おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「体罰の心理的弊害」シリーズの第3回目です。
1~2回目は、心理的な問題でないことを話題にしていましたが、今回からが本番です。
体罰を振るう側に立って、なぜ体罰に頼るようになるかを考えてみます。
要因は、次の3つがあると思われます。
1.指導する側が指導される人たちに体罰を振るっていいと信じていること
2.自分が体罰を受けて指導されてきたため、体罰が指導法として有効だと思い込んでいること
3.勝利への焦り・プレッシャーが原始的な指導法としての体罰を引き出すこと
1.に関しては、仮に桜宮高校のバスケットボールやバレーボールの指導者でも、体育の授業でも、座学でも体罰を振るっていたとは思いません。
おそらく部活の指導となると、体罰を自分自身で容認していたと推測されます。
2.については、あるテレビ放送でこんな話を聞いて驚きました。体育教師になろうとしている人たちにインタビューをしたら、約8割が指導法として体罰の有効性を認めていた、というのです。
自分が体罰を受けて指導されていたので、自分が指導する側に立ったら、疑問を持たずに体罰をしてしまいそうな立場になってしまうのです。
3.に付随して全日本柔道連盟女子柔道の園田元監督の記者会見の時の次の発言が印象に残っています。
「焦って、急ぎすぎて強化しようとした」
長年女子柔道に従事していた園田氏は、ごく最近までは体罰を行っていなかった、という証言もあります。
ロンドン・オリンピックでのメダルのプレッシャーが、多くの指導法の中で最も安易な体罰を選ばせたのかもしれません。
<お目休めコーナー> 2月の草花(2)

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