80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

富山地鉄の古い写真

2023-02-25 01:34:05 | 北陸方面
今回のクハ173に使った塗料が余っています。レーシングホワイト(右)は白~アイボリー系の車両なら割と使い道はありそうですが、ダブグレーは地鉄向けの調色塗料なのでなかなか流用がききません。しれっと床下に塗るぐらいしか・・・!?



床下に塗るぐらいならもっと車両を増やしたいですよね。復刻版「私鉄の車両」(ネコ・パブ)をペラペラめくっていたらこんな車両が目に入りました。古めかしい両運の釣り掛け車なのに特急塗装!モハ14750形というのだそうです。4両在籍し、貫通扉を開けたり埋めたり、晩年は補修の際にノーシル化された車両も現れるなど個性豊かだったようです。いいじゃないですかー美味しそうですね。笑



そういえば電鉄富山駅で撮った古い写真があったなぁと思って探したら、あったにはあったのですが全く違う電車でした。クリームと朱色の旧塗装なのは置いといて10056の車号が読めます。窓配置も上の写真とは違います。調べてみると、富山地方鉄道の前身の一つである富山県営鉄道から引き継いだ昭和12年製の車両(モハ10050形)ということが分かりました。

(モハ10056,1981(S.56).10.10,電鉄富山駅)


しかし不思議なのは、前記の「私鉄の車両」によれば同車は1980年(昭和55)に廃車済とされていることです。写真は翌年に撮影しているので、車籍は残っていてイベント的に復活したということでしょうか。そういえば塗装のツヤも何となく真新しそうです。


同じ日に撮ったと思われるもう1枚に3つ目時代の日車ロマンスカーが写っていました。モハ10020形か14720形のどちらかですが、残念ながら番号のところが白飛びしていて分かりません。前面窓のサッシがグレー塗りになっているので晩年と印象が違います。

(車番不明,1981(S.56).10.10,電鉄富山駅)


当時の最新鋭車モハ14760形も撮っていました。同車は1979年~81年にかけて7編成14両(+クハ175)が製造されたので、ちょうど全編成が出揃って華々しく活躍を始めた頃の姿といえます。

(モハ14765,1981(S.56).10.10,電鉄富山駅)


地鉄電車はその後も何回か撮ったはずですが見当たらないので、引き続き家探ししてみようと思います。

オマケとして国鉄時代の神岡線神岡駅で撮った写真を上げておきます。日付的には地鉄電車を撮った翌日に訪ねたようです。広い構内に猪谷から乗ってきた首都圏色のキハ52が1両。右手には黒貨車も見えます。この3年後の1984年に神岡線は第三セクターの神岡鉄道に転換しますがそれも2006年に廃止。しかし廃線跡の一部はその後も観光アトラクションとして活用され、レールマウンテンバイク「ガッタンゴー」で走ることができます。下に動画のリンクを貼りました。楽しそうでいいですね!

(国鉄神岡線神岡駅とキハ52,1981(S.56).10.11)


レールマウンテンバイク Gattan Go!! 2019_Long


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485系の動力近代化

2022-10-23 02:57:13 | 北陸方面
仕事が立て込んでしばらく間があいてしまいました。仕上げたいものはたくさんあるのですが、こういう状況下では気分転換と称してついつい“つまみ食い”に逃げがち。。まだ手を付けないつもりだった485系“あおさぎ”をいじっています。今回はインサイドギヤをMP動力ユニットに交換してみました。

ちなみにラインナップとしてはコレを想定しています。
(金サワ Y03編成)
↑名古屋・富山
(1) クロ481-2005(スクラッチ予定)
(2) モハ485-503(TOMIX モハ489 あさま増結セット改)
(3) モハ484-607(TOMIX モハ488 あさま増結セット改)
(4) サハ481-603(TOMIX サハ481 初期型改)
(5) モハ485-228(カツミ モハ485改)
(6) モハ484-320(カツミ モハ484(M)改)
(7) クハ481-227(カツミ クハ481-200改)
↓米原

