見たもの乗ったものに感化されやすい管理人のこと、当然?今回の関西出張でもやる気スイッチが入りました。播但線の103系を作・・・りません笑。
タイトルのとおり新快速のルーツである「153系ブルーライナー作ろう!」であります。223系新快速はそれはそれで快適でしたが、やはり思考は昭和レトロ、国鉄に回帰してしまうのであります。
珍しく自前の写真があります。確か中学2年生の修学旅行で京都・奈良を訪れた時に0系新幹線の車窓から撮ったと記憶していたのですが、いかんせん半世紀前(1974(昭和49)年)のことなので自信がありません。後方に写る学校のような建物を頼りに調べたところ、鴨川べりに建つ「崇仁(すうじん)小学校」であることがわかり、京都に着く直前に引上げ線で休んでいるクハ153-500番台をとらえたもので間違いないことがわかりました。ちなみに崇仁小学校を含むこの一帯は、昨年、京都市立芸術大学が移転してきたためこの姿はもう見られないようです。

まあ「作る」といってもTOMIXの153系を塗り替えようという話なので「仕立てる」にしました。一応、中央東線つながりで新宿に顔を出していた「内房」としてドレスアップしてあるのですが、153系は東海道・山陽を走ってこそという思いもあり、ずっと自分の中では「じゃない」感が拭えずにいました。

TOMIXからはブルーライナー塗装の153系も発売されましたが今では市場在庫がほぼ払底。オークションで見かけても途方もない価格になっていますので塗り替えてしまえ!という流れです。一時は編成を伸ばして「東海」やら「比叡」やら「鷲羽」を夢見た時期もあったのですが、中央東線関連以外での増備は原則ナシにしたので、コンパクトな6連で東海道・山陽路を駆け抜ける姿を再現できるいい題材ではないかと。

もうひとつ理由があります。今までブルーライナーはすべて153系とばかり思っていたのですが、少なくない数のクハ165が混じっていたと知ったからです。調べたら1978年の配置表では大ミハに12両確認できました。これはまさに目から鱗でした。先日の“165系お仕立て祭り”で余った車体や床板があるので、これを工面すればクハ165が1両できるぞ・・・という悪魔の囁きを素直に受け入れました。ちなみに前の写真も「もしかして!?」と思ったのですが、台車がTR59でバカでかい水タンクも見えるのでクハ153でした。。

ただ、余っている車体はクモハ165(左)で妻面に電動機の冷却風取入口があるので、ホビセンで手に入れたクハ165のハンパボディ(右)に屋根やら窓ガラスやらを移植してリアル・クハに仕立てていこうと思います。

一方、床板の余りはモハ164用で、床下機器も違えば長さも違います。これも何とかしてクハ165に化かすべく、床下機器はエンドウのパーツにすべて交換することにしました。ただ、市場在庫が無いようなので手持ちのクハ455用から使えそうなものをピックアップし、足りないものはストックパーツから補充しました。ちなみにブルーライナーに充当されたクハ165はすべて1968年製、すなわち冷房準備車として登場し、その後冷房化された“新製冷房車相当”のようなので水タンクがFRP製のセンター置きとなります。

さっそく工事開始。床板はボギーセンター距離の延長とオーバーハング部の延長が必要なため2か所でカットし、ABS板の“添え木”をあてて切り継ぎました。

“首から後ろ”は実車もそうですが共通設計なので車体固定用ツメの位置は一緒ですが、残念ながら“首”の下は合わないので、ツメ(赤丸)の下あたりの窓ガラスパーツの窪みを拡大してツメが収まるようにしました。

