おはようございます。
10月を前に、なんだか急に秋が近づいてきたようです。今朝もピリッとした空気が張り詰めています。が、昼間はかなり暑くなるらしいですが・・・
さて、ウチの親父さんが元国鉄マンだったことはこのブログでも何度か書きましたが、ゆうべ実家へ立ち寄って“家捜し”したところ、また貴重なアイテムを発見したので持ち帰ってきました。
「国鉄首都圏ニュース」というB6版横綴じの冊子で、1972年(昭和47年)のVol.5とVol.6の2冊です。当時首都圏一体を管轄する組織として存在した「首都圏本部」が発行していた広報誌らしく、駅で一般に配布されていたようです。
上野駅のイラストが描かれたVol.5は'72年6月発行の12ページもので、表紙をめくると「コンニチワ首都圏」というページで活気溢れる汐留貨物駅のようすが数字入りでリポートされていて、「首都圏の胃袋文化はここで支えられているわけですね!」とコメントされています。同駅はこの後およそ15年間活動したのち閉鎖され、大規模なオフィス街に生まれ変わりました。
そしてこの号のメインの話題は、同年7月に開始される総武快速線の東京地下駅乗り入れで、「東京~津田沼間30分」「国鉄初の『地下駅』誕生」などの見出しが躍っています。さきごろ引退したスカ色113系が最も輝いていた頃のことですね。
さらに裏表紙にはこんな写真が!
実用化されずに幻の車両で終わったキハ391系ガスタービン気動車が川越線で試験運転している様子です。この写真はたまに目にするものですが、短い中間車体を挟んだ独特の3連節車体が、建物のまったく見えないローカル色満点の荒川橋梁を渡っていきます。川越線は利用しないのでわかりませんが、このあたりの風景も今では大きく変わっているのではないでしょうか。
一方、真っ赤なバックに凛とした駅長帽ひとつだけが置かれたVol.6は「鉄道開通百年記念号」となっていて、同年10月に国鉄が100歳を迎えたのを機に発行されたもののようです(肝心の発行年月の記載がない!)。堂々の36ページ+折込年表つきの豪華版で、コンテンツをみるとご覧のように、これ1冊で鉄道の歴史がすべてわかるといってもいいような力のこもった内容になっています。
1870年から1970年までのトピックをイラストで描いた折込年表。主に首都圏の出来事を中心に描かれていますが、鉄道100年の歩みがよくわかります。ちなみに年表の最後は「昭47.9.23 新幹線乗客5億人を突破」となっています。
当時の記憶はまったくありませんが、同年10月14日の鉄道記念日はさぞお祝いムード満開だったことでしょう。
さて、こちらは昭和47年6月発行の「東京付近各駅間所要時間及び乗降客数」と題された路線図。「首都圏ニュース」とは別に発掘したものですが、サイズや発行年月からみてVol.5の付録ではないかと思われます。当時の路線や運行がどうなっていたか興味ありますね。
埼京線はまだありません。池袋~赤羽間は「赤羽線」で、黄色い101系が折り返し運転していました。ちなみに駅名の脇にある数字は昭和46年度の1日平均乗降客数で千人単位、駅間の数字は平均所要時間で3.10は3分10秒と読むそうです。
武蔵野線もまだなし。国分寺~東京競馬場前間は下河原線です。クモハ40の写真撮っときゃよかったなあ・・・
国鉄線のほか営団地下鉄線も描かれています。その割になんかスカスカだなあと思ったら国鉄との相互乗り入れ路線だけ描かれているのでした。常磐線と直通運転を始めた千代田線はまだ霞ヶ関までしか出来ていません。この年の10月には代々木公園まで延伸されていますが、代々木上原で小田急と相互乗り入れを始めたのは、さらに5年後の昭和53年でした。
京浜東北・根岸線は洋光台止まり。翌昭和48年に大船までつながりました。
初めて買ってもらったカツミのクモハ103スカイブルーの行先表示窓に、時刻表から切り抜いた「洋光台」の文字を貼っていたのが懐かしいおもひで。。
磯子まで来ている茶色い線は横浜線。南武線、青梅線、五日市線と並んで73系の天下でしたね。
最後におもしろいものを1枚。「1973.4.1武蔵野線開業記念」と題された横長のもので、記念乗車券ではなく、チラシというか“しおり”といった感じのものです。発行は北局と西局の連名になっています。「全国で二番目に長い荒川橋りょう(1,293メートル)」と題して101系が荒川橋りょうを渡る写真と路線図がのっていて、裏面は路線、駅設備、貨物の輸送力などの概要が書いてあります。「CTC(列車集中制御装置)、・・・、自動改札装置、乗越し精算用券売機、定期券発行機など近代的設備をたくさん採り入れました」と、財政事情が苦しかった国鉄として精一杯努力した成果が謳われているのが興味深いところです。
いかがでしたか? 昭和50年代へ向けて延伸や新規開業が続き、首都圏の鉄道ネットワークは大きく様変わりしていくその前夜の様子が垣間見られたのではないでしょうか。国鉄改革はささやかれていたものの民営化などまだ思いもよらなかった(少なくとも少年鉄ちゃんには)時代のことでした。
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10月を前に、なんだか急に秋が近づいてきたようです。今朝もピリッとした空気が張り詰めています。が、昼間はかなり暑くなるらしいですが・・・
さて、ウチの親父さんが元国鉄マンだったことはこのブログでも何度か書きましたが、ゆうべ実家へ立ち寄って“家捜し”したところ、また貴重なアイテムを発見したので持ち帰ってきました。
「国鉄首都圏ニュース」というB6版横綴じの冊子で、1972年(昭和47年)のVol.5とVol.6の2冊です。当時首都圏一体を管轄する組織として存在した「首都圏本部」が発行していた広報誌らしく、駅で一般に配布されていたようです。
上野駅のイラストが描かれたVol.5は'72年6月発行の12ページもので、表紙をめくると「コンニチワ首都圏」というページで活気溢れる汐留貨物駅のようすが数字入りでリポートされていて、「首都圏の胃袋文化はここで支えられているわけですね!」とコメントされています。同駅はこの後およそ15年間活動したのち閉鎖され、大規模なオフィス街に生まれ変わりました。
そしてこの号のメインの話題は、同年7月に開始される総武快速線の東京地下駅乗り入れで、「東京~津田沼間30分」「国鉄初の『地下駅』誕生」などの見出しが躍っています。さきごろ引退したスカ色113系が最も輝いていた頃のことですね。
さらに裏表紙にはこんな写真が!
