80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

ロクヨン到着

2011-11-28 02:13:14 | 中央東線方面
こんばんは。

某模型店の通販で予約しておいたアクラスのEF64 0番代が到着しました。
待ちに待ったロクヨン♪ さっそくパーツを取り付けていきましょう。



箱を開けると透明プラスチックの緩衝材の中にこんな感じでパッケージされています。トラムウェイの客車もそうでしたが、もはや発泡スチロールは使われなくなってしまったのでしょうか??



ロクヨンの特徴である大きなエアフィルターはじめ各部のディティールはよく出来ており、このように“ス”のままでも十分見ごたえがあります。



ユーザー取り付けパーツは、説明書にしたがってまずスノープラウからつけていきます。長いステーを車体の穴に差し込むだけですが、ピンセットでつまんでやらないとうまく入りませんでした。



スノープラウはもう一ヶ所、スカートから出ているステーの突起に穴を差し込んで固定します。このままでも抜け落ちることはなさそうですが、念のためプラ用接着剤を流しておきました。



ステップもスカートの裏側の突起に差し込んで固定します。これもピンセットを併用しないと難しい位置にあります。



電暖のジャンパ(左端)とエアホースをスカートの穴に差し込みますが、エアホースの方はどうみても穴が小さいように思えたので、φ0.8ドリルで広げてから少量のGPクリアをつけて差し込み固定しました。開放テコもユーザー取り付けです。



出荷時の車体にはヘッドマーク座つきの貫通扉がついているのですが、ウチではそのような編成にする予定はないので、付属のヘッドマーク座なしのパーツに交換します。塗装を傷つけないように注意しながら扉のすき間にドライバーを差し込めばすぐに外れます。



交換パーツは製造銘板とともに和紙のような紙に包まれて入っています。このスタイル、どこかで見たことないですか? そう、トラムウェイのオハ35を買ったらやはりドアパーツがこんな感じで梱包されていました。おそらく製造元が同じなのでしょう。



交換する場合はオリジナルの貫通扉から窓ガラスを外して移植する必要があります。ドライバーを差し込んで持ち上げればすぐに外れます。



これを交換先の貫通扉の裏からパチンとはめ込めばオーケーなのですが、結構きつくてこんな感じに貫通扉が反ってしまいました。窓ガラスパーツの隅をカッターで少しだけナメてやるといいようです。



貫通扉を交換し終わった前面です。インレタも入れてみました。5次車のトップナンバーである37号機にしました。実車は現在ぶどう色の「茶ガマ」になっています。


製造は汽車+東洋です。



ドレスアップの終わったロクヨン。。いいなぁ。。。



屋根上のディティールも見ごたえ十分です。



まだ試運転してませんが、この調子なら走行性能も十分期待できそうです♪


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181系「あずさ」を仕立てる1(運転室屋根の整形)

2011-11-26 20:47:49 | 中央東線方面
こんばんは。
東京地方、きょうもよく晴れました。朝晩の冷え込みが一段と厳しくなってきましたね。

さて、わが家の181系あずさについては、だいぶ前にラインナップだけ紹介したままでした。中古で購入したカツミの旧製品4両からスタートしてTOMIXのプラ485系の改造車を継ぎ足し、現在8連に成長しているものですが、未完成車あり、タッチアップが必要なクルマありといった状態で、まだ編成として走らせることができない状態です。
そうこうしてるうちに、予約していたアクラスのEF64 0番代が入荷したとの知らせが来てしまったので、1970年代の盟友、181系「あずさ」も仕立て直すことにしました。

まずはカツミの4連のうち、クハ181の運転室屋根の整形から始めます。クハは2両あって、松本向きにしようとしているスカートの長いクルマ(まだ番号を決めていないのでこれを便宜上「A車」とします)と、新宿向きのスカートの短いクルマ(同様「B車」)があります。前オーナーはこれらを「あずさ」と共通運用だった「とき」に改造していたので、すでに運転室屋根上にあった補助ヘッドライトとウインカーランプは撤去されていました(ご存知の方も多いと思いますが、中央東線の建築限界が小さいため)。ひととおり補修はしてあるのですが、埋め跡や塗りムラがみられたので、まずこれを中心に、お顔の部分もあわせて補修していくことにしました。

これがA車の屋根上です。ヘッドライトとウィンカーランプを撤去した跡が残っています。シルバーの塗りムラもみられます。



同じクルマの前面。赤帯のフチがにじんでいるのと色合いも明るすぎるので、マスキングして入れなおします。特急マークの位置が高すぎるのも気になりますが、うまく外せるものなのかわからないのでペンディング。



