おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
私は『心の雨の日の過ごし方』(PHP研究所)で「心の雨の日を過ごすための5つの知恵」の第3の知恵として「よき師(メンター)を持とう」と書いています。
本の中では、王貞治ソフトバンク・ホークスの前監督の讀賣巨人軍時代の師である荒川博氏との師弟関係について書きましたが、同じくらい語り継がれる師弟関係に長嶋茂雄元巨人軍監督と、彼が立教大学時代の監督であった砂押邦信氏(数日前に87歳で逝去)との間の関係があります。
出典は忘れましたが、大学時代に「月明かりの1,000本ノック」などの猛特訓になじんでいた長嶋氏が巨人軍に入ってすぐのキャンプで、練習があまりにラクなので、「こんなんでいいんですか?」と、当時の水原監督に訴えて、叱られた話をどこかで読んだことがあります。
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さて、その長嶋茂雄氏と砂押邦信氏との師弟関係のあるエピソードが7月22日の讀賣新聞の編集手帳に載っていました。
長嶋茂雄選手は、1961年の夏、不調の底にいました。夜の国鉄(今のヤクルト・スワローズの前身)戦までに時間があります。
ユニフォームに着替えた長嶋選手は、立教時代の師、砂押邦信さんの自宅を訪ね、庭でバットを振りました。フォームを点検してもらおうと思ったのです。
ところで、砂押さんは当時、国鉄の監督でした。敵と見方に分かれてまみえる監督のもとに打撃を教わりに行く、いかにも長嶋さんらしい話です。
「さすがに私も気が引けて、ユニフォームを裏返しにさせ、背番号3が見えないようにしました」と、砂押さんは語っていたのだそうです。
*『戦後プロ野球50年』(近藤唯之、新潮社)が原点
<お目休めコーナー> マリー・ルーさん(ペルグリーノ博士の次女)→ペルグリーノ博士→岩井と送られたレーザー使用のアート②
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