おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「男と女の心理学」のシリーズ第11回目です。
過去にメルマガでも紹介した実際にあった離婚記者会見のパロディー版です。
このシリーズの1回目から9回目(10回目は本の紹介)をご覧になりたい方は下記をクリックしてお読みください。
1回目
2回目
3回目
4回目
5回目
6回目
7回目
8回目
9回目
ためになりますよ。
2011年8月11日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第23号
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(19)
―「離婚記者会見」
次の「離婚記者会見」は、かつて『人材教育』誌(日本能率協会マネジメントセンター)に連載していた記事のコピーで、一種のパロディーです。
こんなことがある(あった)可能性がありますが、私なりの極めて貧弱な想像力をもとにした創作ですので、あらかじめご了承願います。
・・・・・転載開始・・・・・
離婚記者会見
女優の田岡里見は、芸能記者を前にして記者会見を行っていた。突然の離婚宣言である。
居並ぶ芸能記者にしてみれば、驚き以外の何ものでもなかった。
というのは、田岡里見と夫の井坂章正は芸能界きっての「おしどり夫婦」として知られ、誰一人として離婚の可能性を考える者がいなかった。
それだけに、田岡の口から「愛はありません。愛がないから離婚するんじゃないんですか?」と平然と語られたとき、記者達のショックは大きかった。
会見は、大アップされた近々出版予定の著書の表紙を背景に続けられた。
「結婚したときは、井坂も暇だったので、週に4日も一緒にテニスに行けました。子どもが産まれた頃から井坂も忙しくなって、年末の番組を見ながら、『お父さんに会うのはテレビごしなのね』なんて話すこともありました。そればかりではありません。宅急便でとても食べきれないほどの柿が届くことがありました。食べてもいないのに『この度はとてもおいしい柿を』なんて書くのが空々しい感じがしていました。でも、離婚を決意した今、本当に自由を感じます。これからが私の人生なのです」
離婚の原因を尋ねられた田岡は、やはり俳優で、同時に「ネットワーク販売の帝王」と言われる父親の母親に対する家庭内暴力を見て育ったトラウマ(心的外傷体験)が、癒しがたい心の傷として残っていることを力説して、こんな表現を用いていた。
「現実に井坂が私に暴力をふるったことはありませんでした。しかし、井坂が手紙のような軽いものをポンとテーブルの上に置いたとします。それだけで私は怖かったんです」
記者会見の最後には、所属プロダクションのマネジャーが田岡の芸能界完全復帰を告知し、出版社の社員が田岡の心境を綴った近刊の『こころに傷を負って - トラウマからの脱出』を宣伝していた。
・・・・・転載終わり・・・・・
さて、あなたは、離婚の記者会見を単独でする田岡里見のことをどう思いますか?
この記者会見で何を狙っていると思いますか?
そもそも、田岡里見の離婚の目的は何だと推測しますか?
田岡里見の語る「トラウマ」は、結婚生活に大きな影響を与えていたのでしょうか?
2011年8月18日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第24号
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(20)
―「離婚記者会見」
前回のケースは、芸能人の夫の井坂章正と共に「おしどり夫婦」として知られていた田岡里見の突然の離婚記者会見でした。
妻の田岡里見は、子ども時代に受けたトラウマ(心的外傷体験)を離婚の原因だとし、芸能界復帰を宣言していました。
コメントについても『人材教育』誌(日本能率協会マネジメントセンター)に連載した内容を転載します。
・・・・・転載開始・・・・・
「離婚記者会見」をもとにする一連の田岡里見の行動には目的があります。
ある種の一貫した方向性があります。
離婚を契機に体験記を著し、芸能界復帰を図ることでした。
このようなゴール、あるいは方向性から見てみると、トラウマの位置づけは、一般に伝えられていることからかなり違って見えてきます。
一般的なものの見方からすると、彼女の子ども時代に受けたこころの傷が原因で夫の井坂章正が手紙のような軽いものをポンとテーブルの上に置いただけで恐怖感におののき、夫婦間に亀裂が生じた、と考えます。
ひねった見方をすると、トラウマは田岡にとって便利な口実です。
トラウマのせいで対人関係上問題が起きる。生活上支障を来す。井坂との夫婦関係が破綻する。離婚後は昔のような芸能界に復帰せざるを得なくなる。
そのようにして悲劇の主人公として自分を仕立てることができる。
この流れでトラウマがなければ、同情される要素がほとんどなくなります。
その意味では、トラウマは便利な道具です。
アドラーは言っています。「大切なことは、何を持っているかではなく、持っているものをどう使うかである」と。
この言葉をアドラーが使った文脈は、障害を持つ人が建設的な対応をして困難を克服することに関して言っているのですが、ある目的のためには、トラウマですらこのように使う人がいることをご理解下さい。
・・・・・転載終わり・・・・・
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<お目休めコーナー> 6月の草花(8)
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