床下機器は、クハ165とモハ164では共通するところがまったくないため、バッサバッサと削り取ります。

はいこの通り奇麗さっぱり。硬いものがなくなったので強度が下がってヘナヘナです。

使えそうな機器はサルベージしておきます。

床板の補強を兼ね、床下機器はt0.5真鍮板に組み付けました。

ホワイトメタルのヒューズ箱は3本用だったので、剥ぎ取った6本用の両端をカットして4本用にして取り付けました。

ブレーキ制御装置(左)の脇がガバガバで寂しいので、φ0.6真鍮線の途中にチリコシ(らしきもの)と肘コックを取り付けた配管を1本だけ伸ばしておきました。

台車もストック品の再利用でカツミorエンドウのTR69です。ボルスターの穴を少し拡大しただけで元のセンターピン部分にすっぽり入りました。軸受メタル無しの年代物で転がりがイマイチですが、動力車が2両入るのでパワーで解決してくれるでしょう。集電対策はちょっと考えないといけないかな。。

屋根板はクモハ用なので前部の大型ベンチレーター用の穴をふさいだほか、新製冷房車相当なので後方2か所のベンチレーターの位置も後ろにずらす準備をしました。すなわち、中央のものは前側の取付穴をカットしてベンチレーター半個分後ろに下がるようにし、後部のものは台座をすべてカットしてさらに後ろ寄りに付け替えることになります。

とりあえず主要な改造は終わりました。結局クモハ165の車体は余ってしまいましたが、放っておくとモハ164の床下と組み合わせて「地方線区向けクモハ164だ!」などと笑えないウソ電を作ってしまいそうだったので助かりました。

で、編成ですが、こちらのブログで1970年代終盤の編成を調べておられた方がいらっしゃったのと、こちらのサイトで“そのもの”の個体の写真が確認できたので、「クハ165-165」が草津方につながれた次の編成にしようと思っています。
↑京都・草津
クハ165-165
モハ153-43
モハ152-43
モハ153-2
モハ152-2
クハ153-10
↓姫路・上郡
あと気になっているのは「青22号問題」で、吹田工場独自の「青22号特」と呼ばれる緑が強い塗装が登場当時からなされていたのかどうか。確かに阪和線の113系は独特の青緑色をしていますが、JR化後という記載も見かけたりしてモンモンとしています。最初に載せたカラー写真も経年でほとんど色が変わっちゃってますし。識者の方のご意見をお聞かせください!
タイトルのとおり新快速のルーツである「153系ブルーライナー作ろう!」であります。223系新快速はそれはそれで快適でしたが、やはり思考は昭和レトロ、国鉄に回帰してしまうのであります。
珍しく自前の写真があります。確か中学2年生の修学旅行で京都・奈良を訪れた時に0系新幹線の車窓から撮ったと記憶していたのですが、いかんせん半世紀前(1974(昭和49)年)のことなので自信がありません。後方に写る学校のような建物を頼りに調べたところ、鴨川べりに建つ「崇仁(すうじん)小学校」であることがわかり、京都に着く直前に引上げ線で休んでいるクハ153-500番台をとらえたもので間違いないことがわかりました。ちなみに崇仁小学校を含むこの一帯は、昨年、京都市立芸術大学が移転してきたためこの姿はもう見られないようです。

まあ「作る」といってもTOMIXの153系を塗り替えようという話なので「仕立てる」にしました。一応、中央東線つながりで新宿に顔を出していた「内房」としてドレスアップしてあるのですが、153系は東海道・山陽を走ってこそという思いもあり、ずっと自分の中では「じゃない」感が拭えずにいました。

TOMIXからはブルーライナー塗装の153系も発売されましたが今では市場在庫がほぼ払底。オークションで見かけても途方もない価格になっていますので塗り替えてしまえ!という流れです。一時は編成を伸ばして「東海」やら「比叡」やら「鷲羽」を夢見た時期もあったのですが、中央東線関連以外での増備は原則ナシにしたので、コンパクトな6連で東海道・山陽路を駆け抜ける姿を再現できるいい題材ではないかと。