こちらは「B車」の屋根です。A車よりはましですが、それでも埋め跡が目立つので整形してやります。



B車の前面。やはり赤帯を“締め直す”ことでキリッとした風貌が期待できます。



作業性を考え、車体と床板を分離してみました。これはB車です。室内灯は懐かしの蛍光管もどきの白熱電球。整流器はダイオードになっていましたが、オリジナルかどうかは不明。取付け座のようなものは見当たらないので、さすがにセレンの時代のものではなさそうです。



裏側から運転室の天井をのぞくと、案の定、ヘッドライトを取りはずしたあとはプラ板で生めてありました。



まずは細かめの金属ヤスリと耐水ペーパーで天井全体を研いでしまいます。穴埋めのプラ板がはっきりと露出しました。



エポキシパテのような気の利いたものはないので(笑)、タミヤパテを塗りこんで乾燥させます。さらにサフェをかけて何度か研げば何とかなりそうです。



こちらはA車。ヘッドライトの穴埋めはリカバーできそうですが、塗装を剥いでみると、よほど粗いヤスリで削ったのか屋根全体に細かいキズが無数についていることがわかりました。



サフェでは埋めきれそうもないので、屋根全体にタミヤパテを塗りこめてしまいました。これで研ぎ出せば何とかなるでしょう。



A車の方はボンネット上などにかすりキズのようなものもあるので、クリーム色のタッチアップもしたいところですが、へたにやってまだらになっても困るので、どこまで塗り直すかが思案どころです。


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アルプスふたたび

2011-11-21 10:13:29 | 中央東線方面
こんにちは。
投稿ペースが明らかにダウンしているisaoでございます・・・
ブログなんだから1行でも「日記」を書きゃいいんだよ、と自分に言いきかせるのですが、これがなかなか実行できません。
とりあえず、むかしのパソ通流に言う「生存確認」を。。(笑)

背景画のテンプレートを変更し、再び冬Ver.の「アルプス」に戻って参りました。これを見ると165系を引っぱり出したくなります。
ウチから見える富士山は先々週末くらいから冠雪していて、晩秋そしていよいよ冬到来。多摩エリアの平地では紅葉が見ごろになりました。

いよいよ、といえばアクラスのEF64 0番代がいよいよ11月末発売の見込みということで、某模型店の通販に予約を入れました。クリスマス前には国鉄色の電暖タイプが入線してくる見込み。

合わせる客車はあとマニ60とスハフ42、それに35系をもう1、2両足さないといけませんね。マニはペーパーキット状態まで組んだものがあるのでそれをフィニッシュ。スハフはちょうどKATOから42系が再生産されるので、それを入れるかどうか。なにかと出費が多い年末のこと、おつきあい1件=スハフ1両という葛藤の連続は今年も続くのか。。結局おつきあいを取って、後でドーンと落ち込むパターンが多いわけですが・・・(笑)

土日稼働したので今日は休み。
さて、鉄道雑誌でも買ってくるか・・・


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1976年の岳南鉄道

2011-11-10 23:44:04 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。
またまた音信が途絶えてしまいました・・・(汗)

全然模型をいじっていないばかりか、鉄分補給もままなりません。

次の4枚は、先々週に「0系のある公園」へ行った帰りに撮った、岳南鉄道の写真です。この日はとても天気が良くて、冠雪はないものの富士山がくっきりと見えていました。
しかし、車のナビ画面を頼りに手探りで探した撮影ポイントばかりで、イマイチすっきりした写真が撮れなかったのが残念。昔と違って線路脇に家が建て込んじゃって、なかなか開けた場所がないんですね。昼間に走る車両はどれも井の頭線の3000系を両運化した7000形ばかりでした。


(神谷~岳南江尾間の踏切にて)



(上の写真より岳南江尾寄りの路地から)



(岳南富士岡~須津間を行く吉原行き)



(終点・岳南江尾で顔を揃える7000形)


最近のローカル鉄道は、JR、私鉄ともにダイヤが極限までスリム化されてしまい、終点でさえ撮影時間が5分くらいしかないケースも珍しくありません。上の写真も右の電車はまるで都会の地下鉄のようにそそくさと引き返して行きました・・・

そういえば、大昔にここへ来たときは、こんなに家は建ってなかったよな~
などと思いつつ、古いアルバムをゴソゴソ探したら出てきました。
私の写真にしては珍しくちゃんと撮影年月日が記されていて、1976年(昭和51年)10月1日と明記してあります。高校の友人と訪ねた時の写真でした。
この時は東海道線を東田子の浦で降り、田んぼのあぜ道みたいなところをテクテク歩いて岳南江尾駅へ向かったのです。


で、やっとたどり着いたのはいいのですが、何か雰囲気がおかしいのに気づきました。いくらローカル私鉄とはいえ、当時はまだ貨物も人も今よりは運んでいた時代。なのに駅は閑散としていて、先ほどの7000形が止まっていた位置には、はいこのとおり、ベニヤで目隠しされたED32 1電機と2両の電車がポツンと留置されていたのです。



