80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

急行「比叡」用クハ165

2024-05-03 23:46:22 | 関西方面
お座敷運転会に間に合わせようと213系5000番代を再開したわけですが、直前の泥縄式でちゃんとしたものができるはずもなく、マスキングを剥がしたら窓のフチの表現用に貼ったタックシールがペロペロ剥がれてきてテンションがダダ下がりになったので仕上げは諦めました。



シルバーの上にマスキングテープを貼るのがためらわれたので、帯色→シルバーの順で塗ろうとしたのがアダになりました。タックシールの上にマスキングテープを貼らなくて済むような塗装順を考えるべきでしょう。反省・・・



ということで、急きょ、以前ちょっと触れた153系急行「比叡」用のクハ165を仕上げて運転会に持ち込むことにしました。新快速用の153系セットを譲っていただく代わりにクハ153の低運1両をお譲りするというトレードが明日、実現する予定なので、クハ153の後釜に充当するクハ165を仕上げて「比叡」の試運転も同時にやってしまおうという魂胆です。


予定ではホビセンで手に入れたクハ165の半端ボディ(左)を使って仕立てるつもりでしたが、塗装しているヒマもなくなってしまったので、余っているクモハ165のボディ(右)を使うことにしました。ジャンパ栓用の穴があるので奇数向きクハにするには好都合です。



妻面にモーター冷却用の空気取入口がありますが、とりあえずこれは無視して「なんちゃってクハ」にします。後日、気が向いたら削除するとうことで(たぶんしないw)。



分解してあったヘッドライトケースや幌座を戻し、手すりやワイパーなどを取り付けて前面は完成。屋根板は冷房準備車仕様に改造途中(左)なので、ひと足先に仕上がっていた「快速みすず」向けのクハ169用(右)をとりあえず流用しておきます。クハもクモハも互換性がある設計なので助かります。。



台車は古いカツミの金属台車で転がりが良くなかったので、こちらも「みすず」から拝借。カプラーは前位がKATO、後位はTNカプラーです。



車体をはめようとしたら、案の定、浮いてしまって入らなかったので、床板を延長したときの添え板が当たる部分の室内床をカット。しかし後で判明するのですが原因はそこではなく、ライトユニットの一部が床板のへりに当たっていたので、そこを削って事なきを得ました。



ということで、いろいろ借り物だらけの「なんちゃってクハ」ですが、TOMIXの153系と連結しても違和感ない程度には仕上がったので、明日はサロ・サハシ入りの10連運転を楽しみたいと思います。



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153系まさかの増殖

2024-03-10 02:13:14 | 関西方面
お座敷運転会から1週間が経ちました。この間、鹿児島と広島に出張があったのですが、「鉄」する時間もなくトンボ帰りだったので収穫なしです。227系「Red Wing」の投入で国鉄形はほぼ駆逐されてしまった?広島はともかく、鹿児島の気動車事情はちょっと見ておきたかったなぁというのが本音。

さて、そんなわけで恒例の年度末スケジュールに忙殺されて模型工作が進みませんので、前々回の153系ブルーライナーの後日譚として153系が増殖を遂げてしまった話を書いておこうと思います。

「急行内房」(7連)になっているTOMIXの153系を塗り替えて新快速「ブルーライナー」を作るぞ!という投稿をUPしたところ、模型のお友達からほぼ未使用品の「ブルーライナー」6両を有償で譲っていただけることになりました。代わりに当方のクハ153低運1両をお譲りするという条件です。つまり、湘南色の153系(サロ163/165入り)は6両が手元に残ることになりました。片側の先頭車として組み込む予定だったクハ165も改造の必要がなくなったというわけです。

そこで色々考えた挙句、「153系はこれ以上増やさない」と言った舌の根も乾かないうちにモハユニット(M付)をぽちでぽちってしまいました。



169系「信州・志賀」を断念して余ることになったサハシ169(=サハシ153)を組み込み、1972(昭和47)年3月15日のダイヤ改正・山陽新幹線岡山開業直前をイメージした10連時代最末期の「急行比叡」に仕立てることにしたものです。KATOのサハシ165をベースにかなり大掛かりな改造を行った車両なのでこのまま休車にするのは忍びなかったのですが、これで日の目を見ることができます。