実用化されずに幻の車両で終わったキハ391系ガスタービン気動車が川越線で試験運転している様子です。この写真はたまに目にするものですが、短い中間車体を挟んだ独特の3連節車体が、建物のまったく見えないローカル色満点の荒川橋梁を渡っていきます。川越線は利用しないのでわかりませんが、このあたりの風景も今では大きく変わっているのではないでしょうか。
一方、真っ赤なバックに凛とした駅長帽ひとつだけが置かれたVol.6は「鉄道開通百年記念号」となっていて、同年10月に国鉄が100歳を迎えたのを機に発行されたもののようです(肝心の発行年月の記載がない!)。堂々の36ページ+折込年表つきの豪華版で、コンテンツをみるとご覧のように、これ1冊で鉄道の歴史がすべてわかるといってもいいような力のこもった内容になっています。
1870年から1970年までのトピックをイラストで描いた折込年表。主に首都圏の出来事を中心に描かれていますが、鉄道100年の歩みがよくわかります。ちなみに年表の最後は「昭47.9.23 新幹線乗客5億人を突破」となっています。
当時の記憶はまったくありませんが、同年10月14日の鉄道記念日はさぞお祝いムード満開だったことでしょう。
さて、こちらは昭和47年6月発行の「東京付近各駅間所要時間及び乗降客数」と題された路線図。「首都圏ニュース」とは別に発掘したものですが、サイズや発行年月からみてVol.5の付録ではないかと思われます。当時の路線や運行がどうなっていたか興味ありますね。
埼京線はまだありません。池袋~赤羽間は「赤羽線」で、黄色い101系が折り返し運転していました。ちなみに駅名の脇にある数字は昭和46年度の1日平均乗降客数で千人単位、駅間の数字は平均所要時間で3.10は3分10秒と読むそうです。
武蔵野線もまだなし。国分寺~東京競馬場前間は下河原線です。クモハ40の写真撮っときゃよかったなあ・・・
国鉄線のほか営団地下鉄線も描かれています。その割になんかスカスカだなあと思ったら国鉄との相互乗り入れ路線だけ描かれているのでした。常磐線と直通運転を始めた千代田線はまだ霞ヶ関までしか出来ていません。この年の10月には代々木公園まで延伸されていますが、代々木上原で小田急と相互乗り入れを始めたのは、さらに5年後の昭和53年でした。
京浜東北・根岸線は洋光台止まり。翌昭和48年に大船までつながりました。
初めて買ってもらったカツミのクモハ103スカイブルーの行先表示窓に、時刻表から切り抜いた「洋光台」の文字を貼っていたのが懐かしいおもひで。。
磯子まで来ている茶色い線は横浜線。南武線、青梅線、五日市線と並んで73系の天下でしたね。
最後におもしろいものを1枚。「1973.4.1武蔵野線開業記念」と題された横長のもので、記念乗車券ではなく、チラシというか“しおり”といった感じのものです。発行は北局と西局の連名になっています。「全国で二番目に長い荒川橋りょう(1,293メートル)」と題して101系が荒川橋りょうを渡る写真と路線図がのっていて、裏面は路線、駅設備、貨物の輸送力などの概要が書いてあります。「CTC(列車集中制御装置)、・・・、自動改札装置、乗越し精算用券売機、定期券発行機など近代的設備をたくさん採り入れました」と、財政事情が苦しかった国鉄として精一杯努力した成果が謳われているのが興味深いところです。
いかがでしたか? 昭和50年代へ向けて延伸や新規開業が続き、首都圏の鉄道ネットワークは大きく様変わりしていくその前夜の様子が垣間見られたのではないでしょうか。国鉄改革はささやかれていたものの民営化などまだ思いもよらなかった(少なくとも少年鉄ちゃんには)時代のことでした。
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