上の写真の反対側。止まっている電車は2103(手前)と2105(中間)という元小田急の車両で、背後はごらんのように一面田んぼが広がっています。



画質の粗い写真でなぜ車番がわかるかというと、アルバムの裏表紙にこんなイラストが残してあったからなのです。岳南江尾駅は、駅構内の配線はほぼ今と変わりませんが、右手に伸びる三島化工への専用線がまだ活きていた様子がわかります。神谷駅は昔から1面1線の無人駅。ホームにはベンチの代わりにバスのシートが置いてあった、とメモされています。須津(すど)駅はだいぶ変わったようで、今ではこの図の下側に描かれた側線群はなくなり、家が建っているようです。よくこれだけメモしたものだと我ながら感心してしまいます。



さて、待てど暮らせど電車は来ず、線路は赤錆び信号もついていない・・・
これはまさかの廃線かぁ?
インターネットなど夢のまた夢だった当時、リアルタイムの情報などあるはずもなく、キツネにつままれた気持ちで、とりあえず線路を歩き始めました。


その過程で描いたのが上の配線図というわけなのですが、なぜ須津までの3駅分しかないかというと、須津から次の岳南富士岡へ向かう途中で我々は、思わず息を呑む光景に出会うことになるのです。そこには折れて沈み込んだ鉄橋が・・・



なんと集中豪雨の影響で橋脚が流され、こんな状態になってしまったのです。これでは電車が来るはずもありません。



この被害をもたらした集中豪雨が何だったのか調べてみました。すると1976年9月8日から14日にかけて日本全土を襲った台風17号であることがわかりました。
死者161名、全壊家屋1,669棟など、すさまじい台風だったようです。その約半月後、何も知らない高校生「鉄」二人は、のん気にこのミニ私鉄訪問を実行に移したのでした。


この流失しかけた鉄橋を恐る恐る渡り(写真もあるのですが割愛・・・)、やっとたどり着いた岳南富士岡駅には「動く」電車が待っていました。左が日車標準車体をもつ1100形で、右は元小田急の1600形のようです。



実は、この先どうしたのか全く記憶がありません。写真もこの岳南富士岡駅を最後に撮っていないようなのです。まあ、電車が走る線路をそのまま歩き続けたとは考えられないので、このまま電車に乗って吉原へ出たのだと思いますが、車窓に見えていたであろう工場群の景色も、ツリカケの音色も全く覚えていないとは、よほど崩壊鉄橋の印象が強かったのでしょう。


岳南富士岡~須津間にかかるこの鉄橋は、今では何事もなかったように復旧していますが、せっかく費用投じて復旧させた鉄路もJR貨物の撤退通告で、いよいよ土俵際に追い込まれてしまったようです。どうか少しでも長く富士のすそ野を走り続けて欲しいものです。


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地元じゃ知られた?ミニSL公園

2011-11-02 01:40:58 | その他
こんばんは。

前回予告した公園のお話です。
あの寡黙な0系の居た富士市の新通町公園ですね。
園内にはコンクリート道床の立派なライブ用レールが敷かれてたんです。
ゲージは目で測った感じでは5インチじゃないかと思います。

で、最初に目に入ったのがこのターンテーブル。ちゃんとグルグル回りそうだし、何よりこのシャッターの向こうには、どんな車両が隠されてるのか興味津々ですなぁ。



レールは公園の外周に沿ってエンドレス状に敷かれ、ターンテーブルの近くにはこんな鉄橋もあります。「天の川鉄橋」だそうですよ。洒落たネーミングですね。



線路はベンチの背をぎりぎりかすめて続き、カーブのところにはこんな中継信号機が。



カーブを曲がると「新通町公園駅」です。そしてここから右手の広場の外周に、もう一つのエンドレスが分岐しています。全体が8の字形になってるんですね。



「新通町公園駅」には立派な腕木式信号機と時計があります。



この時計はよく見ると「JNR」の文字が入っています。寄贈を受けたのでしょうか?



広場へ向けて伸びる線路。ぜひ運行シーンを見てみたい、というか乗ってみたいものです。



あと、0系の近くには台車と密連も展示されています。
台車はDT12のようですが、解説板が一切ないため、0系の台車と勘違いしている方もいるようです(そう書いてるブログもあった・・・)。富士電車区から越し入れたものでしょうか??



そしてこちらが一対の密着連結器。Satokawaさんの話では天地逆さまだそうです。んー確かに・・・。現地では全然気がつきませんでした(汗)これも富士電車区貯蔵品?



あとこんなものもありました。
伊東駅構内に眠っていた37kgレールをぶった切ってオルゴールにしたそうです。ちゃんと木槌もついていたので鳴らしてみましたが、音色はイマイチかな?(笑)



ミニSLの運転は地元周辺のボランティアによって不定期に開催されているようです。機会があったらぜひ乗せてもらいたいですね!


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