もうひとつ理由があります。今までブルーライナーはすべて153系とばかり思っていたのですが、少なくない数のクハ165が混じっていたと知ったからです。調べたら1978年の配置表では大ミハに12両確認できました。これはまさに目から鱗でした。先日の“165系お仕立て祭り”で余った車体や床板があるので、これを工面すればクハ165が1両できるぞ・・・という悪魔の囁きを素直に受け入れました。ちなみに前の写真も「もしかして!?」と思ったのですが、台車がTR59でバカでかい水タンクも見えるのでクハ153でした。。

ただ、余っている車体はクモハ165(左)で妻面に電動機の冷却風取入口があるので、ホビセンで手に入れたクハ165のハンパボディ(右)に屋根やら窓ガラスやらを移植してリアル・クハに仕立てていこうと思います。

一方、床板の余りはモハ164用で、床下機器も違えば長さも違います。これも何とかしてクハ165に化かすべく、床下機器はエンドウのパーツにすべて交換することにしました。ただ、市場在庫が無いようなので手持ちのクハ455用から使えそうなものをピックアップし、足りないものはストックパーツから補充しました。ちなみにブルーライナーに充当されたクハ165はすべて1968年製、すなわち冷房準備車として登場し、その後冷房化された“新製冷房車相当”のようなので水タンクがFRP製のセンター置きとなります。

さっそく工事開始。床板はボギーセンター距離の延長とオーバーハング部の延長が必要なため2か所でカットし、ABS板の“添え木”をあてて切り継ぎました。

“首から後ろ”は実車もそうですが共通設計なので車体固定用ツメの位置は一緒ですが、残念ながら“首”の下は合わないので、ツメ(赤丸)の下あたりの窓ガラスパーツの窪みを拡大してツメが収まるようにしました。

床下機器は、クハ165とモハ164では共通するところがまったくないため、バッサバッサと削り取ります。

はいこの通り奇麗さっぱり。硬いものがなくなったので強度が下がってヘナヘナです。

使えそうな機器はサルベージしておきます。

床板の補強を兼ね、床下機器はt0.5真鍮板に組み付けました。

ホワイトメタルのヒューズ箱は3本用だったので、剥ぎ取った6本用の両端をカットして4本用にして取り付けました。

ブレーキ制御装置(左)の脇がガバガバで寂しいので、φ0.6真鍮線の途中にチリコシ(らしきもの)と肘コックを取り付けた配管を1本だけ伸ばしておきました。

台車もストック品の再利用でカツミorエンドウのTR69です。ボルスターの穴を少し拡大しただけで元のセンターピン部分にすっぽり入りました。軸受メタル無しの年代物で転がりがイマイチですが、動力車が2両入るのでパワーで解決してくれるでしょう。集電対策はちょっと考えないといけないかな。。

屋根板はクモハ用なので前部の大型ベンチレーター用の穴をふさいだほか、新製冷房車相当なので後方2か所のベンチレーターの位置も後ろにずらす準備をしました。すなわち、中央のものは前側の取付穴をカットしてベンチレーター半個分後ろに下がるようにし、後部のものは台座をすべてカットしてさらに後ろ寄りに付け替えることになります。

とりあえず主要な改造は終わりました。結局クモハ165の車体は余ってしまいましたが、放っておくとモハ164の床下と組み合わせて「地方線区向けクモハ164だ!」などと笑えないウソ電を作ってしまいそうだったので助かりました。

で、編成ですが、こちらのブログで1970年代終盤の編成を調べておられた方がいらっしゃったのと、こちらのサイトで“そのもの”の個体の写真が確認できたので、「クハ165-165」が草津方につながれた次の編成にしようと思っています。
↑京都・草津
クハ165-165
モハ153-43
モハ152-43
モハ153-2
モハ152-2
クハ153-10
↓姫路・上郡
あと気になっているのは「青22号問題」で、吹田工場独自の「青22号特」と呼ばれる緑が強い塗装が登場当時からなされていたのかどうか。確かに阪和線の113系は独特の青緑色をしていますが、JR化後という記載も見かけたりしてモンモンとしています。最初に載せたカラー写真も経年でほとんど色が変わっちゃってますし。識者の方のご意見をお聞かせください!