ところが、お馴染み交友社の「1971年版車両配置表」(注:各年版とも3月31日現在なので1972年版だと3月15日のダイヤ改正後になってしまうため)で「大ミハ」所属のクハ153を調べてみると、な、なんと26両すべてが500番台すなわち高運転台であることが判明し悲鳴をあげました。手持ちのクハ153は低運なのです。



最悪、転入したブルーライナーのクハ153-500を湘南色に塗り替え、手持ちの低運をブルーライナーに塗り替えて交換する・・・などという苦肉の策も頭をよぎったのですが、いろいろ調べてみると、ダイヤ改正直前の1972年1月にクハ153-38が、同2月に-71が転入してきていることが分かりました。実際に「比叡」として使われたかどうかは不明ですが、タイミング的に齟齬はないので38号車でいくこととし、反対側のクハはブルーライナーになるはずだったクハ165を充当してめでたしめでたし。



そもそも、無理してそんな微妙な端境期を狙わなくても・・・というご指摘はごもっともです。正直、1972年初頭でなくてもいいのですが、手持ちの車両がすべて冷房(改造)車ばかりなので、サハシが入り、かつ、非冷房車が無くても違和感ない時期というとこのあたりかな・・・という程度です。実際、クハ165の冷房準備車あたりはまだ非冷房であった可能性が高いです。そこは許して・・・って感じ。笑


で、サハシの就活が「比叡」に内定した陰で、サロ169という名のサロ165の就職先がまだ決まりません。



車内を覗いてみると天井に導光パネルが・・・。これも譲り受け車なのですが、前オーナーがしっかり手を入れていたようです。



さっそくレールに乗せて点灯!  ・・・しない。。w これでは就活できませんわ。。ヒマをみて分解してみます。


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新快速「ブルーライナー」を仕立てる(1)

2024-02-26 09:39:22 | 関西方面
見たもの乗ったものに感化されやすい管理人のこと、当然?今回の関西出張でもやる気スイッチが入りました。播但線の103系を作・・・りません笑。

タイトルのとおり新快速のルーツである「153系ブルーライナー作ろう!」であります。223系新快速はそれはそれで快適でしたが、やはり思考は昭和レトロ、国鉄に回帰してしまうのであります。

珍しく自前の写真があります。確か中学2年生の修学旅行で京都・奈良を訪れた時に0系新幹線の車窓から撮ったと記憶していたのですが、いかんせん半世紀前(1974(昭和49)年)のことなので自信がありません。後方に写る学校のような建物を頼りに調べたところ、鴨川べりに建つ「崇仁(すうじん)小学校」であることがわかり、京都に着く直前に引上げ線で休んでいるクハ153-500番台をとらえたもので間違いないことがわかりました。ちなみに崇仁小学校を含むこの一帯は、昨年、京都市立芸術大学が移転してきたためこの姿はもう見られないようです。



まあ「作る」といってもTOMIXの153系を塗り替えようという話なので「仕立てる」にしました。一応、中央東線つながりで新宿に顔を出していた「内房」としてドレスアップしてあるのですが、153系は東海道・山陽を走ってこそという思いもあり、ずっと自分の中では「じゃない」感が拭えずにいました。



TOMIXからはブルーライナー塗装の153系も発売されましたが今では市場在庫がほぼ払底。オークションで見かけても途方もない価格になっていますので塗り替えてしまえ!という流れです。一時は編成を伸ばして「東海」やら「比叡」やら「鷲羽」を夢見た時期もあったのですが、中央東線関連以外での増備は原則ナシにしたので、コンパクトな6連で東海道・山陽路を駆け抜ける姿を再現できるいい題材ではないかと。



