパのトラムを想わせる大きなパンタが印象的です。



そして市電に乗り市内中心部へ。場所は忘れましたが市内のどこかのホテルへチェックインし、2日ぶりに布団にくるまって寝たはずです。





次回は流線型気動車キハ07の私鉄版・キハ100形が最後の活躍をしていた鹿児島交通が登場します!



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サハ164の製作8(一応完成♪)

2015-06-17 03:29:33 | 中央東線方面
こんばんは。

サハ164完成です!(^^)


下地仕上げを済ませたらいつもどおり湘南色のツートンカラーに塗装。今回は油断したら塗り分け線が若干ヘロってしまいました。。



窓ガラスを復元します。トイレ側デッキから客室部分は元のパーツがそのまま使えますが、改造した売店部分と売店側デッキは、窓に合わせてパーツをバラバラに切り離して貼り込みます。カッターで切ると断面にストレスがかかり、樹脂の中にこのようなウロコ状の割れが生じてしまいます。窓部分は一段出っ張っているので、割れが窓表面まで達することはありませんが、安全のため、なるべく周囲の余白を多く取るように切り出しました。



2位角にあるこの窓だけはサイズが違うため、元のパーツをそのままはめることができません。客室用の1080mm窓を切ってはめることにします。



果たしてうまくいくのか?残りの窓は3個、トライできるのは3回までです。緊張!



カッターで切るとウロコ状の割れが生じるので糸鋸で切断。案ずるより産むが易しで意外うまくいきそうかも。(^^)



ヤスリで少しずつ幅を調整し、なんとかはめ込むことができました!ちょっと接着剤がはみ出てしまったのが残念ですが、実車では下段窓はスリガラスになっているようなので、あとで半透明の窓セルでも貼ってごまかします。。



形式番号はサハ164-1としました。所属区は165系低屋根セットに「長モト」が入っているのでそれを貼りましたが、定員表記は適当なものがないのでペンディングとしてあります。




これで一応完成です。無事、モハ164をサハ164に化かすことができました!
一応というのは、今後気分が乗ってきたら(笑)売店部分の内装を軽く作ろうと思っているからです。いつになるかわかりませんが着工したらまたご報告します。(^^)





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