クロ481を除き改造ネタはすべて入手済みなのですが、困ったことに動力車の位置が偏りすぎています。4号車のサハ481を動力車にすればバランスがとれますが床下がスカスカなのでNG。気休め程度ですがお隣5号車のモハ485に移設し、ついでにMP動力化したり、床下機器をリニューアルしたりと・・・。

まずは6号車のモハ484を分解しモーター・インサイドギヤ一式を取り出します。なんとエンドウのモーターが付いていました。床板、床下機器、ボルスターは再利用しますが、台車はDT32なのにブレーキシリンダ無しという時代物だったので、手持ちのジャンク台車から“少しはマシ”なエンドウのDT32を探してきて交換しました。



本当は床下機器も交換したいんですけ、大味ながらディティールもまあまあなので存置です。



5号車のモハ485にMP動力ユニットを取り付けます。床板は「あずさ」のモハ180に譲ってしまっていたので、これで結果オーライになりました。車体固定用のネジ穴の位置が両端部の4か所しか合いませんでしたが、極端な話このままポン付けで走らせられるのは魅力です。



こちらは元々付いていた一体成型の床下機器が実感的でないのと、モーターを避けるためにカットするのが大変そうだったので、手持ちのエンドウのクモハ455用からみつくろって付けることにしました。



しかし水タンク(これはジャンク箱から探し出したたもの)が大きすぎてウエイトと干渉するので、タンクを削るかウエイトを削るか悩んだ末に、ウエイトを取り外す、という第三の選択肢でいくことに。。代わりに室内に板状のウエイトを載せます。



t1プラ板を2枚重ねて床下機器取付板とします。



水タンクはウエイトどころかユニバーサルジョイントとも干渉しそうな勢いです。なんとか当たらない位置を探し出しましたが、念のためこの後タンクの端を斜めに削っておきました。



完成したモハ485の床下機器ユニット。この後メタルパーツを中心に洗浄し、プライマーを塗ってからマットブラックを吹いて仕上げました。



リニューアル&動力化した下回りです。床上に貼った板ウエイトがMPウエイトより7gほど軽いので、床下の空いているスペースに鉛板で補重しようと思います。



車体の方はこの後“あおさぎ”色に塗り替えるためリムーバーで塗装を剥がす予定ですが、ひとまずここで再び下回りを車体に組み付けておきます。この車体、485系なのに181系並に車高が低いため、アングルと床板の間にt0.5プラ板を敷き込んで高さを調整しました。他のモハとクハも同じように嵩上げします。



主抵抗器と水タンクで占拠される2-4位側。



主制御器はじめこまごまとした機器箱が並ぶ1-3位側。トイレタンクはTOMIXのパーツで、ドローバーのネジに干渉する部分を削ってなんとか納めました。



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秋のモハユニット祭り

2022-10-06 23:26:17 | 北陸方面
10月に入り雨がちの天気が続いています。気温も一気に下がって一気に晩秋まで時が進んでしまったかのよう。
で、モハユニット祭りもお開きにしようとしたのですが、なんと新たな仲間が加わってしまったので延長することにしました。

仲間とはTOMIXの489系あさま増結セット(T)。モハ488+モハ489のモーター無しセットですね。某店の委託品として出てきたので、思うところあって急ぎ回収してきました。



ついでに別の店でサハ481初期型も出ていたのでハシゴしてこれも回収。



「思うところ」の原因はこちらです。長いこと処遇にモンモンとしていたいにしえのカツミの485系につなげてみたいと思います。軽く整備して4両編成で運転できりゃいいや・・・って思ってたのに、ニンジンがぶら下がるとやっぱり欲が出ますね。。こんなことならモハ180用にモハ485の床板を流用するんじゃなかった。汗



サハ481は本当はAU13搭載の後期型の方がよく、実際、そのタイプの委託品もちょうど別の店に出ていたのですが、モハ180用のAU12キノコクーラー欲しさにこちらを取りました。AU13はたぶん手持ちのでカバーできるはず。。