もうひとつ理由があります。今までブルーライナーはすべて153系とばかり思っていたのですが、少なくない数のクハ165が混じっていたと知ったからです。調べたら1978年の配置表では大ミハに12両確認できました。これはまさに目から鱗でした。先日の“165系お仕立て祭り”で余った車体や床板があるので、これを工面すればクハ165が1両できるぞ・・・という悪魔の囁きを素直に受け入れました。ちなみに前の写真も「もしかして!?」と思ったのですが、台車がTR59でバカでかい水タンクも見えるのでクハ153でした。。



ただ、余っている車体はクモハ165(左)で妻面に電動機の冷却風取入口があるので、ホビセンで手に入れたクハ165のハンパボディ(右)に屋根やら窓ガラスやらを移植してリアル・クハに仕立てていこうと思います。



一方、床板の余りはモハ164用で、床下機器も違えば長さも違います。これも何とかしてクハ165に化かすべく、床下機器はエンドウのパーツにすべて交換することにしました。ただ、市場在庫が無いようなので手持ちのクハ455用から使えそうなものをピックアップし、足りないものはストックパーツから補充しました。ちなみにブルーライナーに充当されたクハ165はすべて1968年製、すなわち冷房準備車として登場し、その後冷房化された“新製冷房車相当”のようなので水タンクがFRP製のセンター置きとなります。



さっそく工事開始。床板はボギーセンター距離の延長とオーバーハング部の延長が必要なため2か所でカットし、ABS板の“添え木”をあてて切り継ぎました。



“首から後ろ”は実車もそうですが共通設計なので車体固定用ツメの位置は一緒ですが、残念ながら“首”の下は合わないので、ツメ(赤丸)の下あたりの窓ガラスパーツの窪みを拡大してツメが収まるようにしました。



床下機器は、クハ165とモハ164では共通するところがまったくないため、バッサバッサと削り取ります。



はいこの通り奇麗さっぱり。硬いものがなくなったので強度が下がってヘナヘナです。



使えそうな機器はサルベージしておきます。



床板の補強を兼ね、床下機器はt0.5真鍮板に組み付けました。



ホワイトメタルのヒューズ箱は3本用だったので、剥ぎ取った6本用の両端をカットして4本用にして取り付けました。



ブレーキ制御装置(左)の脇がガバガバで寂しいので、φ0.6真鍮線の途中にチリコシ(らしきもの)と肘コックを取り付けた配管を1本だけ伸ばしておきました。



台車もストック品の再利用でカツミorエンドウのTR69です。ボルスターの穴を少し拡大しただけで元のセンターピン部分にすっぽり入りました。軸受メタル無しの年代物で転がりがイマイチですが、動力車が2両入るのでパワーで解決してくれるでしょう。集電対策はちょっと考えないといけないかな。。



屋根板はクモハ用なので前部の大型ベンチレーター用の穴をふさいだほか、新製冷房車相当なので後方2か所のベンチレーターの位置も後ろにずらす準備をしました。すなわち、中央のものは前側の取付穴をカットしてベンチレーター半個分後ろに下がるようにし、後部のものは台座をすべてカットしてさらに後ろ寄りに付け替えることになります。



とりあえず主要な改造は終わりました。結局クモハ165の車体は余ってしまいましたが、放っておくとモハ164の床下と組み合わせて「地方線区向けクモハ164だ!」などと笑えないウソ電を作ってしまいそうだったので助かりました。



で、編成ですが、こちらのブログで1970年代終盤の編成を調べておられた方がいらっしゃったのと、こちらのサイトで“そのもの”の個体の写真が確認できたので、「クハ165-165」が草津方につながれた次の編成にしようと思っています。
↑京都・草津
クハ165-165
モハ153-43
モハ152-43
モハ153-2
モハ152-2
クハ153-10
↓姫路・上郡


あと気になっているのは「青22号問題」で、吹田工場独自の「青22号特」と呼ばれる緑が強い塗装が登場当時からなされていたのかどうか。確かに阪和線の113系は独特の青緑色をしていますが、JR化後という記載も見かけたりしてモンモンとしています。最初に載せたカラー写真も経年でほとんど色が変わっちゃってますし。識者の方のご意見をお聞かせください!

コメント (7)
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