あとはコレ(クロ481-2000番代)をまたアルコール燃料の力を借りて窓抜きすれば編成としての素材は完成。ちょうど屋根板も1枚余ってるし♪



さて何ができるのでしょうか。JR化後の改造車両群は疎いのでネット情報頼りですが、金サワのY編成・・・「あおさぎ」と呼ばれた「しらさぎ」用の7連が気に入ったので仕掛り品に加えていきたいと思いまーす。(完成させろw)


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1982年の京福電車(福井)と越美南・北線

2022-08-13 19:37:32 | 北陸方面
先日福井へ行った話を投稿しましたが、今から40年前の1982年に福井から越美北線、南線を乗り継いだ(と思われる)時の写真が見つかりましたのでご紹介しましょう。

例によってネガをしまい込んでいて対比ができないのですが、恐らくこれが初っ端ではないかと思われる写真がこちらです。地平時代の福井駅の4番ホームに北陸本線の雄EF70 4が牽引する列車が停まっています。影の部分を拡大してみたところ機関車次位に青い荷物車、そして裾絞りのある客車が連なっているのが分かりました。どうやら福井に到着したばかりの急行越前のようです。前に紹介した氷見線へ行った時もそうでしたが、時間が有効に使える夜行急行列車は好んで利用していたようです。



福井駅で撮ったと思われる50系客車の部分写真(編成撮れヨ・・・)。福井~金沢間の「ショッピング快速」とあります。のちのTOWNトレインの始祖でしょうか。ちなみにオハフ50 2381は「海峡」用に改造されて2000年代初頭まで活躍した由。



福井ではまず駅周辺をブラついたようで福井城址のお堀の写真なども残っていましたが、この時もまず目指したのは福井鉄道の通称「ヒゲ線」と呼ばれる福井駅前電停だったようです。停まっている車両は非貫通3枚窓なので140形でしょうか。通りには車があふれ今より活気があるように見えます。ヘロヘロのレールがアスファルトの中に消えていく「ザ・終点」感がたまりません。



自社生え抜きの200形!なんでもクラファンで1編成だけ生き残っているそうですね。写真は急行サインを出して現役バリバリの姿です。



この後・・・か前か分かりませんが、駅東側の京福電鉄サイドに移動して電車を撮影しています。ご存じのとおり京福はいろいろあって「えちぜん鉄道」に生まれ変わるわけですが、この頃は古豪に混じって阪神や南海のお下がりが活躍するフツーの地方私鉄でした。写真はバス窓のいわゆる日車標準スタイルのモハ244です。後方には青い旧客が。



上のモハ244とつながっていたモハ1101。阪神ジェットカーの車体を譲り受けて2扉化したもの。前面の配管の取り回しがいかにも阪神って感じですね。



元南海の11001系初期車を譲り受けたモハ3001形(3007+3008)。貫通型前面を2枚窓の非貫通スタイルに改造したものの湘南顔になり切れず小田急顔になっちゃった!



このあとは京福バスなどを撮って永平寺へ向かったようです。この日見た中では最も古そうなモハ271号車。右側が見切れてしまっていますが、実は後位のドアの後ろでハイおしまい!というトンデモ車体を持っていたようです。フィルムプリントではネガに映っていても焼くと切れてしまう場合があるので根気よくネガを探そうと思います。撮影場所は永平寺口あたりか?



恐らく同じ駅で撮ったと思われる車内写真。ニス塗りの内装に青モケットのロングシート2扉で窓は二段のようです。走るといい音が出そうでつり革もチャンチャン網棚に当たりそうです。さて形式は何だったのでしょうか。



反対側のホームに鳥居が見えるのでこれは終点永平寺駅でのスナップ。284号の車番が読めます。これが上の写真の電車かと思ったらどうも違うようです。なぜなら・・・



同じモハ284号の走行写真がありました。これまで見た中ではゲテっぽくない都会的な3ドア車でした。元は東急の3300形と聞いて納得。



今はなき永平寺駅です。



永平寺も参拝しました。この後も数回訪れていますが京都の寺院とは違った荘厳さを感じます。




この後はどこをどう通ったのか分かりませんが越美北線に乗って九頭竜湖駅へ向かったようです。駅舎は簡素なブロック積み。2台並ぶ国鉄バスは奥が大野三番行で手前が美濃白鳥行。ローカル線の終点にしては賑やかな光景です。バスは大野自動車営業所の331形いすゞBA05N。中型バスが普及するまで狭あい区間を持つ営業所でよくみられたナローボディの「最も小さい大型バス」です。



乗ってきたであろうキハ52+キハ23を駅裏から撮ったもの。首都圏色にブタ鼻ライトといういで立ちではあるけれど、まだまだ国鉄を感じられた時代でした。



ここからは先の写真に写っていた国鉄バス大野線で美濃白鳥へ向かったようです。ロックフィル式の九頭竜ダムの写真などが出てきてもいいはずですが見つからず、一気に美濃白鳥駅の写真であります。ご承知のとおり結局「越美線」計画は実現せず南北に分かれたまま。さらに越美南線は長良川鉄道の路線となって現在に至るわけですがしかしこの駅舎、ストリートビューで近影を確認したらほとんど変わっていないのに驚きました。



美濃白鳥では市街地をブラついていました。最初この写真の造り酒屋は最初郡上八幡かなと思ったのですが、途中下車するのも不自然(最後に急行おくみのに乗っている)なので、看板の文字を拡大したりして調べたところ「大日泉」と読め、これを製造する「布屋 原酒造場」という酒蔵であることが分かりました。恐らく北濃へ向かう列車かバスの発車まで時間を潰していたようです。それにしても長良川源流の大日岳にちなんだと思われる大日泉って気になりますね。呑みたい!



というわけで日もだいぶ傾いた頃にやっと越美南線の終点・北濃駅にたどり着きました。趣のあるこの駅舎も変わらず残っているようです。



ホームにはキハ58+キハ28の「急行おくみの」がカラカラとアイドリング音を鳴らして停車しています。もちろん妄想です。ちなみにこの頃はすでに美濃太田以遠は普通列車だったらしく、「おくみの崩れ」が正解のようです。



少し引いて撮ったカットではうら寂しい山奥の終着駅の感じが伝わってきます。キハ58、似合いすぎやろ。笑



ホーム上から。号車札が8号車と9号車になっています。美濃太田で「のりくら」に併結して長編成となって名古屋へ向かいます。しかしこちらの編成表をみると1号車側に連結されていてちょっとオドロキです。普通列車ということで種別サボは裏返っていますが「おくみの」は表示されたままです。これも不思議。



しかし、3枚前の写真をよくよく眺めてみるとナンダコレハ!!??愛称サボを抜いてるヤツ発見www。40年の時を経ていかがわしい行為が明るみに出ました。昔も今も行動は変わらんなあ、、頼むぜ鉄オタ。。笑



ということで1982年の写真で福井から越美南線までをたどってみましたがいかがだったでしょうか。

この記事を書くに当たっていろいろ調べて気づいたのですが、1982年(S57年)11月15日ダイヤ改正で「越前」も「おくみの」も消えていました。この夜行半泊の弾丸旅行は、その最後の姿を見届けるために決行したのかも知れません。

インターネットなど無かった時代に、今よりはるかに情報ツウで行動派だった自分がいたという事実はちょっと考えさせられるものがあります。模型作ってるだけじゃ進歩ねーぞ、と言い聞かせました。なんか昔の写真を出すたびに同じこと言ってるかも・・・。



コメント (4)
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福井・金沢短信

2022-08-11 15:07:32 | 北陸方面
※金沢編を書く前に誤って投稿してしまったので再投稿します。


昨日、仕事の関係で福井を訪れました。駅舎や駅前広場周辺が再整備されてから恐らく初めての下車。まだ工事中の部分も多いですが近代的な駅に変身していました。列車待ちの時間に周辺をぶらついてみましたので少しだけご紹介します。

福井といえば恐竜。駅舎の壁に大きなイラストが描かれています。



駅前にも大きなオブジェが。ガオーと声が出て首も動きます。



今回特に見たかったのが福井鉄道の駅前広場乗り入れの状況です。延伸されたのが平成28年(2016年)とのことですからすでに6年経っていますが、沿道の市街地がまだ工事真っ最中なのも相まって何となく真新しいイメージ。元名鉄の770形が越前武生へ向けて発車していきます。



バスターミナルと電車ホームは同じ平面で連続しています。



以前はいま電車がいるあたりが終点でした。左奥の西武デパートは変わりませんが、その反対側一帯は駅前からすべて再開発のために取り壊されていました。北陸新幹線の延伸開業を2年後に控え、まだまだ変貌を続ける福井駅前です。



こちらも元名鉄の880形。770形もそうですが、独特のウイング型のオーナメントがラッピングで覆われてしまっているのがちょいと残念。



福井に来たからには高架化されたえちぜん鉄道の方も見るべきですが、時間の関係と、なにせ猛暑で移動マインドがだだ下がりだったために今回は諦めました。年内にまた来る機会がありそうなので。


さて、今回は先日の豪雨で北陸線の武生~敦賀間が不通となっているため北陸新幹線経由で現地入りしました。金沢から福井までは「ダイナスター」という臨時特急がリレー運行していたので利用したのですが初めて聞く名前でした。

なんでも「サンダーバード」や「しらさぎ」が走らない早朝・深夜に金沢~福井間で運行されている定期列車だそうで、今回の災害にともなって昼間に臨時列車が大増発されたかたち。したがってスジ自体は「サンダーバード」や「しらさぎ」のものにだいたい沿っているようです。



行きは金沢から9:02発のダイナスター72号を利用。サンダーバード14号のスジのようです。そして帰りは福井発15:40のダイナスター83号を利用。こちらはサンダーバード25号のスジのようです。



ダイナスター83号の車両は683系8000番代でした。元々は北越急行向けに投入された車両とのこと。先頭グリーン車1両を含む6両編成で普通車はすべて自由席となっていました。夏休みとはいえ平日なので乗車率は2割程度でした。



ちなみに自分的には初見のダイナスター号は“Dinostar”とつづります。Dinaじゃないんだ?と思ったら、ダイナソー(dinosaur=恐竜)とスター(Star)の合成語である、とJR西日本が説明していました。なるほど。



金沢まで戻り、東京行「かがやき」までの待ち時間を使ってまたまた駅周辺をぶらつきます。
金沢は少し前にも降りているので最近の様子は知っていたのですが、この駅前に建つ「鼓門」をまじまじと眺めたのは初めて。大きさといいデザインといいインパクト半端ないです。



あと見ておきたいのが北陸鉄道浅野川線の電車。運よく出会えたのは2編成でしたが、新旧移行期にある代表的な2形式に出会うことができました。
こちら、元東京メトロ日比谷線で活躍した03系で、帯色をオレンジに変えてすっかり北鉄電車になり切っていました。



もう1編成は元京王3000系の8000系。手前の番号をみると8811号車となっていて、これは3000系の第一編成の先頭車として登場したクハ3701号車の現在の姿ということになります。オリジナルの「お面」の色はブルーグリーンがオレンジに変更されていますが、裾絞りのない狭幅車体に片開きドアをもつ貴重な生き残りといえます。最近もう1編成がアイボリーの復活塗装になったとのことですが出会えず。



さて、時間もいい時間になったし相変わらず蒸し暑いし・・・ということで和風建築の建物に避難。鴨の治部煮=熱燗かと思いましたが真夏でも実においしくいただくことができました。



北陸線は本日から復旧したようですが各地ではまだ豪雨の爪痕が残っていますし、東北・北海道では依然として不安定な天気が続いています。謹んでお見舞い申し上げるとともに、これ以上の被害が広がらないことを祈るばかりです。


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